Back



#11 本山忍 -ShinobuMotoyama-



 冬の長雨はしとしとと、どこか陰鬱さを感じさせるような、そんな暗さがある。
「ふぅ……」
 かれこれ三十分。民家の軒下にて雨宿りを続ける彼、野村勇二には特にそう思えるのだった。
(傘、もって来るんだった。失敗したなぁ)
 時はもう、夕方を越して辺りは真っ暗。誰も通らない通りに一人。真に孤独な時間に身を置くことを余儀なくされていた。
 華奢な身体にひっついたシャツが鬱陶しく、肌寒く感じられる。
(何か……。寂しいな)
 心の底からそう思った。傘を差した彼女がたまたま通りかかるまでは。
「あら?」
 長くて艶のある黒髪に、同じように丈が長めのスカート。
「あ」
 彼と同じ学校の先輩。一年生の彼に対し、彼女……本山忍は三年生。
「こ、こんにちは。……じゃなくて、こんばんは。本山先輩!」
 互いに面識はあった。文化祭の実行委員会で一緒だった。彼女は実行委員長で、彼はクラスの代表。何度となく話をした間柄。ただそれだけ。互いに互いのことを知っているといっても、その程度。文化祭もとっくのとうに終わった今、殆ど会う機会はなかった。
 もっとも、彼にとって彼女の存在は特別なものなのだった。成就するわけもない憧れ、という名の。
「野村君。こんばんは」
 くす、と微笑して挨拶を返してくれる。端から見ると、姉と弟のように間違われそうな二人。
「傘、持ってこなかったの?」
「はい。急いでて、朝の天気予報見るの忘れちゃって」
「そうなんだ」
 物腰がおっとりとしていて、とても優しい。……彼女はいわゆる育ちのよいお嬢様、ということを彼は知っていた。
「じゃあ、一緒に入っていかない?」
「え……」
 意外な一言だった。
「確か野村君の家は、私と同じ方向よね?」
「え、ええ。そうですけど……」
 僕が彼女と一緒に帰るなんて、いいのかな。等と思ったのだけど。
「それじゃ、行きましょ。……それとも。私と一緒の所、誰かに見られたりしちゃったら、困る?」
 もし彼に彼女がいたら、迷惑かしら? と、聞いているのだった。どことなく古風な、今時珍しそうな、そんな性格。
「こ、困りません! 大丈夫です!」
 むしろ大歓迎。彼には彼女などいないのだし、そもそも彼女が彼の好きな人なのだから。
「あ、か……傘。持ちますね」
「ありがと」
 さっきまで、暗くて陰鬱でやたら寂しさを感じていた雨も、彼女と一緒だと途端に楽しい雰囲気に変わる。
「先輩はどうしたんですか? こんな時間に」
「実行委員会の引き継ぎで、遅くなっちゃったの」
 もう三年生で、彼女はその座を降りるから。
「そう、なんですか」
 そんなに遠くないうちに、彼女は卒業してしまう。既にもう、学校に来る機会自体が減ってきている。そう思うと、彼は居ても立ってもいられなくなって。
「じゃあ、僕。……来年も実行委員になって、文化祭盛り上げます!」
 彼女が頑張って盛り上げた以上に、と彼は思った。
「ふふ。頑張ってね」
 楽しい一時はあっという間に過ぎ、曲がり角に来て……。
「あ……。この辺で、大丈夫です。僕の家、すぐ近くですから」
「そう」
 つかの間の相合い傘から出て、降り続ける雨に当たって彼は思い切って云った。
「僕。先輩のこと、好きです」
「え……」
 照れながら、恥ずかしさを飲み込み、想いを込めて。
「不純な動機でごめんなさい。実は……文化祭実行委員になったのも、先輩と一緒にいたかった……からなんです」
 意外というような、想像もしていなかったような、そんな……少し呆然としたような表情の彼女。それでも、年上の余裕からか動じることなく冷静に応じた。
「だから……。卒業しても……文化祭。来て欲しい、です」
「ええ。楽しみにしているわ」
 『答え』はその時に、ね。と彼女は笑って云った。彼の真剣な決意を一瞬で感じ取っていたから、答えはすぐには出さない、と。
「風邪をひかないようにね」
「はいっ!」
 さよなら代わりの挨拶の後、彼は雨の中を元気に駆けだしていった。



Back