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#12 伊藤千夏 -ChinatsuIto-
誰にでもあることだけど、高校生の彼も例外なく明確な『悩み』を抱えていた。
高校生活も三年に入り、皆進路について色々と考えだしたりと慌ただしくなっていく。ある者は進学を考え、ある者は就職を考える。至極当たり前のことだけど、変化が訪れることに対する覚悟はそうそう簡単につくものではなくて。多くの者は漠然とした不安を抱くのだった。だからといって、特別に変わることなんて何もないのだけども。
……そんなある日のこと。毎日夜遅くまで受験勉強に励んで疲れ果てて、日曜日の昼近くまで寝ていると。
「おーーーい。隆ぃーーー。起きろぉーーー! もう朝だよーーー」
「あ、あぁ。あんだよ、千夏か……」
寝ぼけ眼の彼をみて、彼女はくすくす微笑んだ。
「そだよぉー。ボクだよぉー」
「ボク云うな。女だろが」
髪を二房にまとめて縛っている、いわゆるおさげ髪をした少女、伊藤千夏が入って来た。日曜日なのに、なぜか制服のブレザーを着て……。
彼女は彼のご近所さんで、幼なじみ。そして、通う学校こそ違えど、二年ほど前より付き合っている仲だった。
「ふぁ……。寝かせろよ。休日くらい」
「そんなこと云わないのー。いい天気だよー。ほーら、本日は晴天なり〜晴天なり〜ってね〜!」
天真爛漫、という言葉がぴったりの彼女は、無邪気でまぶしい笑顔を見せる。そして、片手にはグローブを二つもっていて、もう片方の手には、硬式のボール……。
「キャッチボールしよーよー!」
「わーったわーった。すぐ行くから外で待ってろ」
「うんっ」
そして、近くの河原に繰り出していく……。時計の針は既に十一時をさしていた。
「いっくぞぉーーー」
「おーう。こいやー」
小柄で華奢な身体で振りかぶって、投げた。意外に彼女のコントロールは良くて、彼のグローブにバシッという音を立てて吸い込まれる。
「おっ……。ナイスピッチ! そらっ!」
彼も負けじと、勢いよくボールを投げ返す。彼女も器用に受け取る。
「隆もナイスピッチぃー! そりゃーーー!」
それからしばらく、投げては投げ返し、投げては投げ返し……繰り返した。
涼しい風に、目映いばかりの日光。心地よい汗が流れるのを感じながら、キャッチボールを繰り返した。
「今日は、部活かーーー?」
びゅっと投げながら、彼女が制服姿なわけを聞いた。
「そだよーーー。引退前の引き継ぎーーー」
ばしっとグローブで受け取りながら、再度振りかぶって……。
「隆ぃーーー。隆は進学すんのーーー?」
云いながら、びゅっと投げ返す。
「よっ……と。したいけどなぁー。ウチ、貧乏だからなーーー。おらぁっ!」
トルネード投法で、背中を見せてぐるりと回転して、思い切り投げた。
「うひょぅっ! いいタマぁ! んーーー。そっかぁーーー」
スカートがまくれて白い下着が見えるのも気にせずに、彼女は振りかぶって。
「ラスト、いっくぞぉーーーっ! てーーーーーぃ!」
と、気合をいれて投げたけど……。勢い余り過ぎて……。
「おおーーい。どこ投げてんだよーーー」
「あっはっははははは。大暴投ぉ〜〜〜〜」
しなやかな肩は、思った以上にパワーがあって、ボールはあさっての方向にてんてんと転がっていった。
「ねぇねぇ、隆ぃー」
「何だ?」
転がったボールを追いかけてから、土手の草村に腰掛けて、近くの自販機で買ってきたスポーツドリンクを飲む。
「迷ってる、でしょ? 進路ー」
「あぁ。まぁ、な」
偏差値や模試の結果にはまるで問題は無かった。ただ、家の財政状況という切実な問題があって、簡単に進学とは云いきれなかった。
「国公立に入れればいいんだけど、な」
「ふぅーん」
彼と違って、明確に進学することを表明していて、準備は万全な彼女。
「まぁー。隆ぃー」
子猫のようにじゃれつく彼女。周りには散歩する人や、スポーツを楽しむ人もいるのに、そんなこと気にもせずに。
「どんな結果になっても、ボクは隆の側にいるよ〜」
「だーから。ボク云うなっての。ガキっぽいぞ」
「いーじゃんいーじゃん。ボクは自分の事ボクって云うのが合ってるんだからー」
「まぁ、どうでもいいけどよ」
彼女の云うことは本当だった。小学校中学校と同じ学校に通って、高校は全く別の所だった。普通に考えれば疎遠になっておかしくないのに、隣に住む彼女は毎日のように彼に会いに来たりした。
「というわけなのでー」
「のわっ!」
「悩むなぁ〜!」
ぎゅむーっと抱きしめる。彼が毎日一生懸命頑張っている事なんて、誰に云われるまでもなく知っている。だから彼女は『頑張って!』なんて、陳腐な事は云わない。子供のように見えて、大切な人の事を結構真剣に考えているのだった。
「おめーは本当に悩みがなさそうだな!」
「えっへへへ〜」
明るく元気に振る舞って、彼を困らせる。それは、彼女なりに彼を励ましている証拠だった。
彼女との楽しい関係は続く。別の学校に行っても、別の道を歩んでも、ずっとずっと……。
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