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今という時間










 音量的には結構うるさいようでいて、意識せずにいるのならばまったく気にならない程度のBGMがさりげなく聞こえてくる。木製の丸く小さなテーブルの上には飲み物が二つ、それぞれアイスティーとホットのブレンドコーヒーという組み合わせ。二人とも時折思い出したように口を付けるけれど、そんなに積極的にがぶがぶと飲み干すというわけではなくて、お目当てはあくまでもおしゃべりがメインといったところ。辺りはどこか光量が足りてないような薄暗い空間だけども、ぼーっとするにはうってつけの環境かもしれなかった。

 ――二人がどこにでもあるようなチェーン系列の喫茶店に入ってから、かれこれ三十分が経過していた。理樹と佳奈多というカップルは、今日に限っては佳奈多の方が口数が多かった。我慢していたわけではないだろうけれど、きっとこれまで話したいことがいっぱいあったのに加えて、こんな風に喫茶店で二人一緒になるなんてことが滅多になかったから、溜まっていた欲求が暴発でもしたのかなと、二人のことを知る人が見たら思うことだろう。もっとも、最近に関しては佳奈多の方が口数が多いのは珍しい事ではなくなっていたのだけれども。

「それでね。その時葉留佳が……」

 佳奈多の口からはひたすら言葉がつむぎ出されていく。矢継ぎ早に繰り出されるのは、例えば最愛の妹によるくだらないいたずら話。可愛らしいルームメイトとの心温まる話。最近あったこと、楽しいと思ったこと、誰かに言わずにはいられないと思ったこと。そして、あんまり言いたくはないけれど誰かに聞いてもらいたかったこと。……大嫌いな身内のことや、その後の顛末等々。理樹はひたすら聞き手に徹しているのか、微笑を浮かべながら適度に相槌を打ちつつ、あくまでも佳奈多の話を遮ったり滞ったりさせないように気を使ってくれている。楽しさのあまり、佳奈多は理樹のそんな意識にはちょっと気付かないでいた。

 夢中になっているという意識はないのに、不思議といくらでも言葉が溢れ出てくる。時間の制約がないのならばずっと何十分でも何時間でもそのままでいそうだった。回りの風景や音も全く存在していないような、二人だけの空間がそこにはあった。

「本当に。可愛いのよね……」

「うんうん」

 佳奈多からはもはやかつてのような、常にツンケンしたような雰囲気は微塵も感じられなかった。誤解が生んだ悲劇……葉留佳との確執が解けずにギスギスしていたような時代など想像もつかないように、佳奈多はとても穏やかで自然な表情で、時折笑顔を見せたり、やれやれと深くため息をついたり、驚いてみせたり、気に入らないことに対しては唇を尖らせてみたりしていた。基本的にはかつて風紀委員をしていたくらいに生真面目で、凜としていてとってもクールなのだけど、実際にはこんなにも普通で表情豊かで、他の娘と同じように楽しいおしゃべりが好きな女の子だったんだなと、理樹は改めて親しみを覚えるのだった。





帰ってからのこと。





 お風呂上がり。鏡の前にて、長い髪をバスタオルで丁寧に乾かし続けていると、色々と考え込んでしまう。

(しゃべりすぎた、かな?)

 今更ながら今日のデートを思い出すと、一方的に自分が話すばかりだったかもしれないと自己嫌悪に陥る。いや、ちょっとどころではなく、殆どそうだった。でも、仕方がなかったのよと誰に対してというわけでもなく、言い訳をする。何しろ、ふと気がつくととても時間がたっているくらい心地良い一時だったのだから。けれど相手をさせられている理樹にとっては、もしかするととてつもなくうんざりするような時間だったかもしれないかな。ああもう、さぞかし迷惑だったことでしょうよ、きっと。最低だ。と、そんな風に佳奈多は急に不安が込み上げてきて、携帯を手に取る。今日は迷惑だった? とか、そんな事をさりげなく聞いてみようと思ったのだけど。

(それこそ、迷惑かもしれないわよね)

 はぁ、と溜息をついてしまう。好きな人に対して変なところで気を使って遠慮して、はっきりと言えないだなんて、何なのよ私は。などと思っていると……。

「どうしたんですか?」

「あ……」

 佳奈多のルームメイト、クドリャフカのつぶらな瞳。心底心配そうな、それでいて全てを見透かしているような眼差しを向けられて、佳奈多は苦笑する。青く澄んだ瞳は僅かに憂いを帯びていて、すこし潤んでいるように見える。ああ、どうして私はいつも大切な人を心配させてしまうのだろうと、つくづく自分の事が嫌になる。

 真剣に心配してくれる人に対して言い訳をしてはいけない。クドリャフカには、自分が溜息をついてしまった理由をきちんと説明しなければ申し訳ないわねと、そう感じて佳奈多は正直に話し始める。

「ん……。今日は直枝と一緒に喫茶店に行ったんだけど。その、ね。好きな人にね、一方的におしゃべりばかりしちゃってたのよ。迷惑だったかなーっとか鬱陶しかったかなーって、後になってからそんなこと思って。それでちょっと、自己嫌悪に浸ってたの」

 ああ、とクドは思ってそして、佳奈多にはっきりと言い切る。佳奈多が好きな人のことは、クド自身もよく知っているのだから。

「大丈夫なのです! リキは迷惑だなんて絶対思ってないです! 佳奈多さんにお話してもらってとっても喜んでいるです!」

「そ、そう?」

「はいです!」

 佳奈多が驚くくらいにクドは断言していた。

「だから『迷惑だった?』なんてメールする必要はないのです! むしろまたデートにお誘いするのです! もっともっと『お話しましょう』って積極的になるのです〜〜〜!」

「ち、ちょっとクドリャフカ。声が大きいわよ」

 不器用だけど、必死に勇気づけてくれているのだとわかる。佳奈多も笑顔でクドの頭をぽんぽんと撫でるのだった。小さなルームメイトは時折こんなふうにして、佳奈多の迷いを吹き飛ばしてくれる。

(この娘、本当にまっすぐよね。可愛いわ……)

 クドは佳奈多にとってとても大切な、もう一人の妹だった。





それから数日後のこと。





 テーブルの上にはアイスティーとホットコーヒー。そして佳奈多の目の前には理樹の姿。

「それでね……」

 時折からん、とグラスの中の氷が音を立てている。相変わらずゆったりとした時が流れる所。数日前のデートと全く同じ時間と場所という、コピーアンドペーストでもしたかのようなシチュエーション。

「クドリャフカったらね」

 佳奈多はこの前と違って、今日は控えめにゆったりとした口調でおしゃべりを続けている。それは実は意図的にそうしているのだった。理樹の事を試してみるわけじゃ無いけれど、クドに言われたことが気になっているから時折あることをしてみせていた。……もっとも、最初は意図的にぎこちなくだったのだけど、そのうち自然とできるようになっていく。

「おかしいよね。ふふ」

 クド曰く『リキは佳奈多さんの笑顔をもっと見たいんですよ』とのことで、佳奈多が『本当に?』と、問い返してみるとクドは更に言ったのだった。リキには内緒ですけどと前置きをしてから『最近佳奈多さんがよく笑ってくれるんだ……って、この前私に言って喜んでいたんです』とのことだったから。だから『そんなものなのかしらねぇ』とか、クドに対して素っ気なく呟きつつ、実際には興味津々なのだった……。

(そっか。喜んでくれるんだ。私の笑顔で)

 最初は作り笑いみたいだったけれど、今は違う。微笑んで見せると理樹はどこか照れたように微笑み返してくれる。

(な、何だかこっちまで嬉しくなってくるわね)

 じゃあ、今度はもっと彼の近くで微笑んでみようかな、と思った。今のままでもとても楽しいのだけど、ちょっと思い切って積極的になってみせる。――店を出てみると、外には大勢の人。雑踏の中に身を投じるかのように、足を踏み出す。

「直枝。ちょっと歩かない?」

「うん。……わっ!」

 もっと近くでとはいっても、ただぴったりくっつくのは不自然だから、だったらどうすればいいかと少し考えた結果、佳奈多は理樹の腕に無理やり抱き着いていた。そんな佳奈多に理樹は驚きつつ照れて恥ずかしがっている――。そうに決まっている。そうに違いない。佳奈多は自分の中で強引に結論づけていた。

「何よ。恥ずかしいの?」

「……ちょっとだけ」

 理樹はこくんと頷いた。それを聞いて佳奈多はしてやったり、と思ったけれど、ふと逆に自分の方はどうなのかと思う。歩く人々に時折ちらりと見つめられている事に。一体どんな風に思われているのだろう? いちゃいちゃしてるわね、と呆れられているのだろうか? それとも、お似合いのカップルだと思われているのだろうか? あるいはもしや、仲良しで羨ましいとか思われているのだろうか? はたまた、子供っぽいとか思われていたりとか。あ、ああ……何だかとても恥ずかしいわねと佳奈多は思ったけれど、理樹に聞いた手前、弱みは見せられなかった。

「う、腕。組んでみたかったのよ。直枝と……。ずっと」

「そ、そうなんだ」

 本当に、最初の頃からは想像も付かない関係だと佳奈多は思った。理樹の言葉に対して佳奈多はあえて少し寂しそうな、過去を思い出すような目をして言った。

「もしかして、嫌だった?」

「そんなことないよ!」

 即答だった。理樹の真剣な顔を見て佳奈多は狙い通りと思いつつ、心のどこかでホッとしていた。……違う。決して彼の気持ちを試していたわけじゃ無い。彼のことを疑っていたわけでもない。でも、込み上げて来る罪悪感は何だろう? ……もうしないから、今だけだから許して欲しい。ごめんなさいと、佳奈多は心の底から思った。そうしたら本音が言葉となって紡ぎ出されていった。

「……よかった」

 佳奈多はどこか寂しい雰囲気を漂わせている微笑ではなくて、完全に安心しきった笑顔を見せていた。

「二木さん?」

「何よ」

「何って」

「あ……れ」

 ぽつりと一粒、頬を伝って流れ落ちた雫を目撃されてしまった。何で。どうして泣くのよ。と、佳奈多は一瞬自分の事がわからなかった。

「何でもない……っ。何でもないのっ!」

「そ、そうなの?」

「そうっ!」

 理樹の肩口に顔を擦りつけて涙を誤魔化す。ああ、やはり自分は不器用だと佳奈多は思う。こんな自分を彼はどう思っているのだろう? 今まではこんなところでいつも、自分はだめだなとネガティブになっていたけれど、開き直って言ってみせる。ちょっと拗ねたように、照れまくりながら。

「嬉し泣きっ! ――直枝と腕組めたのが……う、嬉しかったのよ」

 嘘偽りのない本当の事。そっか、確かにそうよねと納得していた。好きな人と素直に温もりを感じあえる嬉しさ。嬉し泣きというやつだ。きっと。

「僕も。嬉しかったよ」

 にっこりと笑顔の理樹に、佳奈多は一瞬ドキッとして、そこから一気に鼓動が高まっていく。まさにカウンターで技を返されたような感じ。何よ。可愛いじゃないのよと思う。何に対してのものかはわからないけれど、精神的な主導権はまだまだ渡したくなくて、ついクールを装ってしまう。

「そう。よかったわね」

 潤んだ瞳そっちのけで済ましたように言いつつも、ぎゅ、と更に強く理樹の腕を握り締めて寄り添う。意味もなく楽しさと嬉しさが込み上げてきてたまらない。

(葉留佳、クドリャフカ。……私達、さっきから一体何をしているんだろうね?)

 と、佳奈多は妹達の姿を思い浮かべてみる。きっとあの娘たちは自分達二人を見たら言うことだろう。葉留佳は『いや〜。とってもあつあつなバカップルしてますネ〜!』とか。クドは『わっふ〜! お似合いなのですよ〜〜〜!』とか。

(本当にそうでしょ? ふふっ)

 大好きな人と一緒に歩んで行く。佳奈多は理樹に対してだけじゃなくて、大切な人達に心の中でも笑顔を見せながら言った。

「直枝。行きましょ」

 今という時間をくれてありがとう。そして私のことを好きになってくれてありがとう。そんなことを思いながら歩んで行く。足取り軽くどこまでも。









----------後書き----------

 珍しくえろなしの一般作な佳奈多話。

 『佳奈多アフター』があるとしたらきっとこのようにして、自然と緊張が解けていくのかなと思いました。






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