#7 長雨 『お別れ』
夏祭りの後の静けさ。
何となく俺たちの『今』は、そんなイメージがした。
大騒ぎだった祭は終わり、いずれ酔いも醒めていく。
寂しくて、悲しくて。
ただ、一つだけ変わってしまったことがある。
もう、この季節は……戻ってこない。
祭りが終わっても、季節が巡れば、また祭りはやってくる。
けれど、さくらがいる祭りの季節は……もう巡ってこない。
気が付けば俺は、さくらが天界とやらに戻るということを聞いた日から、ボーっとしまくっている。というよりか、さくらのことばかり考えている。それ以外のことは、何をどうやっているのか、いまいち覚えてない。恐らく、何もできていないのだろう。 「ねえ」 「なんだ?」 状況が状況だからか、さくらのテンションも低い。 「あたしたち。こんなにのんびりしたのって、はじめてじゃない?」 「そうだな」 冬の弱々しい日差しがどこかもの悲しく感じられる中。俺たちは、何もしなかった。気晴らしに遊びに行くこともしなかった。学校の講義に出る気も起きなかったから、さぼった。窓の外の空を見上げながら、一日中ぼへ〜っと、ゴロゴロしていた。 「お前が来てから。毎日……なぁ。色々あったよな」 「うん」 ぎゃーぎゃー言い合ったりどつきあったり、お祭り騒ぎのような毎日だった。考えてみれば、こいつと出会ってから、もう三ヶ月以上が過ぎていた。 「なあ」 「何?」 今のように無気力な状態が嫌だから、あえて今、きついことを云ってやろうと思った。 「お前はさ。俺を幸せにしてくれるんじゃなかったのか?」 正確には、人々を……ということなのだけど。俺だってそのうちの一人に該当しているはずだ。 「……」 かなりぐさっと来るようなことを云ったつもりだ。 「お前が側にいるだけで、俺は幸せなんだけどなー。馬鹿だけど、楽しいし……」 馬鹿にした云い方だったけど、さくらは怒らなかった。 「……」 さくらは、今まで見せたことのないような、悲しい表情になった。 「……」 「……」 しばらく沈黙の時が流れる。 「ねえ」 やっとこさ、ひねり出したような声。 「ああ」 「膝枕。してあげよか?」 悪戯をするような感じではなかったから、頷く。 「それじゃあ……はい」 正座して、自分の膝をぽんぽんと叩いて示す。 「ああ」 俺はさくらの傍に寄り、仰向けに寝転がる。 後頭部に、さくらの膝の感触。その柔らかさと温かさで、さくらが女の子なんだなと今更実感する。 「どう?気持ち良い?」 「……ああ」 さくらは柔らかく微笑みながら、俺の額に手を乗せる。 こいつ、こんな優しい顔もできたんだな。普段はがさつな癖にな。……でも、すぐに悲しい顔になってしまう。 「あたしだってね。ここにいたいよ……」 ぽつりぽつりと、本心をさらけ出す。俺だって、こいつの微笑んだ顔をもっと見たい……。だから、無茶を云い続けてやる。 「だったらさ。俺を幸せにしに来たんだろ? だったら、ずっと側に居てくれよ」 「だめ……それはできない。帰らないと……」 そうか……。俺は自分の気持ちというのがやっとわかった。別れ際になって、こいつのことが好きなんだなと気付いた。どうしてもっと早く気付かなかったんだろう。 「誰か幸せにできないと、落第なんだろ?」 「……」 図星のようで、うつむく。 「このまま帰っちまうなら。俺は不幸だな」 「……」 ガキっぽいところとか
バカっぽいところとか
でも。こいつと一緒にいて、いつも感じていたことがある。
いつだって。 『今日はあたしが料理作ってあげる』 『ほぉ』 感心しても、いつも損だった。 『お湯が沸きましたー』 『うん。沸いたなー』 『コップヌードルの蓋を開けてー』 漫才みたいなやりとりは、続いて。 『うん。蓋を開けてー』 『線の所まで注いでー』 『うん。線の所まで注いでー』 『三分待つー』 『うん。三分待つー』 無意味なまでに元気で、のーてんきで。 『いじょー!』 『いじょー。……って、それのどこが料理だぼけぇっぇぇぇっっぇ!』 『だって人間界の料理、知らないもん』 僅か数ヶ月の間。
いつもそんな、端から見て笑えてくるようなやりとりだった。
でも……
いつの間にか、一緒にいるのが当然になっていた。
「……。空。高いね」 「ん。……そうだな」 流れていく白い雲に、真っ青なブルー。 「どうして……」 そして、すねたように云う。 「出会った頃は……。嫌いとか、出てけとか……散々云ってたくせに」 確かに、そうだった。何の気まぐれかわからないけれど、今はそうではなくなってしまっていた。 「もう、好きになっちまった。側にいて欲しくなっちまった。お前が下品で泥酔して人の背中でゲロ吐くような大馬鹿野郎なところも、町中で破壊行為したりめちゃくちゃやるところも。全部、な」 恋の告白にしては、あっさりと云えた。適当すぎるくらいあっさりと。 「あたしだって……。どうしてそんなこと、云うのよ」 俺たちは似たもの同士だった。さくらも同じような感情を抱くようになってしまっていたのだから。 「お前とずっと一緒にいたいから」 一番の後悔は、俺と出会ってしまったこと。 「あんたのこと。好きにならなければよかったのに」 「じゃ、嫌いになってくれ。で、俺をフってくれ。そーすりゃ何もかもチャラだな」 ふられるのであれば、少しの間傷心に苛まれるにせよ、いずれは吹っ切ることができるだろう。 「ば……かやろぉっ! そんなんできるわけないじゃないっ!」 「どうして?」 無理難題をふっかける俺をみて、心底むかついたようだ。 「……う、うるさい! ……わかってるくせに!」 「何を?」 すべて分かり切っている。けれど、問わずにいられなかった。 「あたしもあんたのこと、好きだってことを!」 わかっていても、聞かずにいられなかった……。少しでも、一秒でも……長くいたいから。時間稼ぎのような問答を繰り返していく。 さくらの頬を伝って涙の粒が落ちていた。 「す……きに。好きに、なっちゃったのよっ! あんたみたいな馬鹿で、冴えないオタで……女の子に……あたしに優しくない奴のことをっ!」 「だったら、優しく……させてくれよっ!どんなことだってしてやるからっ!傍にいてくれよっ!」 行きたかった店にも連れて行ってやる。見たいドラマがあるなら邪魔しないでやる。一緒にいたいならずっと傍にいてやる。 ……違う。俺が一緒にいたいんだ。どんな時でも。離れたくない。勝手に人の家に押しかけておいて、好きにさせておいて、勝手に帰っちまうなんて、そんなのは嫌なんだ! 「そんなっ……こと! ば……か……やろぉ。う……ぅ……」 優しくしてもらいたい。けれど、できるわけがない。さくらがそう思っていることをわかっていて、云った。 「すぐ戻らないといけねぇのかよっ!」 「……そう、よ」 こく、と頷く。 「どーにかならねぇのかよっ!」 「……なんないっ!」 頭を振る。どーにもなんない、という答えだった。 俺は少し熱くなりすぎてしまった。こいつに怒鳴ってもどうしようもないようだ。 「天使の力なんて、いらないよ。翼もいらない。もう、何もいらない。いらないのにな……」 力を失ったところで、どうにでもなれるわけじゃない。 「どうしようもないか……」 「あ〜あ。フユコミとかいうの、行ってみたかったなぁ……」 投げやりに見えて、本心。 多分こいつは、人に近付き過ぎてしまったのだろう。
『みんな』を幸せにしないといけないのだから。
「天使は天使だけに、恋のキューピットなんだろ?」 「……」 恋のキューピットが人に恋してしまった。悲劇、というのだろうか。……いや。端から見れば喜劇でしかないな。俺たちにとっては前者だとしても。 でも、悲劇だろうと喜劇だろうと関係ない。俺もさくらも本気なのだから。ガチなのだから。 「ならさ。俺の恋も成就させてくれよ」 自分の純愛を、何そんな言葉『悲劇』とか『喜劇』に当てはめようとしてんだろう。笑っちまうな。自分とさくらに対して失礼なことだな。 「……ごめん」 できない、と彼女は云った。翼があるのに、自由に空を飛ぶこともできない。彼女の足には蔦が巻き付いて、がんじがらめにしているみたいだ。 「……」 「……」 また、沈黙の時が続く。今日は一日こんなことばかりだ。沈黙を紛らわそうとして話をすれば、自ずと会話が定まってしまう。 「……。ちょっと。出かけてくる」 「おい」 「ちゃんと、戻ってくるから……。だから、心配しないで……」 「俺も行きたい」 「だめ! ……一人にさせて」 打ちのめされながらも、気丈に振る舞って、立ち上がった。 「こんな時に一人にさせられるかよっ!」 ドアのノブにかけた手をつかみ、引きはがそうとする。 「一人になりたいったら一人になりたいのよっ! 離せーーーーっ!」 「ぐわっ!」 本気の怒りに振れてしまい、吹き飛ばされる。俺の力でかなう相手じゃないと、改めて思い知らされる。 そして彼女はドアの向こうに消えた。 「いてて、て……。本気でやりやがって……あの馬鹿」 それからまた、時間が過ぎていく。
ぴぴぴぴ、と携帯が鳴る。俺は着メロなどは入れていないから、デフォルトのまま。無機質で個性のない音だ。 「もしもし」 それは、大学の友人からだった。一言二言どうでもいいことを話して、『また飲みに行かないか』という話題になった。彼は、この前さくらと共に飲んだうちの一人だから。 「あー。悪いけど、今はちょっとそういう気分じゃないんだ。……さくらがね。色々あってね」 彼らもさくらの素性を少しだけど知っているから、話しやすい。そう思っていたのだけど。 「……え? あ? ああ。そ……そうか。いや、俺の勘違いだったみたいだ」 会話の中で違和感を感じて、早々に切り上げることにした。 「うん。うん。……じゃあ、またな」 ぴっと音を立てて通話を切った。 「あの馬鹿。典型的すぎるぞ」 恐らく、いや……間違いなくあいつは、出会ってきた人々の記憶から、自分の存在を抹消している。今電話で話していた奴は、さくらのことを知らないと云っていたから。 やがて夕暮れ時を過ぎ、夜が来た。
「おかえり」 「……。ただいま」 何か云いたいことがあるのに、とても云いづらそうな、そんな表情をしていた。そりゃそうだろうな。 「さくら」 どこに行っていたんだ、等ということは分かり切っているから聞かない。俺が聞くのはもっともっと突っ込んだところだ。 「何よ」 「一つだけ云っておく」 こいつがこの後何をするか、俺にはわかっている。 「俺は忘れないからな。お前のこと」 「っ! 何……で!」 絶対隠そうと思っていたことだったのだろう。あきらかに動揺している。 「バレバレなんだよ。……死んでも忘れてやらねぇからな。やれるもんならやってみやがれアホさくら」 俺の記憶から、こいつの存在を完全に抹消する。そんなことは絶対に……させない。 「お前は相変わらず、どこか抜けてるな」 だから、抜け作だなんてバカにしたこともあったな。ぴったりだ。やっぱりこいつのあだ名はナナサク。七瀬・抜け作。最高に馬鹿で人間くさい天使だ。 「あのなぁ。こーいうのは、相手に気付かせちゃNGってものだろ? いくら何でもな」 「う……ぅ……」 今ではこいつのアホ面も、なぜだかとても愛おしく見える。 「さくら」 「あ……」 呆然として、ただ涙を流し続けるだけのさくらにキスをした。 「なん……で……」 「帰ってほしくないから」 俺の記憶を消そうという固い決心は、あっさりと崩れた。 「どうして……どうして……」 どうして最後に……と。どうして離ればなれになる前に……と。さくらの瞳は語っていた。 キスの温もりは暖かくて、優しくて。 「どうしてこんなに、優しいの……よ」
二度目のキスは、どちらからということもなく、さりげなく……。
「あれ?」その瞬間。 「……バかぁっ!」 白い雪のように、やわらかな羽根が、ふわっと舞い散った…… 「……できるわけ……ないじゃない!」 うすれゆく意識の中で、俺は……。 「こんなに優しく……されちゃったら……」 何もできはしなかった。 さくらが大粒の涙をこぼして泣きじゃくっているのに……。 (泣くな、よ……) (泣かせたのは……誰よ……) 気が付いたら俺は、ベッドに横になっていた。 外は暗く、朝日などどこにも見えなかった。 (いつ、寝たんだっけか?) どこか曖昧な感覚に、しばらく呆然としていた。 「雨、か」 外を見ると、しとしとと降る雨。暗く、陰惨な朝だった。
まるで
(やだよ……) 誰かが泣いているかのように (あたしのこと……忘れて欲しく……ないよぉ……) 肌寒い、冬の長雨が、街を濡していった。 (ごめん。あたしを……許して) 誰かが、空の向こうで俺の名を呼んだような (悟……) そんな気がした……。 (さよなら……) |