ただひたすらに静寂の時が続く。穏やかに眠り続ける少女が発するかすかな息遣いすら、時にはっきりと聞こえてきそうなくらいに冷たく澄み切った空気。
――そこはとある大病院の特別室。西九条財閥の令嬢紫音は入院し、大きくゆったりとしたベッドの上に横たわり続けていた。
静寂の時を打ち破ったのは紫音だった。かすかだけど規則的な吐息は突如発作を起こしたかのように激しいものへと変貌していく。
「う……っ! あっ! ぐっ!」
悪夢を見ているのかうなされる紫音。体中を覆い尽くさんばかりに脂汗をかき、端正な顔が歪む。
「あ……っ! ……あっ! あっ! やっ!」
誰かに襲われているかのように断続的に声を絞り出す。散々咳き込んでむせ返り、喉が潰れたかのように苦しそうだった。そんな状態がしばらく続いてからよ
うやく目覚める。何が現実で幻なのかすらすぐにはわからない。
「はぁはぁ」
相も変わらず呼吸が粗い。紫音は何とか我にかえったものの、込み上げてくる苛立ちと云いようの知れぬ焦りに紫音は涙を浮かべる。どうしてこんな思いをし
なければならないのだろう? 何度そう思った事だろう。
始まりは全てあの日のことだった。修学旅行に起きたバスジャック。男達が巧妙に張り巡らせた罠により紫音が乗るバスは乗っ取られ、クラスメイト達も共に
誘拐された。そうして山奥の隠れ家に連れて行かれ、少女達の数カ月にも及ぶ監禁生活が幕を開けた。長く辛い時間は永遠に続くかのように感じられた。
クラスメイトたちは一人、また一人と凌辱されていった。それは紫音も例外ではなかった。紫音にとっての始まりは他の皆と同じく大広間から連れて行かれて
からのことだ。抵抗しようが叫ぼうが無駄だった。室内を散々引き回され、体を捕まれて乱暴に押し倒され、制服を引きちぎられて全裸にさせられた。どんなに
泣き叫ぼうがやめてと哀願しようが男達は容赦しなかった。それも一度や二度ではなく何回も。時には数人がかりで輪姦された。
それでも、恐らくは幸運なのだろう。……クラスメイト達の中で、紫音は奇跡的に生き残れた一人だったのだから。
「あ、う」
実の所、あの時何があったのか紫音ははっきりと覚えていない。ただ漠然と恐ろしい事があったとしか。つらい記憶から逃れるためか、紫音は記憶の大部分を
固い扉の向こうにしまい込んでしまったかのように失っていた。そして更に言葉すら忘れてしまったかのように、まともに話すことすらできなくなっていた。
日本有数の大財閥。その令嬢というプライドの高い娘。……今はただ得体の知れない恐怖に震え、力無く喘ぐだけだった。
処女を無理矢理奪われた時の記憶。失ったはずの記憶に紫音は心身共に苛まれ続ける。
『きゃああああっ!』
紫音は男の圧倒的な力により押さえ込まれた。そして男の手が伸びる。あまりにも手早い動きだった。紫音は衣服を掴まれ、剥ぎ取られた。
『いやああああっ! やめてええええっ!』
背後は壁。逃げ場のない紫音の頬に、男のいきり立ったものが押し当てられる。怖い。そう思った。やがてそれは紫音の口内へと侵入し、犯し始めた。どくど
くと波打ちながら熱を帯び、浅黒くそそり立つ肉棒はあまりにもグロテスクで紫音は震えた。
『むぐぉっ! おごおおおっ!』
苦痛の叫びはしかし、誰にも届かない。苦しくて、悔しくて、悲しくて。涙が止まらない。触手を持った獣によって犯されているかのように感じる。
西九条財閥の令嬢。……それが今はこんな惨めな事をさせられている。紫音のプライドはずたずたにされていた。凌辱の時は尚も続いた。
『ぐ……うぅぅぅぅっ!』
込み上げてくる嫌悪感と嘔吐感。処女を奪われ、何度も中に射精された。……その後。
『ふぉふぉ、いいのう。財閥令嬢になめてもらうとはのう』
『うぐっ! ぅううっ! くううううっ!』
仰向けに寝そべる紫音の顔に、古手川が尻を押し当てていた。尻の穴をなめさせて悦に浸っているのだ。あまりの気持ち悪さと屈辱に紫音は込み上げてくる嘔
吐感を必死に堪え続けた。
『どれ。それじゃ俺はこいつのケツに入れてやるとするか』
木戸が無関心を装いながら云った。それから数秒後。
『あ、あ、あぅぅぅぅぅっ! 痛いいいいいいいっ! きゃああああああっ!』
『いい締まりだ』
紫音は派手に失禁してしまった。もはや恥ずかしい等とは感じなかった。こんな事をされれば誰だって……クラスの誰もが同じような目に遭わされているとわ
かるのだから。悪いのは自分ではないのだから。
同時に今も幾筋もの涙が滝のように流れ落ちていく。悔しい……けれどもう、どうしようもない。諦めたくなどないのに、どうしようもないのだ。
(しに……たい)
体中から力が抜け、それすらも叶わないことだろう。
記憶を失い言葉すらまともに発せられなくなってしまった紫音。幸運だったと人は無責任に云う。果たしてそれは幸運と云えるのだろうか。
今ではもはや自分が何者なのか、かつて何をしていたのかされていたのか、親しかったクラスメイト達がどうなってしまったのかすら知らない。分かることも
できない。まともに歩くことすら。
紫音の未来は定まっていた。これからもずっと、何も知らない子供のようにただ悪夢に脅え続ける日々が続くのだろう。寝ていようが起きていようが、時折発
作のように恐怖を感じ、力無く震えることしかできないのだ。
それでも……幸運なのだろう。
バスジャック後の監禁は地獄の監獄と呼ぶに相応しかった。あまりにも苛酷な扱いに耐え切れず、クラスメイト達の過半数は衰弱死したのだから。裸にされた
まま口内も秘所の奥深くもお尻の中すらも数え切れないくらいに肉棒を突っ込まれて汚され、涙と鼻汁と涎に顔をくしゃくしゃにし、体中に精液をぶちまけられ
た。屈辱に震える娘。痛みにのたうち回る娘。助けを求めて両親の名を叫ぶ娘。誰もが精神を崩壊させ、体は傷だらけになって死んだ。
運よく生き延びた娘も殆どが重度の傷を負っていた。ただひたすら意識を戻す事なく死んだように眠り続ける娘。あまりの恐怖に完全に自我を喪失してしまい
幼児帰りし、呆けた言動を繰り返し続ける娘。絶望し、家族や友人や医師による治療の甲斐なく自ら命を断ってしまった娘。……これから断とうとしている娘も
いる。
――バスジャック事件は完全に解決したはずだった。事件の首謀者である勝沼紳一は何人かの部下と共に捕らえられ、全ての事実が白日の元にさらけ出され
た。それなのに何故だろう。あまりにもやるせないのは少女達のその後が絶望に満ちているからだろう。
「あ、あ、あがあああーーーっ! やめっやめてええええっ!」
――橋本かすみ。錯乱したように病室内を逃げ惑う。誰もいない病室内を四つん這いになりながら。
処女を奪われた時の記憶が蘇る。腕を押さえられて四つん這いにさせられ顔を床に押しつけられ、アヌスを乱暴に犯された。ぱぁんと乾いた音がかすみの耳に
はっきりと聞こえてくる。犯されながらお尻を思い切り叩かれ、痛みと恥ずかしさに悲鳴を上げ続ける。
彼女は今も過去にいるのだ。
「ひ、ひぃっ! ひいいいいっ! ひいっひいいっ! いやあああっ! 痛いいいいいっ! やめてぇぇぇーーーーっ!」
「そっち押さえて!」
「かすみちゃん落ち着いて!」
かすみはやがて取り押さえられて鎮静剤を投与され、ようやく落ち着いた。こんな光景も今では当たり前のものと化していた。
懸命に看護を続ける医師達。家族も全力で少女達を支えた。けれど……先は見えない。重苦しい時がずっと続くのだ。
――莉菜は決して目覚めることがなかった。
十数回にも及ぶ凌辱で完全に精神を崩壊していたが、辛うじて命だけは助かった。けれど、ただ助かっただけだった。植物人間と化し、話すことも笑うことも
二度とない。生命維持装置を外してしまえば、少女は絶命する。細いチューブが機械と莉菜を繋ぎ、かろうじて生きながらえているに過ぎない。
「莉菜ちゃん……」
中学、小学校時代の友達が訪れては涙をこぼす。
枕元には千羽鶴と花瓶。常に新しい花が飾られていた。そしてかつて莉菜がつけていたリボンが巻かれていた。
お願いだから目覚めて。帰ってきて。……叶わぬ願いであると分かりながら、誰もが願い続ける。
莉菜は皆に見守られながら今日も眠り続ける。
「……」
鈴は助かった少女達の内では比較的軽度だと思われていた。けれどそれは違っていた。誰もが鈴の変化に気付くことはなかった。
「今、行くね」
決意をしたわけではなかった。ただ何となく思ったのだ。もういやだから、死んじゃお。と。
鈴は穏やかに微笑みながら云った。そして、隠し持っていた金属片で手首を切り裂いた。直後に血が飛ばないようにとタオルで巻き取った。体から力が抜け、
段々と感覚が薄れていく。これでいいと思った。もう寂しくない。友達達がいる所にいける……。恐怖のない所にいける……。
助け出された頃の事。鈴は誰にともなく聞いた。みんなは? と。問われた者は誰もが口ごもり、云いづらそうにしながらも鈴の切ない瞳に口を開かざるをえ
なかった。彩乃、帆之香、流花、愛……みんなこの世を去った。痛めつけられて苦しみ、汚され果ててのたうち回った末に。
全てを思い出した鈴は何も云わなかった。
意識が薄れ、何も聞こえなくなりつつあった頃。誰かが来たようだ。それは両親か、友達か、看護婦さんか。心配したように問い、悲鳴に変わる。
「鈴ちゃん? ……す、鈴ちゃんっ! 鈴ちゃんっ!」
恐らくは優しい母の悲鳴はしかし、聞こえない。鈴は静かに目を閉じ、事切れていたのだから。
「……」
今日もまたクラスメイトが死んだ。決して伝えられることもないまま、紫音は眠り続ける。
「紫音」
誰かがやってきたようだ。紫音は薄い眠りから目覚める。視線の先には見知った顔。初老の男性だった。
(オトウ……サマ……)
誰だかはわからない。哀しげだけど優しい。きっとこの人は自分の大切な人なのだろう。
紫音はそう思い手を伸ばす。細く、傷だらけの手に、男性の大きく暖かい手が重ねられた。
「あ……う」
それが何故か紫音には嬉しくて、少しだけ微笑んだ。微笑んだのはいつ以来だろう。きっと思い出すことも無いのだろう。
過酷な時は永遠に続いていくのだ。