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#9 大野香織 -KaoriOono-



 それを云う時は、彼女も笑顔。
 『私の彼は、とっても食いしん坊さんです』
 ……とは、恋人を誰かに紹介する時の定型文だった。
「うまいうまい」
「あは」
 ひたすらぱくぱくぱくぱくと、ペースが緩むことはまるでない。彼の名は菊地。菊池信也くん。彼女からは名字で呼ばれている。
「おいしいおいしい」
「ふふ」
 天然な笑顔で、かれこれ十数分も食べ通し。
「で、でも……。菊地君……。わたし……もう、おなかいっぱいだよ〜」
 そのペースに付き合うことになり、おなかがとても苦しそうな彼女……大野香織さん。ロングヘアにお洒落なワンピースを着て、かなり気合が入ってるデートスタイル。
「え。そうなんだ」
 週末の夜には一緒に食事でも、ということで食べ放題のバイキング。二人とも学生時代に知り合って、社会人になってからもその仲は変わらない。
「菊地君は、まだまだ食べられるの?」
「もちろん!」
 彼は自信満々に云うのだった。
「うまいうまいうまいうまい♪」
(菊地くんって、ほんとにおいしそうに食べるなぁ)
 幸せ全開な彼は、とても可愛くて、見ている方もほのぼのしてくる。彼女は、食事をおいしそうに食べる彼を見るのが好きなのだった。彼がおいしいおいしいと云うたびに、楽しそうにくすくす笑っている。
(今度また、手料理ご馳走してあげよっと)
 付き合うきっかけになったのも、そんな些細なこと。彼の無邪気な笑顔にひかれたのだった。
「でも、でもぉ……。うぅ……」
 それでも、悩みはあるもので。
「大野さん。どしたの?」
「おいしいけど……おいしいけど……けどぉ」
 彼女には……というよりか、女性にとって切実な悩み。
「こんなに食べると、わたし……太っちゃうよぉ」
 大食漢な彼がいると、どうしてもそうなってしまうわけで。
「大丈夫大丈夫」
 太らない体質の菊地君はあっさりいうのだった。
「その分いっぱい運動すれば大丈夫♪ 俺も協力するから、ね」
「そんな簡単に云うけど。……っ!」
 そこでハッとなる彼女。
「菊地くん……まさか、それってそれって」
 それはもはや、説明不要な行為。
「うんっ♪」
 彼は恥じらいもせずに云い切った。
「いっぱいしようね」
 それも、無邪気な笑顔で云うものだから。
「はう〜〜〜っ!」
 真っ赤になる彼女だった。



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