星空と二人
――それはお風呂上がりのリラックスタイム。佳奈多は自室にて、何故か鏡と睨めっこをしていた。 当初、そんなことをするつもりはなかった。ただ単に椅子に腰掛けて濡れた髪をバスタオルで丁寧にふきつつ、火照りが収まらずになんとなくぼーっとしていただけだった。そうしたらいつの間にか色々と考え込んでしまっていた。例えば、彼氏である理樹の事とか、ずっと前から後悔していることについてとか。今思い返してみても辛い思い出。大切な人に対して、とてもきつい態度をとり続けてきたわねと、溜息が出てしまう。 これまでずっとそうだったから、今更改めようにもなかなか上手くいくわけがないと佳奈多は思った。鏡にうつっている自分は当時と大して変わっていないのではないだろうか。つり目がちな目付きや冷笑に見えてしまう口元、皮肉を言ったり挑発するように言葉を投げかけたりと、そんなことばかり。……どうして今になってそんなことを考えてしまうのだろうか? その理由は自分でもよくわからなかった。 「はあ」 改めて鏡に向かい、何気なく表情を作ってみせる。可愛らしく、にこ、と微笑んでみる。ああ、我ながら本当にわざとらしいわと思い、すぐにしかめっ面になってしまう。どんどん情けなくなってしまい、救いを求めるように思い浮かべた人の名前を呟いてみた。 「直枝」 大切な人の名前。ただ名前を呼ぶだけにしても、感じを変えてみたらどうなるだろうか? ……もしも。もしも、だ。例えばこんな風に彼の名を呼んでみたら、呼ばれた方はどんな風に思うのだろうか? 「……な、お、え。……ふふ」 わざと彼の名を一文字ずつ区切って呼ぶ。呼び終えてから悪戯っぽく笑ってみせる。もしかして、可愛いと思ってくれるだろうか? もしそう思ってくれたら、とても嬉しい。可愛いと思われたい。 「はあ。馬鹿ね、本当にもう」 そんな事をして何になるのよ? そんな事で彼が喜んでくれるとでも思うの? と、佳奈多は自分自身に対して疑問を投げかける。 (直枝の彼女、なのよね私。……一応) そう思ってからまたしかめっ面になってしまう。何が悲しいかって、一応じゃないでしょう! れっきとした彼女でしょう! 本当にもう、どうしようもないわねと思う。……彼女なのだから、彼氏の気を引くような愛想笑いの一つでも自然にできるようになりなさいよということで、またも鏡に向かって表情を作ってみせる。訓練でもするかのように、女優にでもなった気分で、特定のシチュエーションを想像してみる。例えば……そう。目を伏せて、照れながら、静かに消え入るような声でおねだりをしてみせたらどうなるのだろう? ……おねだりって、何を? 自分でもわからないまま行動が先行していく。 「直枝」 名前を呼ぶだけでよかったはずなのに、思いがけない一言が続いた。意識していなかった一言。アドリブとでも言えばいいのだろうか。 「お願い。……好きって言って」 甘ったるく媚びた声。まったくおかしい。想定外の言葉で、典型的な蛇足というやつだ。佳奈多は一瞬で自分の事が嫌になってしまった。自分の声じゃない。 「ば……ばっかじゃないの!? 何それ!」 何口走ってんのよ! と、自分に対して思いっきり腹が立ったような気がする。照れ隠しの激情が爆発したようで、身悶えしそうで鏡を拳で殴りつけたくなってしまうが、どうにか冷静になってからもう一度シチュエーションを想像してみると、確かに自分が言ってみたい一言であったと気付く。 「はぁ……。だめね。何やってんだか」 ごく普通の関係であれば難無く言えるような事なのに、これでは救いが無いわと、落ち込む。 そんな時だった。 「あ」 携帯に着信メッセージ。何気なく見てみると……。 (直枝から?) 噂をすれば何とやら。こんばんは、とかいうひねりもへったくれもないタイトルで、内容に関しても、今何している? とかそう言ったありふれたものだった。さて、どのように返信するか? 『ふん。――暇なのね』 普段の自分が見せている冷笑を言葉に変換したようだ。それはないでしょう? 折角彼氏がメールを送ってくれたというのにそんな無愛想で喧嘩腰な態度はないんじゃないの? ……じゃあ、何て答える? ええと。 『――私が何をしていようが、あなたには関係ないでしょう?』 ああもう、だからどうしてそうなるのよ! もう! そんなの、大切な人に対してとる態度じゃないでしょう!? まったく最低ね! 最低! でも、じゃあどうするの? 何て答えるの? 自問自答しつつ、三度返信内容を考える。 「……」 はあっと息を大きく吐いて目を閉じ、何も考えずに一気にメッセージを打ち込んだ。そうして送信ボタンを押す。送った内容はただ一言。 『……直枝の事、考えてた』 とだけ。 「あ、あ、ああっ!」 改めて見てみると激情が込み上げて来る。ぐぐ……と、恥ずかしさに心を支配されそうになりしかめっ面を見せるも何とか堪える。何よこれ! と、そう思うけれどこの内容は決して嘘じゃないと自分に言い聞かせる。本当に嘘じゃないのだから。……するとすぐにまたメールの着信。勿論理樹からの返事。 『ええっ? 本当に僕のことを考えてくれていたの!?』 ……何よそれ。……どーいう意味よ。私が直枝のことを考えていちゃ悪い? 彼女なのに!? と、そう思ったままを打ち込んでメッセージ送信。すると……。 『全然悪くないけど、意外だなーって思って。あ、勿論嬉しいよ』 (ふーん。そっ) 私は直枝にどう思われているのだろう? 一緒にいないときは彼氏のことなど眼中にないし、興味などさらさら無い、とでも考えていると思われているのかしら? 「そんなわけないでしょう。でも、そっか。はぁぁ……。仕方ないわよね。これまでの行いが行いだったのだから、そう思われちゃっても」 何だか哀しいので、もう一段踏み込んで聞いてみることにした。私、直枝のこと考えてたって言ったけど、どんなことを考えていたと思う? と。理樹から返事が来るのにしばし時間がかかった。悩んだのだろうか? 『えーと。ごめん。想像できなかった』 この朴念仁! 思わず舌打ちをしてしまいそうになる。でも、仕方がない。全て身から出た錆。そう思えって納得すればする程哀しくなってくる。そうしてやがて寂しさが込み上げてきてたまらない。 (何だか、もう……だめね) かぶりを振ってもどかしさを解消しようとするも、効果はあまりなかった。メールのような一方的なやり取りではこの気持ちは絶対に伝わりそうにない。互いに向き合って、目を見て顔を見て言葉を交わしたい。 (……会いたい、わよ) もどかしさは薄れ、寂しさが急激に増幅していく。意味も無く側にいたい。と、思ったままの感情を文章にして伝えてみる。 『これからちょっとお散歩しない?』 と、メッセージを送信。日も暮れて、寮の外は闇が広がっていることだろう。以前の自分ならばまるで考えられないような行動だった。 「今はもう、風紀委員じゃないし」 それが免罪符になるだろうか? そう思っていると早速理樹からの着信があった。え、これから? 何かあったの? と、心配でもしているかのようなメッセージ。 (うるさいわね。決心が鈍るでしょう) 今度は返信など送らず、有無を言わせずに出て行こうとしたが、場所くらいは教えておかないとだめかと思いなおし『グラウンド脇の土手。待ってるから』とだけ返信した。土手に腰掛けて夜空を眺めれば、きっと星空がきらめいていることだろう。まあ、直枝が来ようと来まいとどっちでも構わないけれど、ちょっと外に出たい気分になったのよと、佳奈多は自分に言い聞かせる。そんな自分だけの世界に第三者の声が聞こえた。 「佳奈多さん?」 「ああ、クドリャフカ。ちょっとね、外で頭を冷やしてくるわ」 ドアを開ける前に出会ったルームメイトに対し一方的に言ったのだった。小さくて可愛らしい、妹みたいなルームメイトに。 「わふー……?」 きょとんとしているクドに、ちょっと申し訳ないと思ったけれど、後で説明することにして外へ出た。 …………
外気は少しばかり冷たくて丁度いい具合に感じた。適度に頭が冷えたからかもしれないが、随分と気持ちが落ち着いていった。 会いたいなと思ったのは事実だし、恥ずかしいからといって子供のように反抗する必要もない。この際だしいい機会だから徹底的に自分の心に素直になって甘えてみようと心掛けた。皮肉も嘲笑も冷笑もなしだ。望むがままに接しようと思うのだった。 「二木さん、こんばんは」 理樹がご挨拶。指定した場所。理樹達リトルバスターズが日々野球に興じているグラウンドの、すぐ側にある土手。先に到着していたのは理樹の方だったようだ。きっと、メールを受け取って慌てて出てきたのだろう。こう言う時、何と言うべきなのか……。 「こんばんは」 皮肉を言うわけでもなく、無視をするわけでもなく、軽く会釈。 「遅れてごめんなさい。待った?」 「ううん。僕も今来たところだから」 ああ、何だかどこかで聞いたような気がする台詞。このやり取りはまるで……。 「デートみたいね」 「そう、だね。……これって、そうなるのかな?」 普段ならばここで溜息でもつきながら冷めきった態度で、そんなわけないでしょう、とでも言うところだろう。佳奈多は自分の事が少しわかってきた気がした。 「きっとそうよ」 うん。と、軽く頷く。 (直枝と私がそう思うのなら、きっとそうよね) 「そっか」 佳奈多は微笑み、スカートを押さえながら草木が覆っている土手に腰掛ける。 「どうしたの? こんな時間に」 「……ん。ただ会いたいなって、そう思ったから。本当にそれだけなのよ? それに私はもう風紀委員でもないし。別にいいでしょう?」 嘘偽りのない言葉。素直な感情。何故だか今はとても自然体でいられる。 「そっか」 「そうよ。……おかしい?」 「おかしくないよ。僕も、そう思っていたからメールを送ったんだから」 「それじゃ、お互い様てことね」 「うん」 言いながら、理樹も佳奈多のすぐ側に腰掛けていた。 「本当にね。直枝のこと、考えてた」 「そうみたいだね」 意外に思われていたのがとても哀しい。だから、洗いざらい全て白状する。 「でも、直枝は私がどんなことを考えていたか、わかってくれなかった」 「ごめんなさい。本当に、想像つかなくて」 無理もない。だから、きちんと一から説明する。 「ふふ。……ま、大したことじゃないんだけどね。お風呂上がりに鏡の前でね。……普通の女の子みたいににっこりと笑えたら、直枝は喜んでくれるかなって、そんな風に思ってた。そしたらいつの間にか鏡とにらめっこしてた。馬鹿みたいでしょ? ……まあ、わかっているつもりよ。自分がどれほど無愛想で素っ気なくて魅力がないかくらい」 まったく、我ながら滑稽よねとおかしくなる。 「例えば。直枝の名前を呼ぶ時に、な、お、え……とか、わざと言葉を区切ってみたらどうなるかな、とか。呼んだ後にわざとらしくふふ、とか笑ってみせたら可愛いかな、とか」 話していて微笑ましさが込み上げてくる。理樹もそうだったようで、思わず本音が出る。 「魅力がないなんてことは絶対ないから。本当に可愛いよ、二木さん」 佳奈多はどきん、と鼓動が高鳴った気がした。言葉を続けていないと恥ずかしさの余り悶えてしまいそうなので、続ける。 「す、好きな人に、可愛くみてもらうにはどうすればいいのかな。なんて事考えてた。馬鹿よね。本当に。可愛いわけないじゃない。可愛いわけ……」 「ううん、全然馬鹿じゃない。ありがとう。嬉しい。本当に、冗談抜きで可愛いから。本当に……」 きゅ、と軽く抱き締めてくれる。暖かくて柔らかい、包み込んでくれるような温もり。ああ……素直になってみてよかったと佳奈多は思った。これは素直になれたご褒美かもしれない。 「直枝……」 「うん」 「もっと近くに来て」 「うん」 佳奈多は人に懐いた猫のように、理樹の足と足の間に挟まれるように腰掛けた。以前ならば考えられないような行為。安心して身も心も理樹に委ねようと思った。 「ね」 「うん」 「星が綺麗ね」 「そうだね」 二人して空を見上げる。雲一つないのか、一面に星空が見える。 「そりゃ、ね」 「うん?」 「……私だって女の子だもの。好きな人に甘えたくなることくらい、あるわよ?」 問われた訳でもないのに、言い訳でもするかのように佳奈多は呟いた。 「そうだね」 「直枝はないの? 好きな人に甘えたくなることとか」 「あるよ、勿論」 よかった、と佳奈多は心の底から思った。そして、そういえば直枝には全然甘えてもらってないとも。全部自分のせいだけど、今度……思う存分甘えてもらおうかなと思ったけれど、今はごめんなさいと言わなければいけない。 「そう。……でも、ごめん。今は、直枝に甘えさせて」 「いくらでもいいよ。二木さんの気が済むまで」 「でも。そしたら、朝が来ちゃうかも……」 「僕は構わないよ。だったら朝まで一緒にいたっていいよ」 「ん。……そうしたいのはやまやまだけど、クドリャフカが心配しちゃうから」 佳奈多は後で優しいルームメイトに詳しく事情を説明しようと思う。きっと、私と直枝の関係を喜んでくれるはずだから。……かすかな風が二人の頬を撫でていく。 「二木さん。寒くない?」 「大丈夫」 佳奈多は恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線をあらぬ方に逸らしながら言った。 「直枝が……暖めてくれてるから。って。も、もう! 何を言わせるのよ!」 理樹は佳奈多の体を包むように密着している。理樹は嬉しくて、少し腕に力を込めて、佳奈多の体を抱き締める。 「直枝。何をしてもいいわよ。拒んだりしないから」 「うん」 佳奈多の言葉に頷くも、何も行動に移したりはしない理樹。 「何もしないの?」 「今は、このままがいいな」 「そう」 「うん」 しばらくの間、二人揃って無言。言葉なんて忘れてしまったかのように、必要ないと言わんばかりに互いの体温を感じ合う。気付けばまた、二人して夜空を見上げていた。闇に浮かび上がる星空を。 「あ。流れ星」 理樹はきらりとした光を見つけた。佳奈多は気付かなかったようだ。 「願い事、頭の中で言えた?」 「ううん。早すぎてだめだった」 「そう。じゃ、もう一回挑戦ね」 「そうだね」 もう一度流れたら、今度こそはと理樹は思う。 「来た」 「……間に合った?」 「ギリギリだけど、なんとか」 「そう」 どんな願いごとだったんだろうと佳奈多は思ったけれど特に指摘したりはせず、またしばらくの間沈黙が続く。 願い事……か。例えばあんなこと、あるいはこんなことを星にではなく面と向かってお願いしてみたらどうなるだろうか? ……彼女なのだからいいじゃない。もっともっと素直になりたい。だから、勇気を出して言ってみる。 「直枝」 「何?」 「……好きって、言って」 佳奈多が恥ずかしいと思う間もなく、理樹は答える。 「好きだよ。二木さん」 「……」 その一言を聞いて佳奈多は視線を逸らせ、ゆっくりと体をひねらせ、理樹と向かい合うようにして、そして……。 「ん……」 キス。優しく触れるだけの。心をさらけ出して、佳奈多の方から求めた。 「二木さん……」 「好き……。もっと……」 「ん……。二木さんの気が済むまで……」 何度となく唇が触れ合う。いつしか佳奈多は理樹の胸元に顔を埋めながら身を任せていた。 「二木さん。空、見られないね」 「いい。私の代わりに直枝が見ていて」 「うん。いいけど……でも、実は願い事、かなっちゃったから。そう何度もお願いするのは欲張りかなって思う」 え……。と、佳奈多は思った。一瞬意味がわからなかったけれど、少し考えてから理解した。理樹がさりげなく望んだのは、佳奈多の方からのキスのようだった。 「なによ、それ。そんなの……願うまでもない事じゃない」 「二木さんからしてもらいたくて、つい」 (……ああ。これだから私は) そんなことすらできなかった。彼氏が星に願わなければいけないなんて。彼女として情けない。 「今は、そういう気持ちなのね。直枝は」 「うん。そう」 じゃあ、と佳奈多は言った。 「今度は、一緒に願いましょ」 「そうだね」 佳奈多は体を再びひねり夜空を見上げることにする。広い夜空が心を開放していくかのように佳奈多には感じられた。 「あ……」 「ん」 また星が流れ落ちた。やっぱり一瞬のこと。 「二木さんは願い事、間に合った?」 「また間に合わなかったわ。早すぎるわよ」 ちえ、と思った。 「そっか」 「直枝は?」 「間に合ったよ」 「そう。先を越されてばかり。……なんだか悔しいわね」 佳奈多は次の機会を伺う事にする。が……そういう時に限ってなかなか見つけられない。 「なかなか見つからないわね」 「そうだね」 そういえば、と思って理樹に聞く。 「……直枝の願い事って、結局何だったのよ?」 「ん。……二木さんとしばらくこのままでいたいなって」 ああ、そういうこと。佳奈多は微笑んだ。 「ふふ。同じ。……もう少しだけ、直枝とこのままでいさせてくださいって、私もそう願おうと思ったのよ」 「へえ」 もう少しだけこのままで。それが二人共通の願い事。 「私達って、結構気が合うのかな?」 「うん」 嬉しい。……いやいや、そうじゃないでしょう? そもそも付き合っているのはどうして? 佳奈多は真面目に考えている事に気付き、おかしくなっていた。 「気が合うから付き合ってんのにね」 「そうだね」 一見すると全然かみ合っていないようでいて、案外上手くいっているのかもしれないと、二人揃って互いの関係を思い、微笑んだ。 「直枝」 「ん……」 佳奈多は理樹に寄り添いながらキスをした。その瞬間、二人の頭上で星が流れたけれどお互いに気付く事はなかった。 二人だけの夜はそんな風にして更けていくのだった。 ----------後書き----------
佳奈多×理樹のほのぼの一般ものでした。 |