【温もりと共に】





それでもいいさ…と。いい加減なくらい簡単に、自分は云った。

普通であるということ。

そうでないこと…。

そんな、どうでもいいような、些細な事象でさえ気にしてしまう愛しいヒト…。

どうでもいいんだ、と。

ただ、そのヒトが側にいてくれれば、それだけでいい。と。

忌むべき過去も、寒かった冬の日も…今はもう、辛くはないから。

けれど。

そのヒトの声が、届かない時も…あるから。

だから、だから……。

僕たちは今日も、唇を重ね合わせる……。





ゆさゆさ…ゆさゆさ。彼の、今現在の有視界は限りなく狭くとも、知覚は問題なく感知してくれている。
「祐一。祐一〜っ」
「あンだよ。朝っぱらから」
今は日曜日の朝。普段から早起きの祐一にとっては、極めて自由な時間を過ごせる『至福の一時』…と、なるはずだったのだけれども。暗い室内を照らす春光のような彼女に、まぶしさを堪えられないようである。
「朝だよ〜。今日はとってもいいお天気だよ〜」
「だから何だ」
ここしばらくの恒例行事と化している、騒がしい二人のやりとり。週末の朝は必ずと言っていいほど、彼女、名雪がやってくる。
「気持ちいい朝だよ〜」
笑顔のままゆさゆさと、布団に覆われている男の身体を揺らし続ける名雪。スラッとした、スタイルの良い美少女…というのが彼女の第一印象なのだけれども。
「大丈夫だ。昨日も一昨日もその前も、いいお天気だったさ」
「昨日は曇りで、一昨日は雨だったよ〜。祐一〜、祐一〜」
第一印象とは裏腹な、極めておっとりした声と表情のまま、ゆさゆさと飽きることも無く…。延々と揺さぶり続ける。
「ああ、うるさい。あと五時間くらいは寝させろ…。俺にはその、優雅に睡眠をむさぼれるという確固たる権利が有るはずだ…」
祐一の台詞はだるそうに、冗談に聞こえるが、現在時計の針は五時半を差している。
「ゆういち〜♪ ゆういち〜♪」
「日本国憲法には睡眠権というものがあってだな。お前は今、それを侵害しているのだぞ…」
寝ぼけている…風でもなく、これが祐一の本来の姿なのだろう。
「そんなの聞いたことないよ〜。祐一〜」
ゆさゆさ、ゆさゆさ…。スラッと細く、白い手で、自分に背を向けて眠る祐一の肩を何度も何度も、無邪気な子供のように揺らす。
「ゆ・う・い・ち〜♪」
ゆさゆさ、ゆさゆさ、ゆさゆさ、ゆさゆさ。名雪は、いっこうに起きない祐一に苛立つわけでもなく、むしろそれを楽しんでいるかのように。
「あさだよ〜。あさ〜。起きようよ〜」
「うがぁぁあっ! お前はさっきからうっせぇんだよっ! あっちいけ〜〜〜〜〜ッ!」
さすがの祐一も堪忍袋の尾が切れたのか、大きな声を張り上げて名雪を追い払おうとする。………が。
「あはは。祐一、起きようよ〜。起きて、お散歩しよ♪」
名雪は全く動じずに、笑顔のまま、ゆさゆさと揺さぶり続ける。
「う・る・せ・え・ん・だ・よォーッ!」
「きゃっ」
本気で怒ったのか、あるいはこれも愛情の裏返しなのか、それは定かではないけれど。ゆさゆさと祐一の身体を揺らしていた、名雪の手を乱暴に掴んで、思いっきりベッドに引きずり込んだ。
「人が折角気持ちよく寝てるのに……。邪魔するヤツはこうだっ!」
「うにゅ〜っ! ゆ、ゆういちぃ〜っ!」
祐一は力強く起き出して、布団と毛布をぐるぐると名雪の身体に巻き付け、拘束してしまった。
「ら、乱暴だよぉ」
「うるさい黙れ。ふ………ふぁぁぁぁ〜。ったくもう、こんな時間に起こしやがって……」
名雪は引き続きジタバタと手足を動かしてもがくものの、力の差は歴然としていたから。そのまま簀巻きにされてしまい、身動きできなくなってしまった。
「ふぅ。これでゆっくりと眠れ………眠れ………ない、な」
それもそのはず、名雪を拘束するために布団を使ってしまったのだから。あくびを連発させ、目を擦りながら、祐一はベッドの中の少女を見下ろした。
「ゆういちぃ〜。放してよぉ〜」
春先の日差しが入り込んではいるものの、朝方はまだまだ冷え込む。そんな時期だった。
「ふにゅ〜。くるし〜よぉ〜」
「やかましい。ガキじゃないんだから、朝っぱらから騒ぐんじゃないわ」
呆れた顔をしながらも、名雪の身体を解放してやる祐一。タマネギの皮を剥くようにして、布団を解いていってやると。……健康的な素足と共に、白い下着がちらっと見えた。……といっても、名雪は全く気付いていないようだが。
「祐一が悪いんだよ。折角、いいお天気なのに起きないから…」
「あのなぁ。頼むから、休みの日くらいゆっくり寝させてくれ。何時だと思ってるんだ」
「うにゅ……」
普段だってそんなに早起きをする必要はないのだけど。
「だって……」
「だってじゃない。こんなんじゃ身体が持たない」
流石にちょっと罪悪感を感じたのか、しょぼんと落ち込む名雪。それもそのはず、低血圧な名雪は、極端に朝が弱く、普段から遅刻ばかりしていたのだから。
「祐一と遊びたかったんだもん…」
シュンとなって、ちょっぴり寂しそうな表情のまま答える。
「そんなの。いつだってできるだろ?」
「できないよっ」
ちょっと拗ねたように、唇をへの字に歪める。
「できるったらできる」
「できないよ〜!」
「できる」
「できない〜!」
子供の押し問答のようなものは、次の刹那には終わっていた。
「聞き分けない娘は、こうだっ」
「んにゅっ!」
ぷちゅっという、柔らかい感触と共に………。
「ゆうい…ち」
軽いキスだけど、互いの温もりを感じるにはそれだけで充分なくらい。
「かわいいな。名雪は」
「う……嬉しいけど。なんだか恥ずかしいよぉ」
子供のような、無邪気な表情をしながら。真っ赤になってしまう。
「名雪」
「…うん?」
嬉しさと、恥ずかしさ。笑顔と、恥じらい。……二つの感情がミックスした表情で。
「パンツ見えてるぞ」
「えっ?」
慌てて我に返り、云われた所を見てみる…と。
「きゃっ! ゆ、祐一のえっちぃ〜〜〜っ!」
押し倒された拍子にまくれ上がってしまっていたスカート。その下には、健康的な素足と…清潔な、白い下着が見えていた。
「見たんじゃなくて見えたんだっ!」
「知らないよ〜〜〜っ! えっち〜〜〜っ! ひどい〜〜〜!」
「ああ見たさ! 悪いかっ!」
「悪いよ〜! ひどいひどいひどい〜〜〜っ!」
開き直る祐一と、恥ずかしさに真っ赤になりながら抗議する名雪と、二人延々と口論を続けていく。
「今日は白だな。それも、レースのなかなか上等のやつだ」
「ひどい〜〜〜っ! 私、もうお嫁さんにいけないよ〜〜〜っ!」
「心配すんな。俺がもらってやるから」
「う〜っ。…嬉しいんだけど、嬉しくないよぉ」
おのろけも交えた会話が続いていく。これが水瀬家の休日…の、朝。……今日も賑やかなのだった。
(やっぱり、楽しい方がいいよ♪)
口論をしながらも、僅か数日前のことを思い出した名雪は、心の中でまた笑った。





一人はイヤだ。

寂しいのはイヤだ。

悲しいのもイヤ。

忘れられてしまうのも、イヤだ。

ただ、温もりが欲しいだけなのに。

凍えそうな風にも。

凍てつく夜にも。

暖かく、包んでくれるような…温もりが。

躾の悪い子供のように

駄々をこねるのは

『欲しい』から。

ただ、それだけなのに…

それだけのことが、云えなかった……

勇気の無い私…。





月明かりもない、暗い夜に。
「う…う……」
膝小僧を両腕で抱え込み、体育座りのような格好で部屋の隅にうずくまる。
「怖い。怖いよ…………」
カタカタと、小刻みに身体を震わせながら、誰にともなく意思表示を見せる名雪。
「嫌…。嫌……イヤ……………いや」
わけもなく、意味もなく、ただ…云いようのない恐怖感を感じてしまうから。
(私って、何なのかな?)
壁一枚隔てた向こうには、祐一がいる。それなのに、自分は…。
(甘えて。甘ったれて……。頼り切って………。祐一に………私は……)
口では言うこともできないような、意味不明な不安に、恐れおののいている。
(やだ…。やだぁ。こんな……の)
メソメソとすすり泣く自分がたまらなく情けなく、滑稽に感じてしまう。
「う……う……」
母こと、秋子が事故に遭ったときと同じ条件だからか。
(お母さんは……大丈夫なのに。ただの検査入院なのに……)
暗闇に怯えつづけてから…どれほどの時が経つのだろう。
「こわいのは……いやだよ」





怖いのはイヤだよ。

寂しいのも、嫌…。





ふぅ。と、彼女にしては珍しい、陰気っぽい溜息。
(ん……? 私、夢の中で夢見てた……?)
名雪は、教室の自分の机に突っ伏したまま眠りに落ちていた。
(もうこんな時間…)
夕暮れ時…。鮮やかなオレンジ色が、教室中を照らしている。
(私…。祐一のお荷物になっているんじゃないかなぁ)
「どうしたのよ。名雪っ」
笑顔と共に、ぽんっと力強く名雪の肩を手の平が打ち付けた。
「あ、香里」
「もう。名雪ったら、最近おかしいわよ」
明るく活力に満ちた笑顔は、今の名雪には眩しすぎるようで。
「そんなこと………ある、かも」
「ま。おかしいのは前からだけどねー。相沢君も、呆れて行っちゃったわよ。あんまり起きないものだからね」
香里自身も呆れたのか、じっとりと目を細めながら見つめる。
「そう…かも」
「何だかね。名雪らしくない」
「そう………かも」
更に呆れたのか、ばっさりと言い切った。
「は〜。事情はよく分かんないけど、相沢君に相談してみなさい。そうすれば、名雪の悩みは大抵解決するんだからね」
「そう………………かな」
その答えを聞いて更に更に、どうしようもないな〜と云うくらい深く呆れた香里は…。
「あのねぇ。あんたが信じないでどうするのよ!」
「そう、だよね…」
「相沢君は名雪のことを誰よりも想っているのよ。こんなとろくて鈍くてマイペースな名雪のことをね」
(わかってるよ。そんなことくらい)
美坂香里という人物には、名雪の煮え切らない態度は不快に思えるようである。
「ま、いいわ。事情は人それぞれ。いろいろあるんだろうしね」
付き合ってられないわと云わんばかりに鞄を持ち、教室を出ていこうとする。
「…栞ちゃんと帰るの?」
「そうよ」
いろいろあったけど、今までできなかったことができるようになったから…。そう云って笑顔のまま出ていく香里を、心底羨ましく感じながら…名雪はしばらく座り込んでいた。
(どうして祐一は、そんなに優しく笑えるのかな……?)
理由が知りたい。先程見た、香里と同じタイプの…祐一の、笑顔。
(つらい…よ)
身体を夕焼けに染められながら、また一つ溜息をついた。





こんな私でいいのかな?

そんなお前だからいいんだよ。

どうして、そんなに優しいの?

優しくなんかしていない。これが俺の自然。

ふぅん。そおなんだ

そおなんですよ。

私…ずっとわからなかったよ〜。

ん…。自然だから、戸惑うこともない。

そっか。自然なんだ。

そ。自然だ。

じゃあさ……。

何?





暗い闇の中で二人、素肌を重ね合わせながら…。
(もっともっと甘えても、いい?)
(勿論。だって、それが名雪の自然。…摂理ってもンだろ?)
長く長く、何度も何度も……。
(そう、だね)
(そうさ)
くどいくらい、しつこいくらい。柔らかい乳房を愛撫しながら。
(こういうことって。触れ合うだけじゃ、分からないかもしれないけどさ)
(あ、………ん。でも、いいよ。こういうのって)
くすぐったそうにしている名雪を、更に追い込みながら問う。
(幸せ?)
(うん。幸せ。…んっ)
妙に甘ったるい感じの声を、祐一の耳に向けて囁く。
(安上がりだな。名雪は)
(そうでもないよ。だってね)
僅かばかりの勇気を総動員させて、ここに至っているのだから。
(はは。バカだな)
チョンっとおでこを突っついて、苦笑する祐一。
「うぅ〜。祐一のいじわる〜…」
冬眠を終えた野生動物のように、元気良くガバッと布団から這い出して、苦情を云いはじめる。
(大きな声だすなよ。秋子さんに聞こえるぞ?)
(あ……。そ、そうだった)
ムードのかけらもないけれど、再びもつれ合うようにして、二人は布団の中に潜り込む。
(だけどね。こういう瞬間って、結構好きだよ)
素肌同士が擦れあい、産毛の一本一本までが感じられる。
(はン。この好き者め)
(は…ウ…っ)
互いに多少えげつない感じの声を出しながらも、二人は絡み合い続ける。
(祐一の胸って、広いね〜……)
(痛い痛い。顎が当たってるって……。くすぐったくて、痛い)
仰向けに寝そべる祐一に覆い被さるようにしている名雪。顎を、祐一の胸に乗っけて、猫みたいにスリスリさせて。
(ふ〜んだ。私、好き者なんかじゃないもん)
(痛い痛い。拗ねるなって…。わかったから。悪かったから、許せよ)
ギュッ。痛いくらい強く、祐一の身体を抱きしめて。
(ご褒美くれれば、許してあげる)
(はいはい。わかりましたよ…)
軽いキスから、深いキス……。ゆっくりと、じっくりと……。互いに互いを、味わい始めた。
(もう。暗いのも、一人でも…怖くない)
永遠にも続くような、暖かな瞬間…。





(一人は嫌だよ…)

――君が云う。

(だったら、一緒にいよう)

――貴方が云う。

例えそれが、怠惰なことであろうとも。

(それでいいと思うよ)

堕落という事実であろうとも。

(そうだね)

微笑に、笑顔で答え。

(暖かいな。名雪は)

柔らかな愛撫を返す。

(祐一の身体。暖かい)

二人の、刹那の瞬間は

温もりと共に、あるのだから……。




















End
























(後書き)

この作品は、私自身が学生から斜壊塵となってから始めて書き上げた即売会用SSなのですが、いかがでしたでしょーか?
お話自体は三、四日程度で仕上がったので、小規模なものなのですが。やっぱり自分の属性キャラだからか、名雪と祐一のお話は何度書いても面白いですねー。
その点、Kanonアニメの最終回は非常に納得がいかないところだったので。「ならば自分で書くしかないなぁ」という気分になれたのでした。
名雪派の人間としては……ありゃーないでしょうにと思いましたよ〜。なんぢゃー! あの滅茶苦茶な展開はー! 散々引っ張っておきながら最後にあれは喧嘩売っとんのかー!(--#)
……っと、最初っから地雷っぽかった作品に対する愚痴はともかくとして(爆)
今回はちょっぴりえっちなシーンもありましたが、それはまぁ…ドラマのベッドシーンみたいな感覚で、一般作向けにしておきました(^^;)
日常やら人間関係に溢れる、漠然とした『不安』みたいなものを、ちょっと書いてみたつもりでした。
物語はハッピーエンドで終われるけど、現実というのはその先、続きがあるもの…なーんて事を云いたいなーと思ったので。
ちょっと、リアルっぽいお話になっちゃいました。

ここからは少し個人的な近況報告ですが。
学生やってようが就職しようが仕事してようが何だろうが、同人活動は続けていくだろうしHPは更新していくつもりですので。
今後ともお付き合いいただけましたら幸いでありますm(__)m
それではまた、夏(?)あたりにお会いしましょう♪


※この作品は、コミックレヴォリューションで発表したものです。