【Balance】
「あぅ〜。美汐〜。まってよ〜。靴が…あぅあぅ……」
「はいはい」
真琴は慌てて靴をはこうとしてはききれず、トントンとつま先を叩いて、かかとを靴の中に押し込もうとする。…靴べらがあるのに、使い方を知らないみたいで。
『こういうときは、これを使うのよ』なんて、丁寧に教えてあげていると。
カチャッという音と共に、居間のドアが開き。
「あらあら。お出かけですか?」
玄関に表れた影。それは、真琴が居候させてもらっている家の家主さんこと、水瀬秋子さん。いわば、真琴の保護者さんというところか。
「はい。ちょっと、商店街まで」
「早く肉まん食べたいよ〜」
既に何度も話をした間柄なのだけれど、秋子さんは物腰が穏やかで、話をしていて楽しくなれるような人なのです。
「あら、真琴。そんな薄着で大丈夫?」
さすが年長者と云うべきかな。真琴の服装は春先にしては薄着。動きやすい服が好みといっていたけれど。
「多分、大丈夫」
「そう。…美汐さん、よろしくお願いしますね」
「はい」
軽く会釈してから、外へ出る。と…。
(ん?)
「くしゅんっ」
ヒュウという、気温の変わるような音を感じながら、一面雪景色の外に出る。まだまだ春は遠く…むしろ、今が一番寒い時期なのかもしれない。
「まこと。風邪なんかひいてない?」
「…この前ひいた」
案の定…真琴の答え。
「お腹出して寝てたりしてない?」
この答えも、多分、案の定というものになるだろうと思う。
「……してる、かも」
「朝方に、布団や毛布をけとばしたりとかは?」
「………………あぅ〜」
「ふふ。やっぱりね」
ほほえましさと共に、ちょっと…見守っていてあげたくなるような、そんな表情を真琴は持っている。私が惹かれる理由も、そこにあるのかもしれないけれど。
「もう。ちゃんと着込まなきゃだめよ」
キュッと、彼女の剥き出しになったままの首にマフラーを巻いてあげる。…本音を云えば、私は始めからそのつもりで着ていたのだけれど。
「あぅ…。暖かい〜」
「マフラーくらい巻きなさい」
先程秋子さんが心配していた通りになったけれど、多分、私の考えなんてお見通しなのでしょう。
「でも、マフラー…苦しくて嫌い」
「寒いのとどっちが嫌い?」
「……どっちも嫌」
「ふふふ。真琴ったら。どちらか一つよ」
「あぅ〜………」
そんな風に、とりとめもないようなことを話していると。
「相変わらず。保護者さんだな。天野は」
雪を踏みしめながら現れたのは、真琴の恋人こと相沢祐一さん。彼は、私たちとは逆に、丁度今帰ってきたところのようだ。
「真琴と一緒と云うことは、商店街にでも行くのか?」
「正解、です」
「だな」
真琴は無邪気に喜びながら、相沢さんの身体に、子供のように抱き付いた。既に、癖になっているような感じさえあるけれど。それが、とても可愛くて好きだ。
「あぅ……。祐一」
「何だ?」
真琴の云わんとしていることは一つ。
「あぅ…あぅ……。あのね…。あの」
「ん?」
真琴はちょっと顔を赤らめて、恥ずかしそうにもじもじしている。
「相沢さんも一緒に、どうですか?」
つまり、こういうこと。
「そうだな。ちょっと、寄り道していくとするか」
言葉のニュアンスから、意味を感じ取ってくれたのか。望み通りの答えを返してくれた。
「行きましょう」
彼はバランサー
「あぐあぐ♪ はむはむ♪ おいし〜♪」
ほかほかと温かい肉まんを両手に持って、笑顔で頬張っている真琴。無邪気な可愛い笑顔で、頬に食べかすがつくのも気にせずに。
「子供だな。真琴は」
悪態をついていても説得力がない。だって。相沢さんも、無邪気な笑顔をしながら、楽しそうに肉まんを頬張っているのだから。
「あぅ〜。真琴はほっぺたにくっつけたりしないもん」
「してる」
「してない〜」
「してるっての。ほら、右のほっぺたに」
私が人差し指で取ってあげると、ちょっと恥ずかしそうにしてうつむいた。
「はっはっはっは。俺の勝ちだな」
対照的に、相沢さんは得意げだ。……だけど、ちょっと間が抜けているのも確か。
「相沢さんもくっついてますよ」
「え、そう?」
「………自分で取ってください」
こういう、とぼけた表情の相沢さんには素っ気なく対応しないと、向こうのペースに飲み込まれてしまう。
「ちっ。ケチだな天野は」
「世の中は、男女不平等というものです」
「差別だ」
妙に意地を張る相沢さん。……と、そこに。真琴が私と相沢さんの服の袖を同時に引っ張ってきた。
「祐一〜。ゲームセンター行こうよ〜」
「おう。行こうか」
あれから。真琴は相沢さんに、いろいろとゲームのやり方を教えてもらったそうです。……普通の女の子としての生活。相沢さんは真琴にそれを求めた。
「天野も来いよ」
「…」
私は、あまり騒がしいところは好きではない。けれど、真琴が物凄く行きたがっているみたいだし、それならきっと、楽しいと思えてくる。
「いいですよ」
真琴は、私だけではダメ。彼…相沢祐一さんがいないとダメ。ずっと前から分かり切っていたことだから。
(私も変わることができる、かな)
「ポップンやりたいの〜♪」
「はン。帰り討ちにしたるわ」
「あぅ〜! 負けないわよぅ〜!」
こぶしを握ってガッツポーズの真琴に、相沢さんは余裕綽々の態度で、ぽんぽんと真琴の頭を撫でた。
「何度でもかかってきなさい」
私たちの関係は、絶妙なバランスの上に成り立っている。
心地よいバランス――
恋人なわけでもなく、昔からの親友だったわけでもなく。ただ、今の関係が一番心地よい。だから、一緒にいる。
「俺の勝ち〜♪」
「あぅ〜。悔しいぃ〜」
端から見れば、私は都合の良い立場にいると思われるかもしれないけれど。
「も一丁やるか?」
「やる!」
風の吹く丘よりも、今の関係は暖かくて、優しくて、気持ちがいいから。
「あぅ……。美汐」
「あ。天野、すまん。二人で熱中しちまって」
ただ、側にいられるということ。それだけが、嬉しいから。
「ふふ。お構いなく」
少しくらい笑顔を見せられるようになろうと、そんなことを考え始めました。
ささやかな三つのバランス。それが、私の望みなのです……。
END
※KeyMIX3rd発表作