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桜乃の好奇心










「ぱんつ、ぱんつ、お兄ちゃんのぱんつ」

 それは瓜生家の平和な一時に起きた。

 桜乃が兄新吾の部屋にて、干し終えた洗濯物を一枚ずつ丁寧に畳んでいる時のことだった。畳む度に桜乃は男物の(割とお気に入りな)下着をまじまじと眺め見て、心の中に熱き思いがふつふつと込み上げてくるのを自覚していた。それは子供が持つようないたずら心にも似た、あるいは欲望にも似たちょっとした好奇心だった。

 桜乃は興奮していたようで、思いを口にした。

「穿いてみたい」

 丁度いい具合に新吾はただ今外出中。今、辺りには人の気配は全くない。桜乃の心の中に穿いちゃえ穿いちゃえと煽り立て誘惑を行う悪魔と、その行為はとっても非常識だよと必死に説得する天使が現れ、どこまでも平行線をたどる議論を重ね続けていた。が、勝敗はあっさりとついていた。

「誰もいない。穿いてみるなら今のうち」

 こうして良心たる天使はあっさりと負けてしまう。桜乃はおもむろに立ち上がり、片足を上げそれまで穿いていたショーツをするすると降ろしていく。

「いざ、参ります」

 ショーツが完全に脱げたところで、桜乃はついに禁断の行為へと挑むことにしたのだった。……いつのことだったか、桜乃は新吾に云った。男性用の下着は女の子のそれとは違い何だかとっても楽そう、と。そんなことを云う桜乃に対し新吾は戸惑っていたのを覚えている。元から変わった娘と云われる事はあるけれど、自覚をしたことはあんまりなかった。

 カラフルで、色んな柄があってお洒落でいいな。桜乃が選んだのはさわやかな青い色をしたトランクスだった。

 掴んだトランクスに両足を通し、ぐいっと上まで持ち上げる。

「装着完了」

 そして両手を腰に当て、姿見を眺め見る。しかし……。

「スカートが邪魔」

 せっかく穿いたのにスカートに阻まれて何も見えない。桜乃は無言のまま野暮なスカートのホックを外し、脱ぎ去る。こうしてぱんつを覆う邪魔な布地は完全に排除されたのだった。

「今度こそ大丈夫」

 こくんと頷き、改めて姿見を眺め見る。とってもいい姿だった。

「うっとり。……癖になりそう」

 ちょっとの恥ずかしさにほわぁと頬を赤らめつつ、何か嬉しいので微笑していると、あるものの存在に気付く。

「やっぱり男性用」

 股間前面に当たる所に隙間があり、ボタンで止めてあった。つまりは、男性が用をたす時に使われるものを表に出すための穴。そういうものがあると云うことは、自分でもしてみたくなる。というよりも、しなければいけない使命感に晒される。女の子だからできないでしょ、等と誰かからか馬鹿にでもされているようで、そんなことはないと反論したくなるのだった。負けられない戦いが、そこには存在していた。

「レッツチャレンジ?」

 いや、さすがにそれは無理かと頷き納得し、目を伏せる。しかし、いつの日か……。これがきっと、野望というものなのだろうと桜乃は思った。

 さて、名残惜しいけれどそろそろ脱がないとまずいかなと桜乃が思った時のこと。

「桜乃?」

「……既に手遅れ?」

 少し開いていたドアの向こうには、大好きなお兄ちゃんの姿。新吾がいつの間にか帰宅していたようだった。

「寝ているかなと思って、物音をたてないようにしていたんだけど」

「お心遣い、ありがとうございます」

 桜乃は夢中になっていたので、わずかな物音等意識に入ってはいなかった。

「完全に気配を消すとは、お兄ちゃんは忍びの修行を積んでいるのでしょうか」

 と、冗談でごまかそうとするけれど遅かった。

「積んでいないけど、何を穿いているのかな?」

「ぱんつ」

 嘘は云わない。素直に答える。

「うん。確かにぱんつだね。誰の?」

「お兄ちゃんの」

「うん。確かに俺のだね。で、どうして桜乃が穿いてるの?」

「穿いてみたかったから」

 こうして異様な雰囲気のままの会話は終わりを告げて……欲しいなと新吾は心底思った。

「脱ぎなさい。今すぐ」

「うん。脱ぐ。今すぐ」

 云われた通りにいそいそと脱ぎ始める。

「ああちょっと待った! 脱ぐのは俺が部屋から出てからっ……」

 しかし桜乃の手は急には止まらない。それを見た新吾は慌てて桜乃のほっそりとした手首を掴んで止めようとする。

 そしてその瞬間だった。

「桜乃〜。何してんのよ……」

 ドアの向こうから桜乃とは別の女の子の声が聞こえる。聞き慣れたクラスメイトの声。瀬名愛理の声。きっとまた、みんなで遊びに来たのだろう

「あ……」

 新吾は、背筋に冷たい汗が一筋流れ落ちるのを自覚した。これは非常にまずい状況なのではないかな、と。

「愛理」

 あくまで冷静な桜乃。新吾の予想は完全に的中する。それはまさしく決定的瞬間だった。

「な、な、何やってんのよおお〜〜〜〜〜っ! 新吾の変態〜〜〜〜〜っ!」

 恥じらいで顔を真っ赤にした愛理の怒声が瓜生家に響き渡る。義理とは云え、妹の下着を脱がそうとしているように見えたのだから。更にそれだけじゃなく、スカートを脱がし終えて半裸にして、更に更に何故か男性物下着をはかせているのだから。

「ちょっと待て! ご、誤解だ!」

 定番の言葉を叫んで事態の沈静化を図る新吾。だが……愛理の背後にいる人物がそう簡単に終わらせてくれるわけがないのだった。

「だ、旦那様、ご趣味がとてもマニアックなのです! 半脱ぎ状態でしかも男性用トランクスをはかせて脱がせようとしているなんてさすがですが、アンジェは全然気にしないですから任せてくださいませ!」

 火に油を注ぎまくるメイド娘、アンジェがいた。更に……。

「ふーん。新吾君ってそういうのが好きなんだねー」

 にっこりと微笑んでいるみう先輩。軽蔑する訳でなく、物好きな人間を見る訳でもなく、心の底から素直にそう思っている目だった。





…………





「というわけで――」

 目を伏せ、桜乃は頷く。

「どうしてこういう状況になったのだろう」

 新吾はもはや諦めたようにため息をつくが、今回は突っ込みを伴った。

「それはこっちが聞きたいわよ! 何よこのマニアックな格好は!」

 恥じらいを堪え、自棄っぱちになって叫ぶ愛理からの突っ込みだった。

「愛理」

 騒がず慌てず、とっても落ち着いている桜乃が愛理をなだめる。

「ああ、わかっているから突っ込まないで」

 自分も突っ込みを行える立場ではないのを理解しつつ、愛理は諦めたように云う。

 それもそのはず。桜乃を始めとして、愛理もアンジェもみう先輩も、ここにいる女性陣全員が下半身をほぼ剥き出しにして半裸。正確には、スカートだけ脱いだ状態。アンジェだけはメイド服のスカートを両手でたくしあげている。しかし決定的に異なる事は一つ。皆、瓜生新吾その人の男性用下着(=トランクス)を穿いているのだった。





こうなった理由は数分前にある。





 ――決定的瞬間を目撃された直後の風景。恥じらいのあまり赤面し、混乱した愛理が叫ぶ中桜乃はあくまで冷静だった。

『何を考えてんのよ! これじゃまるで、へ、変態じゃないのよっ!』

『誤解だ誤解! 俺の話を聞いてくれ!』

 ひたすらまくしたてる愛理に対し、新吾は必死に弁解を続ける。このような時の弁解は非常に苦しいものがあるが、強力な弁護人がいたので問題はなかった。

『愛理、濡れ衣。お兄ちゃんは120%悪くない。悪いのは私』

『そうなの?』

 首を傾げるみう先輩も結構冷静……と云うよりも、天然過ぎた故にあっさりと桜乃の言を受け入れた。

『そうだったのでございますか〜。大丈夫でございますよ。アンジェはどんな事実でも受け入れますから〜』

 アンジェも理解していた。……多分の誤解を含みつつ。

 桜乃はゆっくりと口を開いていく。

『あれは、そう。私がお兄ちゃんの部屋で干し終わった洗濯物を畳んでいる時のことでした』

 説明内容も口調も何故か昔話風。

『お兄さんの部屋で洗濯物を畳むこと自体がどうなのよ。それも、兄妹とはいえ男物の』

 突っ込みどころ満載で、いろいろ不満なのかぶつぶつとつぶやく愛理。

『まあまあ愛理さん。まずはお話を聞いてみましょうよ』

『そ、そうね』

 いまだ興奮覚めやらぬ愛理を笑顔でなだめるアンジェ。

『それは丁度、私がお兄ちゃんのパンツを畳んでいた時の事でした。黒、水色、赤色、灰色に縞柄。前から思っていたけれど、とってもきれい。もしゃもしゃしていて女の子の下着と比べて何だか楽そう。いいな。うらやましいな、と前から思っていたのです』

『……』

 センスというか、そういう考えに至ること自体がどうなのよ、と愛理は云いかけたけれど何とか堪えた。

『ふと気が付いてみると。お兄ちゃんはお出掛け中。私の手にはお兄ちゃんのぱんつ。家には誰もいない。穿いてみるなら今のうち。――というように、魔が差してしまったのでした』

『それで穿いちゃったんだ』

『それは穿きたくなりますよね〜』

 完全に納得したように、みう先輩とアンジェが笑顔で云う。愛理は脱力。なるか〜! と、声を大にして云いたいのだけど、段々疲れてきたのでやめておいた。

『こうして、その時から私の一人ファッションショーが始まったのでした』

 どのようなショーだったか、みんなが頭の中に思い描き始める。姿見の向こうに観客をイメージしてポーズをとり、時にモデル歩きをしてみたり、腰をくねらせてみたり、とにかく一人だけのアートな世界がそこにはあった。つまりはエアファッションショーということだ。

『しかしそこで想定外の出来事発生』

 桜乃の中でそのショーは大好評で進行していたのだったが、しかし予想外の出来事発生。それは予想より相当早く、新吾が帰宅した事に外ならない。そして、優しいお兄ちゃんこと新吾は桜乃がお昼寝でもしているのかなと思い、極力物音をたてず静かに二階に上がってきたのだった。

『それはまさに忍術のように静かで、全然気づかなかったのでした』

『桜乃。ノックもしなかったのは悪かったと思ってるよ』

 ふるふると桜乃は左右にゆっくりとかぶりを振る。お兄ちゃんが120%悪くないと伝えたいから。

『普通、自分の部屋に入るのにノックはしない』

『ごもっともでございます〜』

 アンジェがうんうんと頷いた。

『こうして私のいたずらこと一人ファッションショーは急遽中止を余儀無くされ、とっても常識的なお兄ちゃんによって、穿いていたぱんつを今すぐ脱ぎなさいと云われる事になったのです』

『まぁ、そうなるわよね』

 今更ながら愛理も段々呆れたようになってきた。この兄妹だったらありえそうなことよね、と理解してきた。

『それからどうなったの?』

 みう先輩が不思議そうに云う。

『私がぱんつを脱ごうとしたところで。お兄ちゃんは慌てた口調でおっしゃいました。俺の前で脱ぐな、脱ぐのは俺が部屋から出てからにしなさい、と。今まさにぱんつを脱ごうとしていた私の手を、お兄ちゃんは必死に止めようとしたのです』

 昔話風というよりも、段々ドキュメンタリー番組的な解説になっていった。

『なるほどです〜』

『そこであたしに目撃された、ということなのね』

『うん』

『そういうこと』

 桜乃と新吾が同時に頷く。

 とてもお騒がせな兄妹だった。しかし、それ以上にお騒がせな一言がこの後放たれる。

『じゃあ、折角だから新吾君に選んでもらおうよ。どの娘のぱんつを一番降ろしてみたくなるか』

 ぴしっと小さな稲妻のような光が部屋の中に確かに走った。天然ボケここに極まり。みう先輩による、桜乃の一人ファッションショーに対し、新興勢力の参戦計画発動。





…………





「さあ、選びなさいよ! 早く! 今すぐ!」

 ひたすらに生き恥を晒され続けている愛理。しかし、皆に遅れをとる訳にはいかず、流されるままこのファッションショーに参加することになってしまった。

「愛理。せかさない」

「旦那様。ゆっくり選んでくださいね〜」

 落ち着き払っている桜乃に加え、完全に楽しんでいる様子のアンジェ。

「へえ。男の子の下着って、こういう感じなんだね」

 状況を楽しみつつ、新たな発見に目を輝かせているみう先輩。

「選べと云われても……。どうしてこうなったのだろう」

 この中で随一の常識人で、一人審査員の新吾がため息をつく。

「お兄ちゃん。私のセクシーショットを見て欲しい」

 桜乃はポーズをとってみせるが、格好が格好だけに様にならない。

「さあ、旦那様〜! 遠慮なくずり降ろしてくださいね〜! そして片足に引っかけたまま激しい秘め事を始めるのです〜! とってもえろてぃっくですよね〜! わくわくしちゃいます〜!」

 アンジェも誘惑をしているようだったが、やはり様にはならない。

「新吾……お願い。早く……早くこの生き地獄からあたしを解放して……」

 泣きそうになってる……というよりも、既に目尻に涙をためて恥ずかしさに絶えている愛理。

「愛理ちゃん。嫌ならやらなくてもいいんだよ? 無理しちゃだめだよ?」

 みう先輩はやっぱり優しい。が、何かがずれている。

「っ! い、嫌じゃないです! でも……でもっ! 恥ずかしいのよぉっ! 何よこの格好は! どうしてこういうことになってんのよ! もうわけわかんないわよぉっ!」

「愛理ー。裸の付き合いだと思えば恥ずかしくない」

「裸より恥ずかしいわよぉっ!」

 桜乃がボソッと云い、愛理が突っ込んだ一言が新たな騒動を巻き起こす。

「と、云うことは」

「うん!」

 アンジェが閃き、みう先輩もそれに同意する。もはやあうんの呼吸。

「全部脱いじゃえばいいんですねー! ぱんつ以外!」

「そうすれば恥ずかしさも少しやわらぐと」

 愛理を除く三人は何度もうんうんと頷いた。この流れはもはや止められない。

「違ーーーーう! 違うったら違うわよ何よそれ! どうしてそうなんのよ! しまった! 墓穴掘った! も、もういーーーーやーーーーっ!」

 愛理は青ざめるが、拒否はできなかった。拒否した途端、ここまで耐えに耐えた恥ずかしさがすべて無駄になってしまうことに気付いたのだから。それは一人暮らしによって身についた節約癖故の呪縛。そしてそれだけじゃなく、ここでやめるということは他の三人に対し決定的な後れを取ることに外ならない。新吾を渡したくないと、そう思ってしまう。更なる生き恥に、愛理の叫びが瓜生家に響き渡るのだった。

 そうして、おもむろに服を脱ぎ始める少女たちによる、異様なストリップショーが始まっていく。

 その頃。主賓のはずなのに一人取り残されていた新吾。

「りゅ? うりゅ〜」

「ぱんにゃ。お前もか。お前もなのか……」

 いそいそと新吾のぱんつを被り、全身をすっぽり覆われたぱんにゃが嬉しそうに幸せそうに、うっとりしながらすりすりと擦り寄っていた。

 こうして、終わりなき勝負が延々と続いて行くのだった。










----------後書き----------

 あけましておめでとうございます。2010年もどうぞよろしく。

 ましろ色シンフォニー話第二弾。2010年初っぱなのお話がこれかいと、我ながら思うのでありました。



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