楽しい退屈
暑さもいよいよこれからというところ。 まだ朝だと云うのに、テラスに差し込む光は強かった。気持ちいい日向ぼっこはもうそろそろ厳しいかな、と彼女は思った。涼しくなる秋頃までちょっとお別れなの、と。そろそろ葦簀を立てかけて、ぎらつく太陽の光を少しでも穏やかにしないといけないかな。そうだ。今度、朋也くんに手伝ってもらおうかな、とか考えてから頷いた。 鬱陶しいくらいに雨ばかり降っていた梅雨は終わり、季節は夏へと一直線。と、そんなことを考えていると、チャイムの鳴る音。彼女……一ノ瀬ことみは軽快に、とてとてと音を立てて玄関へと向かう。 「おはようございますなの」 「おはようことみ」 律儀に、約束の時間よりちょっと早めに朋也……岡崎朋也はやってきた。そんな朋也を待っていたことみは、笑顔でご挨拶。今日の服は少しお洒落に白いドレス風のワンピース。その服は、朋也が前に可愛い、似合ってると云ってくれたから、ことみのお気に入りになっていたのだった。ちゃんとシャワーも浴びて、長くて艶のある髪も丁寧にとかして、お粧しはばっちり。あとは、とびきりの笑顔を見せるだけ。そこまで準備は整っていて、見事に大成功。 今日は日曜日。何をするわけでもないけれど家に来てと、ことみは朋也に云ったのだった。朋也に上がって、と云ってからリビングに案内する。既に紅茶とコーヒーと、ちょっとした茶菓子を用意済み。おかわりもご自由に。 朋也にソファーに座ってもらってから、ことみも続いて横にちょこんと座る。ソファーの前には小さなテーブル。その上には、二つのお揃いグラス。もう暑い季節に入るから、と云うことでお茶のメニューはホットからアイスに変更済み。 「朋也くんはコーヒーなの? それとも紅茶?」 ことみが首を傾げながら問う様は、いたいけな小動物っぽかった。朋也は特に拘りがなさそうだけれども、とりあえずとばかりにコーヒーで、と云った。ことみはアイスコーヒーをグラスに注いでいき、ガムシロップとミルクの小さなカップをスプーンと一緒に置いた。 「今日は、どこか行く?」 朋也は何となく云った。今日はどうするか、まだ何も決めていなかったから。けれど、決めるまでもなかった。朋也は今日の約束をする時に云った。今日は……日曜日は一日、ことみの好きにしていいぞ、と。だからこそ、ことみは朋也の一言に、ふるふると頭を横に振った。 それを見て、朋也も納得したのだろうか。今日はのんびりした一日になりそうだ。退屈かもしれないけれど、それでもいいや、と思った。何しろ隣にいるのはことみなのだから。ただ一緒にいるだけで、何となく不思議な、ほんわかした雰囲気にさせてくれる娘だから。決して苦痛を感じるような退屈ではなく、とっても楽しい退屈なのだった。 「一緒に、ご本を読むの」 「はいはい」 朋也は笑う。やっぱりそうだろうと思った。なのでそれに合わせておすすめは? と聞くと。 「……」 ことみは何冊かぶ厚いハードカバーの本を差し出した。それぞれについて熱心に、面白いのと説明するけれどあまりにも難解な内容で、朋也にはちんぷんかんぷんだった。 「ま、いいや」 適当に、置かれた本を一冊取ってみる。タイトルは『一般相対性理論』とか何とか。まあ、意味がわからなくてもいいからとりあえず少しだけでもとばかりに読んでみる。無理矢理にでも。いやもう、こうなれば意地の問題だ。悔しいから十ページくらいは頑張る。一般人の底力を見せつけるチャンスだ。と、そう思うも、すぐさま眠気がこみ上げてくる。無理もないこと。耐性がなさ過ぎるのだから。 その横でことみは何だか楽しそうに本を広げる。一緒にいるだけで幸せ。そう思っているのは間違いなし。だからこそか。まあいいかと、朋也がそう思うのは何度目だろうか。 朋也は頑張って起き続けようと思いつつもあくびが出て、睡魔は強まっていく。まあ、まだ朝だし、夕べは夜更かししたし、今日は日曜日だし。眠いのは当然のこと。言い訳でもあり、正当な理由でもあり、寝てしまったらことみに言い訳してみるか、と思った。……で、その数分後、案の定彼は目を閉じていた。 いつからだろう? 二人がソファーに腰掛けてからずっと存在していたはずの隙間。僅か三十センチ足らずの間隔がなくなっていた。そして互いに半袖の上着だから、むき出しになっている肌同士がくっついていた。 それに気付いたのか、ことみはふと本を読むのを止め、隣を見てみる。そこにはくーくー寝息をたてている朋也。何だか可愛いの。と、ことみは思ってくすっと微笑む。そして、もう少しだけ近付いてもいいかな、と思いながら朋也に寄り添う。……その瞬間を見計らったように、可愛らしいアクシデントは起こるのだった。 「……っ! ……っ!」 朋也の体がころんと崩れ落ちるようにして、ことみの方に寄りかかってきた。ことみは慌てて押さえるけれど、逆にそれが災いしたのか、かえって朋也の体は支えが効かなくなってしまって完全に倒れ込む。ことみは結局、ソファーの上に押し倒されてしまった。 「……わ、わっ。……っ!! 〜〜っ!」 目の前には朋也の顔。僅か数センチの差。目と目が合うけれど、朋也は今も夢の中。瞼は重く、閉じていた。 「ん、ん。んしょ……」 この状態はあまりにも恥ずかしいから、朋也の体を起こしてあげようとするのだけど。ことみが両手に力を入れようとした瞬間、第二のアクシデント。 「……っ!!」 偶然? もしくは必然? 朋也とことみの唇同士が軽く触れ合ってしまった。目を閉じる余裕もないくらいに突然のこと。 「……ぁ」 ことみはか細い声を上げる。もちろん誰も見てはいない。この空間には二人だけ。朋也に至っては意識を失っているけれど。それでもことみにはキスの瞬間、目を閉じずにいるのがとてつもなく恥ずかしく思えてしまった。 「いじめる?」 誰にともなく云ってみた。もしかして朋也は本当は寝ていなくて気づいていて狸寝入りをしていて、それでわざとことみを恥ずかしがらせて楽しんでいるんじゃなかろうか、などと思ってしまう。いたずらっぽくて冗談好きな彼のことだから尚更。 が……それはことみの被害妄想だったようで。朋也は相も変わらず寝息をたてている。本当に眠っているのだった。 (朋也……くん) ことみは両腕で体を縮めるようにして、ふっくらとした胸を押さえてみる。鼓動が早くなっていくのがはっきりと分かる。そして、それと共に……。 「好き……」 堪え切れない思いが無意識のうちに言葉になって発せられ、かすかに呟いていた。そして、すぐさまそれに気付いて、恥ずかしさのあまり目を閉じて朋也の体をぎゅっと抱き締める。が……先程と同じ柔らかな感触に、ことみははっとなる。思わず目を開けてみると? 「あ……っ! あぅ……あぅ……あぅ」 第三のアクシデント発生。またまた偶然に、二人の唇同士が触れ合っていた。やることなすこと全て裏目。ことみはどうしても恥ずかしさから逃げられなくてひたすら取り乱す。恥ずかしいけれど、けれど……これだけは確か。決して嫌なんかじゃない。むしろ、ずっとこうしていたい。そう思ったから……だから、今度はことみから。 「好き……なの」 今もまた、意識して出した言葉じゃなかった。ことみは目を閉じて、恥ずかしさを堪えながら朋也と唇を重ね合わせる。二秒、三秒……七秒くらい息を止めて、いとおしい温もりに身を任せてから離す。ちょっぴり悪いことをしている気がしてしまいごめんなさい、と心の中で思いながら。 それからまた、頬を赤らめたことみが目を開けると……。 「あ……」 朋也がきょとんとした表情で、目を開けていた。 「ことみ?」 「あ……あ……あぅ。ごめんなさいなの……」 朋也は今の状況を理解していないようだった。今まさに目を覚ましてみたら……気がついたら、ことみをソファーに押し倒していた。これは一体どういうことなのだろう? 無意識のうちに何かいけないことをしてしまったのだろうか? 「いや。このシチュエーションはどう見ても謝るのは俺のようなのだが」 「ち、がうの……。ただ……その……」 「ただその?」 朋也はことみとキスしていたことについては気付いていないようだった。けれど、ことみはつい口走ってしまう。 「き……す。しちゃった……の……」 これぞまさに藪蛇状態。 「へえ」 ことみは意外に大胆なんだな、とでも思ったのだろうか。朋也は少しだけ惚けたような表情になった。 「ご、ごめんなさいなの!」 慌てふためくことみ。とてつもなく悪いことをしてしまったような、そんな気になっていた。 「朋也く……んんっ!」 そんなことみの唇を、朋也はふさいでいた。ことみは呼吸を止めるくらい驚いて、言葉を失う。 「何も悪くないぞ」 「っ! あ……」 「ことみは可愛いな」 「んっ! あ」 朋也の逆襲。キスの連続攻撃は続く。あまりにも恥ずかしくて、ぽろぽろと涙がこぼれてしまった。ソファーの上をころころと転がってはキス。猫同士がじゃれ合うかのようにキス。何度も何度も執拗に。ことみは一方的に唇を奪われて、翻弄されるのだった。 「朋也く……。あ……んっ」 …………
……そうして一緒にお昼ごはんを作って食べて。今度はバイオリンの発表会。いっぱい練習した成果をお披露目。二人だけの小さな発表会。のんびりとした一日は、あっと言う間に過ぎ去っていく。 「さようならなの」 「また明日な」 部屋の中が夕日の色に染められる頃。朋也は帰って行った。ことみは晩ごはん、食べていってと云ったのに、遅くなるからと朋也は断ったのだった。ちょっと残念。 まだ夕食までは早いから。ことみはまたリビングに戻ってソファーに腰掛け、本を取り出して読み始める。でも、どうしてだろう? いつもは楽しくて、時間を忘れるくらいに夢中になって読み耽るのだけど。 「……」 その時に限って、あんまり楽しくなかった。今はたまたまそんな気分じゃないのかもしれない。じゃあ、と云うことで代わりに、バイオリンの練習をしようかと思ったけれど。 (楽しくないの) 少し引いただけで、止めてしまう。正確には、引こうとしただけで腕が止まってしまった。 仕方がないのでバイオリンをしまって、ぼーっと窓の外を見ると。丁寧に整備された庭が目に入る。時折朋也がボランティアと云うことで手入れをしてくれている庭。空の色……夕暮れは段々と群青色に変わっていく。 「……」 この家には時折友人たちが遊びにやってくる。藤林姉妹に古河渚。そして朋也。さらにいつも悪態をつきながら、春原陽平もたまに来る。賑やかで、楽しい人達。綺麗な庭でホームパーティーを開いたり、今日みたいに朋也を呼んでのんびり過ごしたり。でも、今は誰もいない。 ……寂しい。ことみはそう思った。わけもなく一人でいるのが悲しくなってくる。これから一人で食事を作って食べて、一人で御風呂に入って、一人で眠る。至極当たり前のことが、とても寂しく感じる。 また明日、と朋也は云った。すぐにまた会えるから。だから寂しくなんてないはず。ことみは自分自身に言い聞かせて、何かに負けないように目を閉じる。少し強くならなきゃ、朋也に嫌われてしまう。寂しさなんかよりその方が怖かった。だから、頑張るの、と心の中で思った。 と、そんなとき。チャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう? そう思いながら玄関に向かう。 「あ……」 無防備にドアを開ける。そこには……。 「よ、よぉ」 気まずそうに頭をかく朋也。実の所家に帰ったはいいが、何だか分からないけれどとても寂しい気分になってしまって飯を作る気も失せてしまい、迷った揚げ句結局ことみの所に戻ってきてしまったのだった。最初からご一緒させてもらえばよかったと激しく後悔。 「いやその。……やっぱり、晩飯もご一緒させてもらえないかなー、と。だめか?」 「……」 ことみは何も云わなかった。言葉が出てこなかったのだから。 「ことみ? おーい。ことみー。ことみ……ちゃん?」 朋也は明るくことみの名を呼ぶ。だめなわけがない。『晩ご飯をご一緒させて』と。それは朋也の本音ではないけれど。ことみにはどうでも良かった。ただ、堪え切れなくなった思いをぶつけるように、寂しさを振り払うかのように、朋也に抱き着いた。 「……っ!」 「わっ」 電灯もつけていなかったので、暗くなる一方の玄関先。けれど、悲壮感はまるでなかった。 「……なの」 「え?」 顔を伏せていたことみは呟くように、小さな声で云ったけれど、朋也には聞こえなかった。朋也は問い返すけれど、ことみは云わなかった。ことみはただ、背伸びして朋也の顔を見上げ、潤んだ目を閉じる。それを見て朋也はことみが何を云ったのか悟ったのか、空気を読んだのか、それ以上突っ込んだりはしなかった。 「俺も」 ただそう云ってから、ことみにキスをした。 辺りはすっかり闇に包まれて、夜が訪れる。 (好き……なの) 恥ずかしさなんか気にしない。心の中で何度もそう思う。 暖かくて優しい温もり。……もう、寂しさなんかどこかに消えてしまったのだった。 ----------後書き----------
甘ったるいほのらぶもんを書くなら、ひらがな三つでことみちん。CLANNADではそんな風に感じます。 逆に、はーどえっちもんを書くとしたらやっぱり……杏か!? 最近。鍵にエロはいらない、とかどこかのブログで書かれていたのを見たけれど。当方はえろまっしぐらで我が道を進むでありますよと云おうと思ったけれど今回は珍しく非えろだったりする。まあ、たまにはいいかもしれませんね。たまには!w
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