#5 酒宴 『あたぃの酒がのめねぇってのくぁ!?』
季節は移ろい、既に十月過ぎ。
夏の暑さが嘘のように、涼しい日が続くわけだが。
「確かに寝覚めはとてもよくなった、な。喜ばしいことだ」 本当に過ごしやすくなったものだ。それどころか、時折肌寒さも感じる程だ。既に寝苦しい熱帯夜などは過去のことになっていた。しかし、それにしても……だ。 「……」 「くか〜……くこ〜……くけけけ〜……」 俺は寝袋のチャックをじーっと下ろして、隣の布団に天使のように(っていうか、実際天使なのだが)純粋な寝顔の少女を見た。くか〜とか云っていて、少し涎が垂れている。かなりだらしない。何というか、天然なやつだ。見事なまでのアホ面だ。ここまで見事なアホ面を晒す天使様も珍しいだろう。 「むにゃむにゃ……」 普段しまっている天使の翼と輪っかも丸出しで、無防備もいいところだ。天使がこんなんでいいのだろうか。ゴージャスで奇麗な翼と輪っかが泣いている。 (それにしても。何で家長の俺が寝袋で寝て、居候のこいつが布団で寝ているんだろう?) しかも、彼女の布団は昨日干したばかりのふかふか布団。とっても気持ちがいいものだ。ついついぎゅむっと抱きしめてしまいたくなるほどに。 で、俺はこの風景というかシチュエーションに何故かとっても理不尽なものを感じたので、悪戯というべきか復讐というべきか、ちょっとした反撃を試みることにしたのだった。 …………
「悟ッ!」 「あ? やっと起きたか」 もう昼だ。っとに、いつまでも寝ている奴なのだろうか。 「やっと起きたか、じゃなーーーーーい! 返してよ!」 「あー? さすがに俺も居候に借金するほど金に困ってはいないぞ」 親の仕送りもあるし、この間集中的にバイトもしたしな。結構懐事情は暖かいのだ。 「ちがーーーーーう! あれよあれ! あれ返せーーーーーーーっ!」 「あれ?」 何のことだろう? 「あたしの天使の輪っかーーーーー! どこにやったのよーーーー!」 「ああ、あれね。そこ」 と、上を指さしてやる。……そことは、天井のこと。 「いやー。ちょうど蛍光灯が切れてしまっててな。あの輪っかピカピカしてるし、サイズもぴったりだしってことで、助かったよ」 丸形の蛍光灯代わりに使ってやったのだ。ありがたく思って欲しい。 「……ってことで、じゃなーーーーーーい! 天使様の輪っかを明かりなんかに使うなーーーー! あれ高いんだからね! 返せーーーーーー!」 「っていうか、売り物だったのかっ!?」 「当たり前っしょ! 地獄の沙汰も金次第! 天使の清純さも金次第なのよおおおおおっ!」 「ぐぎゃあああああああっ!」 そうして、切れたさくらによって背後からぎゅううと激しくヘッドロックをかけられる俺だった。 「さ、さくらあああっ!」 「あによぉ!!」 「お前……胸……。あんまりないんだなああああっ!」 背中に押し付けられてもふにゅっとした感触は少なく、ゴツゴツとした感触の方が多いような気がしたのだ。 「っ! てめーーーー人が気にしてることを云うんじゃねーーーーーーーっ!」 「き、気にしているのかっ!? 貧乳なことをっ!? おおお、お前まさか女の子だったのか!?」 実に庶民的な天使だと思った。 「ったりまえじゃボケーーーーーッ! ってか貧乳云うなあああああああっ! 天誅ぅぅぅーーーー!!!!」 「ぐぎゃーーーーーーっ!!!!」 ずがしゃあああーーーーんと、怒りのホーリーサンダーを食らう俺だった。 このように、相変わらず騒がしい日々が続いていた。
さて、十月に入ったわけで、大学も再開しているわけだが。 「……。何でお前がここにいる」 「いーじゃんいーじゃん。固いこと云わないのー。席いっぱい空いてるんだしー。どーせ出席なんて取らないんでしょ?」 「そりゃまあ、そうだがさ」 さくらは俺の大学までやってきて、受講するのだった。……大半はぐーすかぐーすか寝てるけど、何でか知らないが一緒にいるだけで楽しいらしい。 「誰かに見られたら何て云えばいいんだよ」 「彼女だっていえばいいじゃん」 「はぁ?」 さらりととんでもねぇことをぬかすさくら。 「彼女になってあげるわよー。あなたのね」 にこやかに、恐ろしいことをぬかす天使様。 「お断りだ!」 「またまたそんなこといっちゃって〜。こ〜んな可愛くて優しくて可憐な天使みたいな……っていうか本物の本場物の天使の娘が彼女なんて、幸せいっぱいって感じでしょ〜♪」 「こんな凶暴で凶悪でがさつで悪魔のよーな娘と付き合ったら不幸間違いなしだぞ」 「誰が凶暴よ! 誰が凶悪よ! 誰ががさつよ! 誰がアクマですってえええええーーーーー! あたしゃ天使じゃああああ!」 一言一言にいちいち反論してきて、っとにもう、やかましいことこの上ない。こいつのメンタリティは小学生並ではないだろうか。 そんなことをしていると。 「おーっす。悟ー。おひさしー」 「おう。おひさ」 俺の姿を見つけたのか、友達達が数人やってきた。休み明けで久々の再会というやつだ。 「……って。その娘誰?」 当然のことながら、彼女の姿は真っ先に目にとまるわけで……。 「あー、こいつは」 非常に説明に困る立場のアホが一名いる。さて、何て云おうか。 「あたし? 悟の彼女ー」 人の悩みをよそに、あっさりと誤解されるような一言を……。 「お前が云うなあああああ!」 「悟。お前……やるじゃん!」 「うむ。見かけによらず、なかなかやるな」 何がだ。 「いつの間に女子高生と! 水くさいぞ悟!」 だから、何がだ。ってか、やっぱりさくらは女子高生くらいの年齢に見えるのか。 「君、名前何て云うの〜?」 「さくらよ。七瀬さくら」 俺への接し方と明らかに違っている。こんにゃろう、本性を晒しやがれ。 「わお♪」 「可愛い名前だね」 「ありがとう。嬉しいわ」 猫被ってるさくらと、何か嬉しそうな野郎連中だった。 その後で。
夜、飲みに行かない?
という、彼らの誘いにさくらは一言。『おっけ♪』と
かるーく頷いたのだった。
女子高生に見える娘を飲みに誘うなよ、と心の中でアホな友人連中に突っ込みを入れてはみたが、誰もそんなことを考えちゃあいなかったのだった。 で、案の定……酒の席での主演女優ならぬ、酒宴女優は七瀬さくら一人だった。独壇場というやつだ。 「ふっふふふふふふ〜♪ あんたら、あたしの恥ずかしぃ秘密、全部全部ぜーーんぶ教えてあげるわー」 「おーーー!」 既にみんなへべれけ状態。特にさくらは焼酎やら日本酒やらワインやらカクテルやらをがばがばがばがばと立て続けに飲みまくり、壊れている。もちろん焼酎なんかは水やお湯で割ることもせずに。まぁ……普段から壊れているのは内緒だが。 「みてなさぁい! ……よっ! っは! とぉう!」 その瞬間、バババッと純白の翼が全開になる。 「ば……馬鹿。お前、それは見せちゃダメだろ!」 正体もあるし説明すると長くなるし、そもそも一般の人にばれちゃいけないのではないか、ということで『人前で晒しちゃだめだろ!』と、突っ込みを入れようとしたのだが。 「……」 「……」 「……手品?」 と云った友人は、ごすっとどつかれてぐおっと痛みを感じる。 「ちゃうわいっ! 手品なんかじゃないわぃ! あたしゃあ天使よっ! 混じりっけ無し果汁百パーの天使じゃい!」 本来知られちゃいけない秘密を自分から暴露する馬鹿天使。 「わぁ。綺麗〜」 綺麗〜、じゃねぇだろ……。 「さくらちゃんって、天使様だったんだ〜」 天使様だったんだ〜、じゃねぇだろ……。 「そーよそーよそーよ。あたしゃ天下一の美少女天使様よぉ〜。お空の向こうの天国からやってきた心やさしぃ天使様ーーー。ほぉ〜ら。空飛ぶことなんて朝飯前のランチ前の夜食前よぉ〜。はっはっは〜」 といって、ぷかぷか浮かぶ。 「すご〜いすご〜いすご〜い♪」 すご〜いすご〜いじゃねぇだろ……。 「可愛い〜♪」 可愛い〜……じゃ、ねぇだろ。 「ふっふっふ♪ あたしに萌えるんじゃないわよぉ〜♪」 ああもう、どいつもこいつもアホたればかり……。驚くどころかあっさりと受け入れている。完全に天使だと信じている。 「お前ら。少しは存在を疑えよ!」 と、まっとうな突っ込みを入れてみても。 「何云ってんだ悟! 俗世間にまみれてスレ過ぎじゃないのか!」 「さくらちゃんは誰がどう見ても天使様じゃないか!」 「そーだそーだ! 天使様が俺たちの元に降りてきてくれたんだぞ! 大感激じゃないか!」 ……。もう俺、人間不信になるかもしれない。こいつらは……。 「ふっふっふーー。わかってんじゃないのあんた達〜♪」 こいつらはまともな奴らじゃないから、仕方がないことなのかもしれぬが……。 「さくらちゃんさくらちゃん。あのサークルはねぇ、こーいう本も出してるんだよぉ〜」 といって、無線でインターネットに接続されているノートパソコンをさくらに見せる。既にどいつもこいつも真っ当なご意見を聞く耳など持っちゃいやしねぇ。 「おおおおおおっ! これは買いね! 絶対買いね! すんげぇありえねぇ笑えるぼーいずらぶなシーンじゃねーの! ネタだわねネタ!」 「でしょでしょ! おすすめはね〜……コレ!」 「わおっ!」 拳を握りしめて熱く語っている。みんなとすっかりうち解けてるし。 「おおい悟ぅ!」 「何だよ」 「あたいの酒が飲めないなんて云わせないったら云わせないわよ」 ダンッとグラスを俺の前に置き、どぼぼぼぼと豪快に酒を注いでいく。既に額にはネクタイを巻いて……どこのサラリーマンだこいつは。 「お前……。年齢確認されたりしないのか?」 「だいぃじょうーぶでつッ。ちゃああんと、ほらっ!」 バッと取り出したるは、偽造した運転免許証。生年月日もちゃんと二十歳以上になってるし! 「おいおい……。天使様がそーいう犯罪行為してもいいんですか」 「いいんですよ。というわけで、飲めーーーーーーっ!」 右手に一升瓶。左手にねぎま。……ああもう、なんだこのおっさん入ってる天使様は。純白でゴージャス天使の翼が何というか、泣いている気がする。それもさめざめと、惨めに……。 「ちっちっち。江戸っ子は宵越しの酒を持っちゃぁいけねぇよ悟っち」 「どこのどなただお前は」 それを云うなら宵越しの銭だ。 「あひゃッひゃひゃひゃーーーっ! なんだか今の気分はとってもハイーーーーーッ! あははアははっあはあはあははははははハァハァあはは! うわっははははははははははぁはぁはぁ!」 突然けたけたと笑い出す天使様。……救いようのないことに、周りの野郎達も彼女に合わせてやたら笑いまくっている。 「だああああーーーーーーーーーーーーーーッ! やろぉってのくぁーーーー! 七面倒くせぇこといってねーーーでさっさととっとと可及的速やかかつ迅速に飲めったら飲めってんだよ悟ぅぅぅぅぅっ! 華麗な天使様のついだサケを飲めねーってのくわぁーーーー! ってゆーかつーかとゆーか華麗っつーてもお魚のカレーやライスカレーちゃうんだぞこの!」 バキッと酒瓶で殴られる。もう支離滅裂で何がなんだか。 「ぐはっ! お、お前。何云ってんだかもうさっぱりわかってないだろ!」 「ったりめーーーーだろがこんちくしょーーーーーーーーーっ!」 笑い上戸かと思ったら今度は怒り上戸……。なんだかとっても理不尽だ。完全にアルハラだ。いや、パワーハラスメントでもあるか。 「うぅぅぅぅぅ。悟は……しくしくしく……天使様のお願い事を……ぐすぐすぐす……聞いてくれないんだねぇぇ。えーんえーんえーん……お酒飲んで欲しいだけなのにぃぃぃ。えぐえぐえぐえぐ……さとるんと一緒にお酒飲みたいだけなのにぃぃぃぃ……ぶええええーーーん! ぶびびびび」 と、思ったら今度はいきなり激しく泣き出しはじめた。……最後のぶびびびび、というのはティッシュで鼻をかむ音。今までのは全部擬態で、実はとっても泣き上戸……? 「というわけでぇー」 「……?」 今度は何だ? 「あたしは寝る。おやふみ。くかー……」 「……」 堂々と、とっちらかったテーブルの上で寝てしまった……。 時計の針は午前三時……。
「うぅ……。重い。何で俺がこんな……」 体重が重いという言葉は女の子の前では禁句だが、そんなこともう知ったこっちゃねぇ。少なくともこいつを女の子扱いするのはちょっとためらわれなくもないからだ。 「くー、くー」 とっくに終電を迎えてしーんと静まりかえった線路の踏切を渡って歩く。背中には酔いつぶれて眠ってしまった女の子、さくらがいる。俺がおんぶして運んでやっているのだ。 「っとにもう。馬鹿騒ぎしちまって」 「むにゃむにゃ」 とっても幸せそーなツラをしたさくら。俺は、近所の住宅地の中を進んでいく。 「寝てんじゃねーよアホ天使。こんにゃろう」 「うにゃふぅ……」 まあでも、いいか。などと思えるようになってきた。何故だろう……。何て事を考えていると。 「おうおうおう。さとるんるん! オレっち様の酒がのめぇねぇんかぁあぁあぁてめこのやろしばきたおすぞこら!」 「はぁ?」 「く〜……」 なんちゅー寝言だ……。 「うぃーーー。ひっく。うふふふふ〜う」 と、思ったら今度は。 「おわあっ! 何をするかっ!」 「にゅひひひひぃん。さとるのお○んちん、結構でかそーねぃ」 「こ、このセクハラ親父天使! イキナリ人の股間触るな!」 もみもみと、とてもイヤらしい手つきだ。 「かたぁいこといわないのぉ。って、あ〜硬くなっちゃったぁ〜?」 「や、やめんかっ!」 酔ってセクハラする天使……。ありえねぇ。 「やめないもーん」 それも、満面の笑みで嬉しそうに、楽しそうに。 「この変態! 痴女!」 「あによぅ! 女がスケベじゃいけねーなんて誰が決めたぁあぁああんっ! 女だってぃ〜! 男のち○こにきょうみぐれぇーあるし触りたいしやりたぃしいろいろもーーーそーーが浮かんでくんのよ!」 「ば、この! でかい声でんなこと云うなっ!」 「うるせぃ! ○んこ云って何が悪いちん○いって! 何が放送禁止よーごよ! なにが『ぴーーー』よぅ! 隠したりするからかえって卑猥に感じるんじゃないの! そんなんあたいが何度でもでっけぇ声でどーどーと叫んだるわよぅ! ち○こーーーーーーーーっ! お○んちんーーーーーーー! ま○こーーーーーーー! おま○こーーーーーーー! ほらほらあんたもりぴーーーとしぃーやりぴーとぉぉぉっ!」 「いい加減にしろやこのオオバカヤロオオオオオオッ!」 背中におぶったままそんなこと叫ばれたので、俺は一喝するためにぽかぽかなぐったる。 「ふぎゃぐッ! がふぐッ! 痛ったぁぁぁぁ! あにふんのよぅばかさとるんっ!」 「黙れこのどアホ堕天使! 万年追試の落第天使! 不幸呼ぶ三流天使!」 「う、う、うああああああああうあうあうあんっ! 落第云うなあああああああああっ! きずついただよぅーーーーーーっ! くかー……」 どうやらそれも、壮大な寝言の一環だったようだ。 こ、こいつは……救いようがない! 親父だ……非常に質の悪い酒乱だ……最低だ……。黙ってさえいりゃ普通に美少女なのに勿体ないったらありゃしない! 「……」 やっとこさアパートが見えて、角を曲がろうとしたときのこと。珍しく静かになった少しさくらの身体がブルッと震えたみたいで、再度振り返ってみると。 「うー……」 「どうした?」 さくらは今度はちゃんと目を覚ましていて、何かとても気持ち悪そうな青白い顔をして。 「ぎもぢわる〜……い〜……。おえ……おえ……」 「?」 これはまさか……。いやしかし、そんな行為を清純な天使様がするわけが……。 「おえぇ……」 「オーイェイ?」 のんきにぼけている場合ではないと、自分でも悟ってはいたのだが。 「うぇっぷ……」 「お、お前……。まさか!」 前言撤回だ! なにが『まあでも、いいか』だ馬鹿野郎! 「げろげろげ〜〜〜〜」 俺の背中にびしゃびしゃと……。いや、もはや何も云うまい。具体的な描写は完全に自主規制しないと食事中の皆さんに失礼というものだ! 「うっぎゃーーーーーーーーーーーーっ! こいつほんっっっとに信じらんねええええええええっ! ふざけんな大馬鹿野郎おおおおっ!」 「だっでぇ〜……うーーーー」 更に更に……うぇぇ。 「きょわーーーーーーーーーっ!」 フツー、物語のヒロインがゲロ吐きしたりするかああああ!? 祭のように騒がしい日々が続いていった……。と、いうのはもういいか。
酒宴女優のラストは
とても見苦しい限りのものだった。
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