Back






















#1 遭遇 『記憶喪失で、自分の名前以外の記憶を全て無くしてしまった女の子』




















 それはあまりにもあまりな『ありがち設定』だった。あまりにも、というより『あんまりにも』と、注釈をつけていいくらい、散々使い古された実績のある設定。……つまるところ、記憶喪失という設定はありがち度MAXなわけだ。古今東西アニメーション、コミックス、ノベルス、そしてゲームと、どれをとってみても必ずどこかで出会う設定だろう。それだけベタベタな設定だと、多くの人が思っているわけなのだが、だからこそ『王道』とも云われる。
 王道といえば例えば、メガネを外したら美少女とか、家がお隣同士で小さい頃から喧嘩ばかりしていて一見嫌われていそうだけど、彼女は実は主人公のことを密かに想っていて、ただ単に素直になれないだけだ……とか。まあ、そういう類のものだ。言い換えれば『お約束』である。
 で、これもまた共通している設定として列挙されることだが。記憶喪失の少女は大抵が儚げで、どこか薄幸で守ってあげたくなるような美少女だ。もっとも、不細工なヒロインが記憶喪失でも誰も興味を持たないし、そもそも読みたいとも見たいとも思わないだろう。だからこの設定は許せる。むしろ、可愛い美少女じゃなきゃ嘘というものだ。
「お、おい。大丈夫か?」
 後になってからだけど『だからってねぇ』と、俺は思ったのだった。二次元(=架空)ならともかく、三次元(=リアル)でそのような、今時の言葉で云うところの『萌え』を狙いまくりのシチュエーションに遭遇したときは、わかっていても動転するものなのだな、と。
「……」
 返事はない。だから引き続きゆさゆさと彼女の身体を抱き起こして揺する。……ここは『俺』が住んでいる部屋の近くの路地。それも、裏路地というようなロクに人の来ないような狭い通りだ。辺りは既に暗くて、なおさら人の気配などありゃしない。
 俺は両手に大手コンビニ『サンクスイレブン』のビニール袋をぶら下げて帰る途中。つまり、食い物や飲み物、食材などを買い込んで帰る途中だったわけだが……。普段と決定的に異なっていたことは、この路地裏に女の子が倒れていたということだ。たまたま近道しようとするかしないかで、そのような現場に遭遇する『フラグ』が立ったのだろう。
(……い、行き倒れか?)
 その娘は見た感じ、年の頃十七歳か十八歳くらいで、長い髪を赤青緑という信号機のようなカラーリングのリボンで三つに、ちょっと変な形にまとめていた。そして顔は、例に違わず……。
(可愛いな……。ちょっと幼い感じもするけど。って、そんなこと云ってる場合じゃない!)
 再度ゆさゆさと身体を揺すって、彼女の安否を確かめる。もしも応答がなかったら……病院に連絡をしてやらないと。
「おい! 大丈夫か?」
「……」
 返事はない。彼女はとにかくぐったりとしている。
「おい! おいってば」
 そしてその甲斐があったのか、彼女は目覚めて。
「……」
 儚げな表情に、とまどいを浮かべて首を傾げ、上目遣いに俺を見つめ……。普通だったらここで、一目惚れというフラグが……。
「……。ここは誰? 私はどこ?」
「いや。それ、違うから」
 コメディ的にはお約束のようなボケをかましてくれるが、その次の行動に比べれば大したインパクトではない。助け起こそうとして手を伸ばしたら。
「とにかく起きろよ。具合悪いなら病院に連れて行ってやるから……」
「って……。痴漢ーーー! あにすんのよおおおーーー!」
「ぐはっ!」
 バキッと一発殴られる俺がそこにいた。それも、カウンターパンチの如く良いタイミングで。……もし、彼女を抱き起こしていなければ、宙を舞っていたかもしれないくらい、いいパンチしてやがるぜ……な、ものだった。
「ってぇな! 何しやがる!」
「あたしの身体に触ンな! ど馬鹿やろーーー! 辺りに誰もいないことをいいことにあーーーんなことやこーーーんなこととかとにかくやらしいことしようとしてたんでしょ! 白状しなさいこの変質者! 変態! 強姦魔! ピッキング犯! 空巣! 車上荒らしの国際テロリスト!」
 実に理不尽な云われようである。というか、何故に俺がピッキング犯その他なんだろう?
 ともかくもまあ『儚げでおしとやかな美少女』という、可憐なイメージ像がガラガラと崩れ落ちていくような、そんな気がしたのは確かだった。
「んなわけあるかっ! 行き倒れかと思って親切にしてやりゃ人を痴漢呼ばわりするかっ! 心配して損したぜ、このバカ女!」  そして俺は『アホを相手にしちまった、やれやれ』と、思いながらため息をつき、彼女に背を向けてその場を立ち去ろうとした。が……。心底やれやれと思うのは、その後の方だった。
「う〜〜……。ごはん……きゅぅ〜……」
 彼女はガソリンが切れた自動車のように勢いを無くし、民家のブロック塀にずるずるともたれかかるようにして、倒れ込み……。
「ぎょにゅっ……!」
「……」
 またまた意識を失ったのだった。
 倒れ落ちる時の悲鳴が、何というか、例えてみるなら大きな蛙が潰れたような変なものだったが、とりあえず気にしないようにした。……って、さすがにこの状況下で放置することはできないっ。
「お……おい!」
 まじかよ、と思いながら振り返って再度抱き起こすと……。ぐきゅるるる……ぐるるるる……きゅううううっ……と、これまた可憐な美少女のイメージからはほど遠いような、リアルすぎるお腹の音が聞こえるのだった。余程腹が減っているように見えた。
「おなか……すいた、の……よぉ……にゅふー……」
 それは恐らくうわごとなのだろう。
「やれやれ」
 今度こそ反撃のカウンターパンチを出す余裕は無さそうだったので、彼女を見捨てるわけにもいかず、背中におぶってアパートに連れて行くことを決意するのだった。無論、彼女の胸に触れたりしないように注意して、だ。変質者呼ばわりされる筋合いはまるでない。
 ……その時は警察を呼んだりしたら色々面倒くさそうだし、とは思ったけれど、後になって考えてみたら更に面倒くさい事態になっていた。……つまりは、これがこれから起こる騒がしい毎日の引き金になったと云える出会いだった。最低最悪か、あるいは最良……なのだろうか。
「くっ。さすがに重いな……」
 いっぱいに詰まった袋を両手に、背中には軽めとはいえ女の子を一人おぶっているわけだから。……よろめきながらも、どうにかしてアパートまで帰っていく。
 とにかくも。その日はとても不思議というか、ありえないシチュエーションを体感した一時があったのだった。










* * * *










「うががうがうががーー」
「……」
 それは彼女が気付いた後の風景。漫画みたいな食欲だ。今ならば、漫画にでてくるよーな肉だろうと豚の丸焼きだろうと何でも完食しちまうだろう。
「んが、んが、んがががが! ん、ん、んんんんっ! んぐっ!」
 食う。食う。食う。ひたすら食う。食いまくる。恥も外見もありゃしねぇくらい食う。俺の分まで食う。食い尽くす。結果的に、今晩は食うものがない。尽きた。尽きやがった! ……週末なので買ってきた食い物だけで間に合わせるつもりだったが、今から米でも炊くしかなくなってしまったじゃねーか。
「んんんんんーーーー! これ……ずるずるずる。さいこーに……ちゅるちゅるちゅる。美味いわね……ごっくん! ずちゅるずちゅるずちゅる」
「知らねーのかよ。こんなメジャー商品を。……ってか、食うか話すかどっちか片方にしろ」
 世間一般では超有名なインスタント食品、一億食突破の『日露食品コップヌードル』のBIG。……そのシーフードと、カレー味と醤油味を立て続けに完食し、スープ事飲み干す美少女なんてはじめて見た……。それも豪快にずるずると音を立ててスープを飛び散らしながら。……あんまり音立てんな、とも思ったが云わないようにした。親の顔が見たいぞ。躾がなってないぞ、とも思ったけど。
「んがんがんがっ! んんん、ん、ん、ん……んーーーーっ! んがんぐ! んぐーーーーーーーっ!」
 どうやら、急いで食い過ぎて喉に食い物を詰まらせたようだ。極めてアホである。しかも。
「んがぐんぐんぐぐぐぐ……げふごふぉごふごほっ! ぶぼっ!」
「ぎゃーーーー! きたねーなこら!」
 思いっきりむせかえる。本当に迷惑なやつである。
「ほれ、拭け! そいでもって茶だ! 飲め」
「ん、んーーー。んぐんぐんぐ……ふー」
 1.5リットルサイズの大きなペットボトルのお茶を一気に飲み干す。凄まじい勢いでごきゅごきゅと、一気に。……ああ、これもまた最後まで飲み干しやがった。
 そして、それからしばらくして完食……。さすがに満腹になって満足したようだ。細い身体のどこにそんな食い物が入るのだろう、と思った。
「ふぅ。助かったわ」
「そうかい」
 さすがに食事をくれる人を悪人だとは思わないようで、カウンターパンチはしないでくれた。餌付けすりゃ野良猫だって少しはおとなしくなるからな。
「それにしても……ここって……」
 彼女は俺の部屋をしげしげと見渡し、立て続けに『汚い部屋』だの『狭いわ』だの『暗いわ』だの、積んであった同人誌を見て『何あんた。オタク?』だの、名誉毀損発言を繰り返すのだった。確かにワンルームで、ここしばらく掃除をさぼっていたり切れかけの電球を取り替えてなかったり、同人誌を無造作に積み上げていたりするから云われても仕方のないことではあるけれど。てめぇ。……本気で犯すぞコラ、とでも云いたくなった。
 そのように、主人公としては思いっきりむかつくわけだ。当然のことだ。だが、俺はそれで黙っていられるほどお人好しな主人公ではない。
「うるせぇ! 食い終わったらとっとと帰れ!」
「あー。ごめんごめん。……ホントごちそうさまでした。ついで〜……といっては何だけど、ちょっとお願い事があるんだけどぉ〜♪」
 その後で彼女は急に猫なで声になり、俺が絶句するような事を云う。要約すると、いや……要約などいらないくらいわかりやすい一言だった。
 その一言は『行き場が無いのであんたの部屋に居候させてもらうわよ』と、いうような内容。
「ざけんなバカ!」
「なによ! 自分の名前以外何もかも全部綺麗さっぱりすっぱりしっぽり忘れちゃった記憶喪失の、それもとびっきり可憐で薄幸な美少女を見捨てるっていうの!? 暗い夜道であたしがどんなに心細い思いをしてたかわかってんの!? そこをやさしーく包み込んであげるってーのがオトコってもんでしょが!」
 ……しっぽりって何だ。しっぽりって。
「んなもん俺が知るか馬鹿野郎! てめぇでどうにかしやがれ!」
 記憶喪失であるということは、今はじめて聞いたのだったが。それにしても、ふつー自分で自分のことを可憐で薄幸な美少女と云うか!? どういう感覚しているんだ。
「てめぇいったい何様のつもりだ! そもそも俺はてめぇの名前なんぞ知らねぇ! それにどこが可憐だ! どこが薄幸だ! 発酵して酒にでもなっちまえ馬鹿!」
「あんですってぇ! この七瀬さくらさんをなめないでよっ!」
 はァ? と、俺は思った。それはまあ、ともかくとして。どうやらこの少女は、七瀬さくらとかいう名前らしい。
「七瀬さくらだぁ? それがてめぇの名前か?」
「そうよっ! 私の名前は七瀬さくら! ふふ〜ん。とっても個性的で可愛い名前でしょ♪」
「どこが。そんな無個性な名前を付けられた貴様を思う存分哀れんでくれよう」
 フッと笑って正直に云い返してやる。全国津々浦々の鈴木さんや斉藤さんや山田さんや山本さん達には悪いが、それくらい俺の中では陳腐な名前なのだった。イコール、ありふれまくっているネーム、ということだ。……あ、ちなみにどうでもいいことだが俺の名字は鈴木だ。
「何よ!」
「ふ。俺の知る限りでも、七瀬と名の付くキャラクターは二十人はくだらない。そして、さくらという名のキャラクターは三十人はいるだろう」
 ビシッと指を当てて宣言してやった。
「じゃあ、あんた今から七瀬さんを二十人、さくらちゃんを三十人名前と作品名あげてみなさいよっ! 男なんだから、自分でいったことには責任をもちなさいよね!」
 と、腕を組みながら俺を睨む。とっても偉そうなやつだ。ぎゃふんと云わせてやろうじゃないか。
「いいだろう。では耳の穴かっぽじってよく聞けアホ。七瀬瑠美、七瀬帆之香、七瀬昌、七瀬悠……」
 そして俺は、思い出しながらも七瀬さんを二十人。さくらちゃんを三十人挙げていったのだった……。
「……樹之元さくらに、神宮司さくらに、吉野川さくらに、出雲大社さくらっと。これで三十人! 文句あっか!?」
「ふ、ふんっ! だ、だからなんなのよっ! そんなにたくさん使われてて可愛いって証拠じゃないのっ!」
 彼女は相変わらず強気で云い返すものの、眉間がぴくぴく震えている。
「負け惜しみ云うな。粗製濫造という言葉を知らないんだろうな。七瀬さんちの負け犬さくらちゃんは」
「きーーーー! うッさいわよこのオタっ! どれもそれもエロゲーのキャラばかりじゃないのっ!」
「うるせぇ! オタ云うな馬鹿野郎! あえて挙げてこなかったが、実在の人物だって大勢いるんだぞ! みてみろ!」
 といって、ソースというか、大本の画像などをPCから抜き出して見せてみる。七瀬さんフォルダとさくらちゃんフォルダから。
「か、可愛い子ばかりじゃないの変態! 何こんなにいっぱい女の子の画像集めてんのよこのド変態!」
「んだと! ブス画像収拾している方がよっぽど変態だろうが!」
「何よ!」
 さて、俺の怒りもいい加減頂点に達してきたのでそろそろマジに云おう。
「……ってか。マジで警察に連絡するぞ。記憶喪失の娘をほったらかしにするわけにはいかないからな。それも、何か凶悪犯罪やらかしそうな凶暴な女をな」
「……え?」
 そして、携帯電話を充電器から外し……。百十番を……。
「ダメ! 絶対ダメ! だめだめだめだめだめ! だめったらだめーーーー!」
「ええい、離せ! 何をするかバカ女! てめぇみてぇなむかつく女なんぞ警察に突きだして一生拘留でもされやがれ! 存在自体が公務執行妨害のキ印女ッ!」
「ダメったらダメ〜〜〜! やめて〜〜! いけずぅ〜〜〜! そんなコトしたらそんなコトしたらそんなコトしたらぁ〜……ぅぅぅ」
 警察に突き出そうとするという行為は真面目な話。至極真っ当な対処法だと思う。……だが、彼女はちょっと涙目になって、はあはあと荒い息を吐きながら云い切りやがったのだった。『警察に突き出そうとするなら、あること無いこと云っちゃうわよ!』と。中学生くらいのお子様的なノリで脅しをかけきやがったのだった。
「なにぃ?」
「そ、想像してみなさいよねっ!」
 腕組みして少し余裕の表情になる。女王様かこいつは!
「なにがだ」
「……あ、あんたが警察呼んで、お巡りさん達が来たとしてよ! ……私が今着てる服を適当にびりびり破って引き裂いて、部屋の片隅で傷つけられた可哀想な乙女のよ〜にめそめそ泣いてたら。お巡りさん達はどう思うかな?」
 ……こいつ。なんだかとんでもねぇことを云いやがった。
「てめぇ……。人の飯散々食いまくった上に脅迫かよ!」
「な、なので、警察に突き出すなんて野暮なことはなしなし♪ ね♪」
 このアマ。策士だ。何がなしなし、だ!
「お、お願いだからしばらくここにいさせてぇ〜。行くところがないのよぉ〜。ううう〜〜〜。お外寒いのよぉ〜〜〜」
 と、思ったら今度は泣き落としをかけてきた。それは恐らく本音なのだろう。鬼気迫りすぎだ。
「だったら警察に行って対処してもらえよ! その方がいいだろ! 何で嫌なんだよ!」
「やだ! 警察はやだ! とにかくヤダったらヤダなのーーーーーっ! かいぼーされるぅぅーーー! ロボ刑事にされちゃうーーーー!」
 だだっ子のよーな馬鹿女だと本当に思った。それもただの馬鹿ではない。かなりの大馬鹿レベルである。
「うるせぇ! 司法解剖されて改造人間にでもされちまえ! それにてめぇ、さっき記憶喪失とかいってたよな。あれは実は嘘で、家出でもしたんじゃねーのか!? とーちゃんかーちゃんが心配してんじゃねーのか!? あぁコラ!」
「ちがーーーう! ホントに記憶何もないのよおおおーーー! リッター二百円でもいいから記憶入れて欲しいくらいよぅっ!」
「だったら少し態度考えろバカ!」
「え? ってことは、じゃ〜置いてくれるのぉ〜?」
 俺は、すーっと息を吸ってから。
「ぬかせ! てめぇみてーな天然記念物的な超絶大馬鹿女なんぞ、誰が置くかこの大馬鹿馬鹿馬鹿バカヤローーーーーー! とっととでてけええええええええっ! 出ていかねーとソルトを水飴と練乳に混ぜてどろどろ真っ白にして思いっきりてめーの顔にぶっかけてくれるっ!」
 と、叫んだのだった。俺もかなり興奮しているのかも、しれない。
「な、なによぉーーーーっ! っていうかっつーかとゆーかてめーあたしのこと馬鹿云うんじゃねーーーーーーーーっ! バカって云った方が馬鹿なのよこのバカ馬鹿バカああああーーーーーーっ! 女の子一人お部屋に置くくらいいいじゃないのよこのいけずーーーーーっ!」
 つまりお前は、大馬鹿だということを自分で云っていて気付いていないバカなのだと突っ込んでやろうと思ったけど、面倒くさかったのでやめた。
「るせぇ! てめーーーのよーーーな凶暴で凶悪で粗暴でアホな女は願い下げじゃああああああっ!」
 そのころになると互いに口だけでは飽きたらず手を出していて、がすがす、げしげし。互いに互いを罵り合い、どつき合うのだった。
「あのぉ〜」
 んなことをしていると。俺は玄関のドアに鍵をかけていなかったようで、騒動に気付いた人々がいつからか知らぬが、興味深そうに見つめているのだった……。
「あぐぐぐ!」
「ふががが!」
 お互いにほっぺたを引っ張り合ってる最中。
「鈴木さんのお部屋、元気ですねぇ〜」
「あ……」
 浪人生で、お隣の部屋の佐藤さん。俺と同じく学生で、下の部屋の山崎さん。そして、社会人で、お隣のお隣の村田さん……。アパートの住人達が皆、苦笑というか微笑ましいものを見るような目で、俺たちを見ていたのだった。この人達とは個人的にも知り合いで親しくて付き合いもあって、みんな人が良くて愛想がいいから怒ったりはしなかった。いや、逆にそれだからこそ本当に……心の底から申し訳ない気分でいっぱいになった。
「す、すんませんっ! お騒がせしてごめんなさいっ! ホントに……ホントにすぃませんっす……」
 いや、ホントに申し訳ないっす。心底そう思った。……せめてものお詫びに今度、良い酒でも買って持って行こう。
「ところで鈴木さん。そちらの方は?」
「あー。こいつは……。えーと。んーと……何というか、そのー……」
 説明に困る奴一名。何と云ったものか、などと悩もうとする時間も与えずに、こんにゃろうは云い切りやがった。
「あたし? あたしは七瀬ー。七瀬さくらー。さとるんと同棲してる同居人ー。よろしくねぇぇぇーーー!」
「そうなのですか。それはそれは」
 いや、頼むからそこで納得しないでくれ。佐藤さん!
「仲睦まじくてうらやましいですな〜」
 どこが仲睦まじく見えるんすか、山崎さん!
「七瀬さん、ですか。どうぞよろしく」
 よろしくしないでください。村田さん!
 ほぉ〜、というように。鈴木さんも奥手に見せて、案外隅に置けませんなぁ、こんな可愛い女性を。……とかなんとか、感心して微笑みながら頷いて去っていくアパートの皆さん達だった。みんな壮絶に勘違いしているっ!
「ちょ……! 待て! 誰が同居人だ! 誰が同棲だ! ってか、てめぇいつ俺の名前知った! 俺は名前名乗ってねーぞっ! いい加減にしねぇとキレっぞコラ!」
「うぐにゃぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んッ! おねはいはからほこにおいへよぅ〜〜〜!」
 再度さくらとかいうアホのほっぺたをうにょーーーーんとひっぱってやるのだった。










そして、この日から……騒がしい日々が続くことになるのだった。










一言で片づけてしまったが










例えばどういう感じかというと。










 騒動が過ぎ去って、かれこれ二、三日が過ぎた頃のこと。
 結局さくらは俺の部屋に居着いてしまったのだが。ワンルームの狭い部屋故に、色々と問題も起こる。
「さてさて」
「何よ」
「さては南京玉すだれ」
「は?」
 俺のとってもチャーミングで、日常にちょっとした微笑ましさを運んでくるボケに反応できないボケがここにいる。
「いやなに。男なら大体毎日行っている行為をやろうかな、とな」
「何それ?」
「おナニだよ。0721」
 一撃目。バキッとグーで殴られる。とても痛い。
「はぁ!? 何それ!?」
「だから、ナニだって。知らないのか?」
 二撃目。ばしッとパー叩かれる。かなり痛い。
「……。本気で云ってんの!?」
「もちのろんだ。健全な男たるもの、一日として欠かすことはできない行為だぞGは!」
 三撃目。ぶすッとチョキで突かれる。かなり痛い。
「しッンじらんないっ! こんなに可憐で可愛い記憶喪失の女の子が目の前にいるってぇのに、そのまん前で自慰行為で一人えっちのオ○ニーするなんて信じらんない! 何でオナ○ーなのよっ! 最低! 最悪! 大馬鹿! 女の子の目の前で○ナニーなんてすんなあああああああっ!」
 そこまでいわれたらさすがに仏の心を持つ俺もキれる。それに、するなといわれりゃしたくなるのが人情というものだ。
「んだと! 健全な男子が性欲を毎日はらさず通常どおりの生活を行えると思ってんのかこの耳年増! ってか、可憐で可愛い女の子が目の前にいるってのにとかなんとかかんとかってぇことは、そりゃつまりてめぇと犯(や)って犯(や)って犯(や)りまくってやり場のない性欲を発散しろとそーいうことをいいてぇんだな!? 禁欲された男ほどこええもんはねぇんだぞこのボケ!」
「んなわけあるかあああああああああっ! いっぺんでもじゅっぺんでも死んでこいっ! あほっ! このどボケがぁっ!」
「じゃあオナニ○くらいしたっていいだろがこのボケ! 大アホ! だいたいだなっ! 何で俺がてめぇなんぞに合わせて男の生活のち○ち○のルーチンワークを変更せにゃいかんのだ!」
「私の目の前でオ○ニーするなぁっ! オナニ○は風呂場とかトイレでしなさいよ!」
「黙れ! 俺はこの部屋の主だ! どこでどんなことしようと○なにーしよーとなんだろーと俺の勝手だ! それがいやならとっととさっさと可及的速やかかつ迅速に出ていきやがれ! 無駄飯食いの居候風情が偉そうに指図するんじゃねーーーーーーーーーーっ! 本気で犯すぞこの野郎!」
「まじでうるさいうっさいうるさいうるさいうるさいうるさいいいいいっ! 女の子の目の前で何度も何度も何度も○ナニーオナ○ーオ○ニー云ってンじゃないわよ! このお猿! デリカシーないキモオタっ!」
「てめぇ。今、云ってはならんことを云いやがったな!」
 俺はオタクであるという自覚はあるが、キモオタであるというそれはない。ちゃんと毎日風呂入ってるし、匂い対策しているし、体重だってそんなに重くはないし横幅もほどほどだ。ファッションだってそれなりに気を使っているし、人前で『萌え〜!』等と、今時のマスコミが報じるステレオタイプのオタ野郎のようなことは云わない。それを……それを! こんにゃろうは偏見だけで云いきりやがった! 絶対に許さん! 万死に値する!
「あんたなんかオ○ニーのしすぎでおち○○んもキ○タ○も枯れ果てて干からびて皮剥けて死んじゃえっ!」
「おおう! やったろーじゃねぇかてめぇの前でっ! 見てやがれこんにゃろう! ぶっかけるぞコラ!」
 俺はかちゃかちゃとベルトに手をかけて緩めようとして、さくらのパンツ丸見えなハイキックを食らわされるのだった。……男の股間に。
「すなーーーーーーーーーーーーーーっ!!!! ばっきゃろおおおおおおおおおっ!」
 その一撃はきーーーーんときたのだった。
「ってぇ! やりゃあがったなこんにゃろ!」
「うがああああーーーーーー! 望むところよおおおおっ!」
 がすがす、げしげし。互いに互いを罵り合い、どつき合う。もはや俺も、こいつを女の子扱いしちゃいねぇのだった。










こんな毎日が、一体いつまで続くのだろうか?










未知との遭遇はお約束だけど、リアルで起こるととても大変だとわかったのだった。




















次回に続く!























Back