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-勇気、みんなに! その後-















 色々あった。と、ただ一言で全てを片付けるには惜しいような気がする。僕にとってはそんな激動の数ヶ月間を経て、ようやく落ち着いた頃のこと。僕は自分の部屋でくつろいでいた。

 例のごとく、数カ月前に住んでいた所とは全く違う。要は引っ越しをしたということなのだけど。そんなある日のこと。

「こんにちは〜」

 チャイムと共に玄関の外から声がする。いつかどこかで聞いたような、脳天気そうな間延びした声が。これがデジャヴというものかと思いつつ、はーいと返事をしてから出てみると、そこには彼女がいた。

「……」

「あは。お隣に引っ越してきちゃいました〜。引っ越し蕎麦をどうぞ〜」

 彼女、とはいつぞやの死神少女のことだった。笑顔で引っ越し蕎麦をくれた。

(喜多方ラーメン……)

 彼女が差し出した引っ越し蕎麦のパッケージをみてみると、一瞬でイメージが浮かぶのだった。ああ。あれか。福島県だったかの名産だったっけ。太麺でコシがあって、濃厚な醤油味が絡み合って美味いんだよなー。とか思ったところで、彼女は僕の表情の変化に気付いたのかうろたえ始める。

「どうしたんですか? ……も、もしかして。ラーメンはお蕎麦に入らない派なのでしたか!? あぅあぅ。急いでてラーメン買っちゃったから……。それともそれとも、もしかしてラーメンお嫌いでしたかぁっ?」

 何だか至らぬ点でもあったかのように思われたみたいだった。彼女はひたすら慌てふためいて、何を失敗したのか悩むのだった。

「あ、いや。そういうことじゃなくてね。……って、どーして君がお隣に引っ越してきたのかな?」

 引っ越し蕎麦の事など後回しで構わない。今突っ込むべきはそのことだと思うのだった。あり得ない。起こりえない。故意にやっているとしたら何故?

「えへへへ〜」

 何故だか彼女は照れくさそうに笑って、ムンクの『叫び』じゃないけれど両手を頬に当てて云った。

「実は私〜。死神稼業を辞めちゃったんです」

「つまりはニートになったわけと」

「ニートじゃないですよぉ。そうじゃなくって、晴れて普通の人間の女子高生になったんです〜」

 話が読めない。だからどうして僕の隣の部屋に? と、聞こうとすると、彼女は先回りでもしたかのように云った。

「高野さん。私ですね。実はその〜。あなたのことがですね〜。えへへへ〜。その〜、好きになっちゃったんですー」

 照れくさそうにほわ〜んとした笑顔で云った。なるほど。そう云うことか。何となく想像はできた。察するに、彼女はとても過酷な環境で過ごしてきたっぽい。僕と出会ったあの時はまさに、初めて人に優しくしてもらえたよーな、そんな感じだったから。まさに、餌付けに成功してしまったと云ってもいいのだろうか。しかし、死神さんを餌付けか。良いのか悪いのか。

 衝撃の告白、と云うような緊迫感はまったくないけれど。告白は告白なわけで、返事をしなければいけない。それが礼儀というものなのだが、僕の第一声ははっきり云って彼女を茶化していたのだった。もはや本能でそうしてしまったとしか云いようがなかった。

「で。改めて住所突き止めてストーカーとな」

「ちちち、違いますぅ! そんなんじゃないのですぅ!」

 まあ、そう云う陰湿な所はまるでなさそうな娘だけどな。じゃあ何だい、と、僕の目はそんな色をしていたようで。

「これは、そうです。あれです。押しかけ女房〜、ってやつなのですよ〜」

 えっへんと小さな胸を張って宣言。もはや何が何だか。どこからどう突っ込んでいいものやら、と思ったのだけど。

「ところで高野さん。彼女さんとか、いたりいなかったりしたりします?」

 それを先に聞けよ、と思ったが。からかうつもりは無いのだけど、ついつい憎まれ口のように意地悪な言葉が口に出てしまうのだった。

「いる」

 と、云ったその瞬間。彼女は。

「が、が、がーんがーん。ががーんがーーーーーん」

 とてもわかりやすく、特大の稲妻でもズガーーーンと頭上に落ちたかのようにショックで目をまん丸にして青ざめてしまった。全てが終わったかのように、大地でも裂けたかのように。

「と、云ったらどうする?」

 質問に質問で返すなーーー! と、怒られるかも知れないけどそう云ってみるが、残念ながら取り乱した彼女に僕の言葉は聞こえない。結構自分の世界というか妄想というか、トリップしやすい娘のようだ。

「はぅぅぅ! あぅぅぅ! いいい、いきなりいきなりふられちゃいました! 失恋しちゃいました。折角折角悩んで考えて迷って皆さんに迷惑かけてまで地上に降りて来たのにぃぃぃ! あぅーーーっ! どうしよどうしよどうしよぉぉぉ! 今更帰るに帰れませんんんんんーーーっ! うあーーーん!」

「まてまて人の話を聞け落ち着け。いないっちゅーねん。彼女なんていないっちゅーねん」

 ガクガクと体を揺さぶってやって我に返す。

「はぅ? いないって、彼女さんがですか〜?」

「そうだよ。僕は『いる、って云ったらどうする?』って、聞いただけなのに」

「な、なーんだ。そーですか。ほーっとしました。はぁぁぁ。よかったぁ」

「でも。だからと云ってはなんだけど。君とそのような関係になるとは限らないんだけど」

 僕が云ったとおり何の根拠もないけれど、彼女は恐ろしいくらいに前向きで、可能性があるうちは全力で行動する派のようだ。図太いと云っては失礼だけど、こういうところは少し見習わないといけないな。

「いーのです。ダメもとなのです。将来はわからないのです。元本は保証されてないけど先行投資なのですー!」

「僕は保険か投資信託か何かですか」

 とか何とか話をしていると。く〜っとお腹が鳴った。僕のだか、彼女のだか、あるいは両方だか。

「あらら」

 そして、彼女はまたにっこりと微笑みながら聞いてきた。

「高野さん高野さん。お昼ご飯はもう食べちゃいました?」

 彼女は少し首を傾げながら僕の名を二度呼んだ。その様が、なんだかとても人懐こい小動物のようだと思った。

「いや。これから何か作ろうかと思っていた所だったんだけど」

 それを聞いて彼女はまたまた嬉しそうにえへへへと笑って云った。

「丁度よかったぁ。私、ラーメン作りますねっ! 材料持ってきま〜す!」

 何だかとっても楽しそうなので断れなかった。断る理由もなかったけど、折角なので作ってもらって、事情聴取と行こうかなと思った。押しかけ女房してきた理由を説明してもらわないとな。






それからしばらくして。






「はい、どうぞ〜」

「ありがとう」

 冬はこたつ、夏はテーブルという形の兼用テーブルの上には丼が二つ。見た目も匂いもとっても美味しそう。僕のは大盛り、彼女のはちょっと少なめ。醤油のスープがたっぷりで、チャーシューにメンマにほうれん草に、そしてゆで卵が丸々一つ入っている。が、ここで問題が一つ。

「……」

 気がついたら僕は無言のまま、白いゆで卵の表面に付けられた海苔を箸でペリペリと剥がしていた。あまりにも何気ない動作に、彼女は目をまん丸にして口を大きく開けて呆然としていたが。

「ど、どうしてそういうことするんですかぁぁ〜〜〜〜〜!」

 すぐさま、ひどい〜とばかりに抗議し始めた。だが、僕にも云い分がある。負ける訳にはいかない。

「するわ馬鹿者〜〜〜! ラーメンにドクロ入れるなぁぁぁぁ〜〜〜〜〜! 気持ち悪いわ〜〜〜〜〜!」

 彼女は器用にも、海苔を包丁だかナイフだかで削って形を作ってゆで卵に貼った。つまりだ。彼女はゆで卵を笑顔のドクロさんにしてしまったのだ! ふつーに考えてそりゃ問題だろう? ラーメンのスープに笑顔のドクロさんがぷかぷか浮かんでいるのだ。不気味だし縁起悪いし不謹慎なことこの上ない。

「うぅうぅ。ひどいひどいひどぃぃぃ。折角苦労して作ったのにぃ〜。スカルちゃん可愛いのに……」

 名前があったんかい。スカルちゃんと云うのかこの不気味な笑顔ドクロ君は。何だかんだでやはり死神なんだなぁ。わざわざんなもん作るとは。

「スカルちゃんの熱狂的なファンは、スカラーって呼ばれているんですよぉ。うぅぅぅ」

 と、どうでもえーわいと云いたくなるようなことをブツブツ呟いていた。スカラーって……スカラー……ねぇ。色々想像してしまう。

「スカラー派だぁ? 何だか変な波でも出しそうだな」

 怪しげな白装束とお札もセットで。ああ、そんでもって何だか防御力でも上がりそうな気がするな。って、わかる人にしかわからないネタかなぁ。某RPGの呪文のことだけど。そんなことどうでもいい。

「しかし。よくもまぁ、無駄な苦労を」

 何かとても不満そう。だけど僕はそれを無視して、海苔を引っぺがしスカラーモード(って何だよ)を解除してノーマル状態になったゆで卵を丸呑みするかのように一口で食ってから、スープをずずずとすすった。醤油味が香ばしくてとても美味しかった。麺も太くて腰が強くて良かった。そしてそれからもう一つ、突っこみを入れてやる。

「とりあえず、ドクロの髪飾りは不気味なのでやめた方がいいと思うよ」

 と。

「不気味じゃないです〜〜〜! 可愛いのに! お洒落なのに! 私のお気に入りなのに!」

「いや。悪趣味だからさ。はっきり云ってかなりキモいからさ」

「がーんがーんがーん。断言されました。はっきり云われちゃいました。キモいって云われちゃいました。……わ、私のあ、あ、あいあんてぃてぃーが〜!」

「それを云うならアイデンティティーだろっ!」

 何か、本当に今更だけど。この娘の感覚はかなり変なのではなかろうか? 個性と云えばそれまでだが、世間からずれているというか、独特というか。

「でさ。そんなことはいいんだ。僕は死神に取り憑かれたと云っていいわけだね?」

 さりげなくスカルちゃんの話題を放り投げ、本題に入るとする。そうしないとキリがなさそうだったから。話の腰が折れまくりで全然進んでいかないから。

「取り憑いてないですよう。ただ、ほんとに私……高野さんの事が好きになっちゃったから。あれからずっとずっとず〜っと忘れられなくて、思い出す度に胸が締め付けられちゃって……我慢できなくて、それで」

 結構真剣そうに云うのだった。かなり純情な性格のようだが、僕は無粋なのだった。

「ああ。きっとその症状は胸焼けだ。飲み過ぎたか食べ過ぎたかあるいはその両方かだ。胃薬でも飲むといいだろうと判断する」

「ち〜が〜い〜ますぅぅぅ〜〜〜! 本気です! 本当です! 真実なのです〜〜〜! 試しに胃薬飲んでも変わらなかったし」

 何と。実際に飲んだのか。アホか。アホだな。うん。

「で。我慢できなくなったので、地上に降りて普通の人間の女子高生になって、僕の隣の部屋に押しかけ女房しに来た、と?」

「はいです。迷惑でしょうか?」

 情け容赦なく突き放してみる。

「うん。かなり。だいぶ。相当。変なのに付きまとわれて迷惑、って感じ?」

「がーーんがーーーんがーーーーーん。そそそ、そんなぁぁぁ。はぅぅぅ。ぐすぐす」

 いじめてみるというか、いじってみると可愛いのでついついそう云う憎まれ口を聞いてしまう。だけど、彼女が本気だと云うことはわかるし、正直なところ僕もちょっぴり彼女のことが様々な意味で気になり始めていたかもしれないから必ずフォローは入れてみることにした。

 恋愛感情は置いておくとして、こんな面白い存在は普通に生活していたら出会うことはないだろうから。観察対象と云うべきか、ネタ保全と云うべきか、ともかくそこらなわけで。

「冗談だよ。ところでさ」

「はぅっ! 冗談でしたか。よかったぁぁぁ。……で、何でしょう?」

 未だに肝心なことを教えてもらえてなかったので、突っ込んでみる。

「ちゃんと教えてくれよ。君の名前をさ」

「あ、あ。そうでしたねぇ。ご安心くださいっ! 今回はちゃーんと決めて来ましたから!」

 自分の名前って、そうやって決めるものなんだろうか? 後付設定なんだろうか?

「私のお名前は〜」

 じゃじゃーん、とでもBGMがなりそうな前振りだ。

「土黒川出素子(どくろがわですこ)って云うんです〜」

「……」

 名前を紙にサインペンで書き書きしながら笑顔。だけど僕は当然のことながら突っこみを入れる。あまりにもあまりだからだ。目にあまりまくるからだ! ふとどき千万だからだ! 誰かハリセンを貸せ! 思いっきりはたいてくれようぞ!

「どうですどうです? 可愛いでしょ〜? なので今日から私のことはデスちゃんって呼んでください〜」

「アホたれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜! なんだその名前は! 縁起悪いわ〜〜〜〜〜〜っ! それにそれに、どこの相撲取りじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 何と云うか、十両辺りで頑張っていそうな感じだな。

「はぅぅぅっ! 何で何で何でぇぇぇぇ! うぅぅ。一晩寝ずに考えたのにぃぃぃ!」

 一晩寝ずに考えてそれか! この娘は、間違いない。かなりお馬鹿だ。アホの子だ。センスがなさすぎる。僕は迷うことなく突っ込んだ。

「却下だ却下! なんだその族の当て字みたいな名前は!」

「はぅ! あぅ! はふぅ! じ、じゃあ……で、出素美(ですみ)とかの方がよかったですか〜?」

「このお馬鹿ぁっ!」

「はぅんっ!」

 全く分かっていない! 反射的に、スリッパで軽くべしっと一撃。僕はついつい手を出してしまう。DV(ドメスティックバイオレンス)ではないと思われる。所謂、ボケに対する突っこみのようなものだからだ。

「出素美もデススターもデスマスクもデスクリムゾンもデストローイもないわ〜〜〜〜〜〜っ! 考え直せ〜〜〜〜〜っ!」

「あぅぅっ! じ、じゃあ、どういう名前ならいいんですかぁ〜!?」

 で、まぁ。そんなこんなで問題のありまくる新規採用案に容赦なく駄目だしをした結果。あーでもないこーでもない云い合ってるうちに。逆さにしたり変えたりいじりまくって結局。

「よーし。これだ。これでいこう。こんなところでいいだろう」

「そんな適当なぁ」

「やかましい。デス子よりゃいい」

「あぅう」

 決定稿はこれ。確かに適当ではあるけれど、デス様よりゃいいだろう。

「今日から君の名は」

「結城みな美、です〜。って、やっぱりデスちゃんの方がいいと思うなぁ……ってあぅぅぅ! すすす、スリッパではたかないでくださいぃぃ!」

 彼女に聞いたところ。地上に降りた理由に。僕に会いにきたということと同時に、勇気をみんなにあげられるようなことをしたい。とか何とか、面接時における志望動機みたいなことを云ってたので。ゆうきをみんなに、ゆうきみなに、ゆうきみなみ……と。連想ゲームの如く名前を決めてやった。名前が一部ひらがななのは、何となくというかただ単に僕の趣味だ。まあでも結局は人の名だ。どうでもいい、云ったら失礼だけど他人事だからやっぱりどうでもいいのかもしれないな。

「でだ。呼び方は……略して『うきみな』だな。うむ。しかし、うきみなって何だか『不気味な』に語感が似てるよな」

 一人で納得していると、彼女は不同意の意向のようで。

「あふっ! どーーーしてですか! 何でそーーーなるんですか! ひどいですひどいですひどいですぅぅぅっ!」

「ま、いいじゃん。あ、うきみなちゃん。喜多方ラーメンごちそうさま。やっぱすごく美味いよこれ。僕は細麺が好きなんだけど、太麺もなかなかだね」

 ボリュームがあってなかなかだし、正直美味しかった。

「ラーメンのお話ではぐらかさないでくださいーーーーっ! 誰がうきなみちゃんなんですかぁぁ〜〜〜!」

 いや、うきなみじゃなくてうきみな。……まあ、どっちでもいいか。

「まあまあ。んでさ、うきみなちゃん。一つ聞きたいんだけど。みんなに勇気をあげたいってゆーけどさ。具体的に、どんなこと?」

 思いっきりはぐらかしてやる。そして、見事にはぐらかされるデスちゃん改めみな美だった。

「え? えと。あ〜。私、うきみなちゃんではないですけど。……う〜。そ〜ですねぇ。えーっと。それは例えば……アイドル、みたいな?」

 あぁ? アイドルだぁ? 僕は彼女の体をなめ回すようにまじまじと見てやる。見つめてやる。スキャンしてやる。

「はぅ〜ん。そんなに見つめられたら、恥ずかしいのですよ〜」

 頬に手を当ててぽえ〜っと照れる彼女を無視して評価する。人は見かけで判断してはいけないのはわかりつつも。うきなみちゃんだったかうきみなちゃんだったか改め目の前の少女、結城みな美ちゃんは背はちっちゃいし、胸はぺったんこと云うほどではないけど限りなくそれに近いというかぶっちゃけ貧しい。幼児体型でスタイルはよろしくない。んで見た目の印象はかなりへっぽこ、実際中身もへっぽこなのだろう。運動神経は……聞いてみると、この前疲れて公園のベンチで一休みしてたら、野犬に鎌を奪われて慌てて追いかけただの。日常生活で、歩いててよくこけるだので。はっきり云ってとろくさいというか鈍くさいというかたるいというか。頭脳は……云うまでもないことだがセンスは悪い。悪趣味だ。無自覚なのが救いようがない。何せ、ラーメンにドクロゆで卵だもんな。知能指数は……これまた云っちゃあなんだし非常に失礼だが、馬鹿っぽい。きっとそうだ。見かけに寄るだろう。つまるところ評価の結果としては。

「無理だな。うん無理だ。絶対無理だ。諦めなさい」

 よく云えば素朴だけど、田舎っぽいとも取れるな。ある意味、そういうのが好きな人には人気が出るかも。

「がーーーん! 断言されましたっ! どうしてうんうん頷いてるんですかーーーっ!」

 その理由は、本人に云うと残酷すぎるのでやめておく。ボロボロだもんな。抗議し続けるみな美を差し置いて、僕は思ったことを口に出す。

「しかし、そうかぁ。勇気をみんなにかぁ。てことは、そうかぁ。『結城さんの体をみんなに』あ・げ・る、と。そういうことかぁ」

「何ですかそれ! どういう意味ですかっ!?」

「聞いたとおりだよ。前から後ろからお口から。皆さん、私の体でいっぱい感じてくださ〜い、いっちゃってくださ〜い、好き放題しちゃってくださ〜い。何度も楽しんでくださ〜い。私、結城みな美の体は皆さんのおもちゃですから〜えへへへ〜。と、そういうところ?」

 ベタベタな成年コミックのようなワンシーンだ。彼女も同じような想像をしたらしく。

「あぅあぅあぅぅっ。そそそそ、そう云う意味じゃないんですってばぁぁぁ! そんなえっちではずかしくてはしたないことしませんったらしませんしませんしませ〜〜〜ん! ふぇぇぇぇ〜〜〜〜ん!」

 ああ、どうしてこう、いじると楽しいというか可愛いというか。ころころ変わる表情が、とても魅力的に感じてきた。ごめんねみな美。

「冗談冗談。まあ、理由は何となくわかったから。よろしく、ね。みな美」

 手を軽く握って握手。その瞬間、彼女はすぐ笑顔になる。

「あ……。はいっ! 高野さん、こちらこそよろしくなのですよ〜!」

 落ちこぼれの、元死神候補さんか。こういうとびっきり変な娘もいるんだなぁ、とつくづく思った。わざわざ僕の所におしかけてきて、騒がしくも楽しくも。予想などできなかった。できるわけがなかった。これだから人生は楽しくて、やめられない。今はとにかくそう思えるんだ。

 みな美。彼女の名前。もう、彼女も僕も忘れることはないだろう。が……。

「って、高野さん〜。みな美って、誰ですか?」

 真剣に問う天然ボケがここにいた。今し方決めた事なのに、肝心の本人にはあっさりと忘れられていた。

「自分の名前だろがああああああああああっ!」

「はぅっ! そそそ、そうなのでしたぁっ!」

 ああ。何だかもう。……僕は、こんなに突っこむ性格だったかなぁ。










全てにおいて、僕はまだいい方だ。

しみじみとそう思う。何故ならば。

それまでの環境に見切りをつけて、全てを一新する余裕があったから。

云うなれば、恵まれていたのだから。

それができない人は、追い込まれてしまった時。どうするのだろう?

何に救いを求めるのだろうか。










 天才と呼ばれるような、才能のある人々の苦悩程ではないけれど。凡人だって時に苦しむ時はある。苦しみの度合いというか、深淵の深さは、前述した人々のそれとは比較にならないだろうが。

 あの後。やっぱりと云うべきか、僕は本格的に体調を崩してしまったのだった。ちょうど忙しい時期を最後の息吹きと云うのか、とにかく根性出して突破して、休暇に入る直前の事だった。

 それまでの緊張感がぷっつりと途切れたのか、疲れが出てしまったのか、恐らく両方なのだろう。溜まりに溜まったストレスが溢れ出てしまったようだ。不安症、と云うのだろうか? どうやらそういうものにかかってしまって、あんまり行きたくなかったのだけれども、迷った結果精神科に行った。折角死神娘……とは、みな美のことだけど、彼女に『やばいですよ〜』と云われて自覚していたのに、その情報を無駄にしてしまったようだ。かなりとほほな気分。

 どうでもいいくらい、ほんの些細な出来事がトリガーになったようだった。その時は、そう。オフィスの白い明かりが必要以上に明るく眩しく見えて、暑くもないのに冷や汗がだらだらと出て、シャツを濡らした。さすがに僕も体の異変に気付いたけれど誰にも相談できなかった。とにかく急いで自宅に戻ったのだけど緊張感は収まらず、動悸は高まったまま。どうしようもなくて後は、布団をかぶってがくがくぶるぶる。その時はとにかく自分が誰かを傷つけてしまうのではないか、何かとんでもないことをやってしまうのではないか、と云うような得体の知れない被害妄想ならぬ加害妄想にとらわれた。食欲なんてもちろん全くなくて、それでも時間がたって僅かでも落ち着いて。パソコンを立ち上げインターネットに接続してインスタントメッセンジャーを使って、誰かに自分の今の状態を打ち明けて聞いてもらうまで、そんな状態は続いた。

 ああ、何と情けない姿だろうと思った。だから見栄を張らずやせ我慢せず、少し落ち着いたところで医者に診てもらうことにしたのだった。休暇中で、平日だと云うのに一時間は軽く待たされて、診断してもらった結果。

「強迫性障害……」

 まあ、医者なんてものはどんなものにでも病名をつけるのだろうな。それが商売なのだから仕方がないが。それでも、改めてそんな病名をつけられてしまって、正直なところ凹んだのだった。結局、応急処置ではないけれどセラニンとかいう名の抗不安剤を一週間分だけ処方してもらい、実際飲んでみたら確かに不安感は消えた。けれど、かなり強力な薬なのか、はたまた自分の体が敏感で反応しやすいのか、副作用らしきものが結構出た。肌が荒れたり、胃が荒れたり、頭痛がしたり。それに何より、そういった薬は効きが良くても頼ってしまうと云うか中毒と云うか、依存症になってしまうかもしれないので、結局その一週間分だけでやめておいた。薬なんてそうそう飲むもんじゃない。

 ニュースなんかでよく云われるような、所謂『抜本的』な解決をしない限り、また同じ事を繰り返すだろう。そう思ったから、僕は行動に出た。しかし、結果的に、全てにおいて僕は甘かった。自分自身の社会経験の不足もあるだろうしお人好しなところもあるだろうし、自分の責任感が悪い意味で足枷になった。こういうときは情に流されてはいけないと、後々痛感した。どうしたのかと云うと、仕事が落ち着いた時……要するに、忙しい時期を突破して暇になったところで辞めよう、などと考えてしまったのだった。そうではなくて、強引に事を進めるべきだった。

 その結果、辞めるタイミングを完全に逃してしまったようで。まあぶっちゃけ、会社とトラブルを起こしたと云うべきか、もめ事を起こしてしまった。一ヶ月ほど前……事前に云っておいたのに何も対処してくれなかったので、上の方の対応のまずさもあって僕もさすがにキレてしまい怒鳴り合いになって『もう行かねぇ! 絶対行くもんか!』と、まぁ。そういうことになってしまった。もう少しスマートにできなかったものかなぁと思えば、できなかったんだろうなぁ。そういう状況だった。まあでも、いい経験にはなったとは思う。辞めるとき主導権握るのは自分自身だな、と肝に銘じることにした。そんなわけで、あまりにも頭に来ていたので、しばらくの間電話連絡も何もかも放置してやって休んだ後書類を書きに行き、正式に退社することにした。

 その後、僕は荷物をまとめ、田舎の実家に帰ることにした。しばらくの間居候させてもらって体調を整えた。が……またまた体調を崩してしまった。ああ、またしても! なかなか治らない長い風邪を引き込んでしまった。喉が痛くてまともにしゃべれないような。それでも何とか数週間で整えて、間髪入れずに職を探した。そうしないとニートになってしまうかな、とも思ったし、両親の視線も痛くなるだろうと思ったので。で、就職活動だが……覚悟はしていたが、かなり厳しいものがあった。田舎に職なんてなかなかないわな。だから地方都市は不況なんだろう。連日ハローワークに行っては、端末で検索して探した。こりゃもう派遣あたりで行くしかないのかな、と思って派遣会社にも登録した。でも、粘り強く探して、職種を問わず探した結果。何とも幸運な事に、自宅の近くに職を得ることができた。それまでの仕事とはまるで違う分野だったけれど。

 で、今はそれから半年以上も過ぎたわけで。ようやく仕事に慣れて身辺が落ち着いたので、改めて一人暮らしを再開した。慣れるまではなかなか大変で、辞めるべきではなかったのか……などと少しだけ自問自答したけれど、今では正解だったと断言できる。やはり離職というのはリスクを伴うものであることは確かだ。けれど、あのままの状態でいたら自分は壊れていただろう。みな美に再び迎えに来てもらう羽目になっていたかもしれない。そんなことになるくらいなら……仕方がないだろう。

 で。そんなところで、いつぞやのちんちくりんな死神娘が押しかけ女房よろしくやってきて、先程のようなやり取りを繰り広げたのだ。あらすじはそういう感じ。










…………










 ある日のこと。みな美と海に行くことになった。みな美が行ったことがない、と云うことなので試しに連れて行ってやることにした。水着もプレゼントしてあげた。結構高いもののようで。でも、目を輝かせて選んでいるみな美が可愛かったので、まぁいいかと思った。

 再就職にあたって買った軽自動車で十数分というところ。だだっ広い砂浜に着いた。僕の田舎は海に程近いところなのだった。夏は最高かもしれないな。

「わ、わ、わ〜〜。海ってすごいんですねぇ! おっきいです! 広いです! 青いです〜〜〜!」

 文字通り目を丸くして驚いて、すごく楽しそう。早速着替えてきて、海に特攻していった。準備運動しろよーとか云おうと思ったけど、思い出す。

「そういえばあいつ、死神なんだっけか」

 そりゃ、死ぬわけないわな。職業としての死神は退職したけれど、彼女は種族としても死神なのだそうだ。よくわからんが。

 みな美はあまりにも人間的過ぎて時折、そんなことを忘れてしまう事がある。そんな時、僕は久しぶりにある人に出会った。海の家の、オープンテラスなところで優雅にお茶を飲んでいた。

「あなたは」

「お久しぶり、ですね」

 いつぞやの。そう、みな美と出会ったあの日の事を思い出す。みな美の上司の二級死神主任殿で、名前は……名前までは教えてもらえなかったんだっけ。というよりも、彼女たちに名前という概念はないのかも知れない。

「みな美を僕のところに連れてきたのはあんたの仕業だな?」

「ご名答」

 何となく、今思ったことを口にしてみると、彼女はあっさりと肯定した。みな美とは正反対の、クールで落ち着いた性格をしているようだ。くす、と微かに微笑む。

「なんでまた」

「あの娘にとって、それが一番いいのかな。って思ったから。勝手なことをしちゃって申し訳ないけれど」

「ふうん」

 目線で座るよう促されたので、遠慮なく座ることにする。

「あの娘。みな美、って名前がついたのね」

「ああ。勇気をみんなに、だってさ」

 いきさつは色々あったけど、結局今では馴染んでいた。

「いい名前ね」

「……あんたの名は?」

「名前なんてありません。強いて云うなら、チーフとでも」

 やっぱり、そういう概念はないっぽい。話が続いていかないので突っこみを入れてみよう。

「じゃ。チーフさん。どうしてみな美を僕のところに連れてくるのが一番いいって思ったので?」

「……」

 少し考え込んでから、彼女は語り出した。

「あの娘は、人の側にいる方がいいのよ。……今のあの娘、とても幸せそうでしょう?」

「まぁ、ね」

 そうなのだろう。恐らくは。少なくとも、彼女が来て以来。僕は退屈することがまるでなくなったし、話し相手ができて楽しい……と思っている。





例えば。





 ある日のこと。近所の河原にて、土手の草刈りをすることになって。

「切れないなぁ。みな美」

 支給された鎌は手入れをしていないのか、錆び付いていて全然切れなかった。だが、鎌と云えば専門に扱っている人物が目の前にいるではないか。

「はい〜? なんでしょう?」

「鎌貸してくれない?」

「はいはい。いいですよぉ〜」

 そうして彼女は例のでっかい鎌を出した。僕はそれを使って豪快に草を刈ろうとしたのだが。……これがなかなかのなまくら鎌だったようで、全然切れやしない。ばっさばっさと切るイメージでいたのだけど、拍子抜けもいいところだ。子供のころ保育園の劇で紙の剣を作ったことがあるけど、それなんじゃなかろうか。あるいはスポンジか何かでできてるんじゃないか?

「……」

 僕はため息をつきながら拗ねてしまい、無言でその鎌を投げ捨てた。ぽいっといい感じに。使えねぇ、いらねぇ、と云う感じに。みな美はそれを、口を大きく開けて目をまん丸にして呆然としていたけれど。やがて抗議してきた。

「ななな、なんてことするんですかぁぁ〜〜〜!」

 この世のものは全て評価されているのだ。と、合理主義者のように云ってみる。

「切れない鎌など必要ない。いらん。捨てちまえ」

「あぅぅぅ。私のあいあんりーがーが……」

「アイデンティティだろっ! お前の鎌は飾りかっ!」

「そうですそのとおりです飾りですっ! 何か問題ありますかぁ〜!?」

 こいつ、開き直ったぞ!

「飾りじゃないのよ鎌は、くらいの台詞をはいてみろ!」

「飾りでも必要なんですよぉ〜〜〜! だってだってだって! あの鎌がないと、私が死神さんだって誰も気付いてくれないじゃないですかぁ〜〜〜!」

「大丈夫だ。あの鎌があっても全然死神っぽくないから」

「がーーーんがーーーんがーーーん。云い切られちゃいましたぁ〜〜〜!」

 うるうると涙を流しながら、投げ捨てられた鎌を拾いに行って……。

「あ」

「はにゃんっ!」

 躓いて、直後にどぼんと河にダイブする音が響くのだった。





そんな、微笑ましいワンシーン。





 チーフさんも、僕がそんな風景を思い浮かべているのが分かるのか、微かに微笑を浮かべていた。

「たまにいるのよ。あの娘みたいに、間違って死神に生まれて来たような娘が。天使みたいよね」

 天使だったとしてもへっぽこそうだな。

「この国は、統計の数字だけでも年間の自殺者数が三万数千人。実際の数字はそんなものではすまないでしょう。戦争状態でもなく、平和な世なのにね」

「……」

「おかしいと思うでしょう? 私たち死神は、本来魂を狩り集めるのが仕事。なのに今は……死を急ぐ人を止めるのが仕事になっているんだから」

 淡々と、諦めにも似た微笑を浮かべながら彼女は続ける。

「遅かれ早かれ、人は死ぬ。事故だったり、病気だったり。年老いて寿命を迎えたり。死に様は様々だけど」

 ふう、と溜息をついた。

「そういった人達を死に誘うのは至極当然の事。それが、本来の私たちの仕事のはずなのよ」

「てことは。みな美のような天然娘には、きつすぎるのか」

「そういうこと。あの娘ね。最初、私の部署……自殺課ではないところにいたのよ」

「死にそうなじーさんばーさんをお迎えに行ったり?」

「ええ」





『おじいさん、こんにちは』

 みな美はいつも笑顔で、結構礼儀正しい。研修の成果かそれまでの経験か、ぺこりと丁寧にお辞儀をするのだった。病院のベッドの上には、死を迎える寸前のおじいさん。歳は、九十後半とかそれくらいだろうか。

『おや。お迎えかな?』

 孫娘もしくは曾孫程の歳の少女をみて、そう呟く。みな美が持っている鎌が目に付いたのだろう。おじいさんが寝ているベッドの周りには医師と、娘や息子、孫がいて囲んでいた。誰もが皆、目に涙を浮かべ、逃れようのない別れを惜しんでいるようだ。

『はい〜』

『可愛い死神さんじゃのう』

 誰の目にもその会話は見えていない。みな美の姿もまた、見えていない。もはやこのおじいさんは喋ることすらできないのだ。

『えへへ。……行きます、か?』

 みな美は優しい笑顔を見せて、行くかそれともまだこの世に止まっているか、と聞いているのだった。死を強制したりはしない。だが、おじいさんの答えは決まっていた。

『連れて行ってくれるかな?』

 もう既に、十分すぎるほど生きた。と、おじいさんは云った。

『はい。わかりました〜』

 そしてみな美は、おじいさんの手を優しく握って引いて、連れて行く。

『皆さん。おじいさんを送っていきますね』

 みな美は周りの人達にぺこりとお辞儀をした。

『みんな。お別れじゃ。楽しかったよ』

 おじいさんも笑顔で、皆に手を振った。そして次の瞬間、心拍がゼロになり……。おじいさんの人生は幕を閉じた。





「云い方は変かもしれないけれど。健全な死は当然の事なの」

「何となく云わんとしていることはわかるな」

「あの娘。……みな美は部署が変わって、彼女なりに一生懸命頑張っていたわ」

「まあ確かに。努力家ではあるよな。あれでも」

 それが結果に結びついてるかはともかくとして。





『あの〜。あなたをお迎えに来たんですけど。その前にちょ〜っとだけお話を聞いて……』

 駅のホームにて。今まさに、特急電車が通過しようとしているその時だった。

『あの〜。あの〜あの〜あの〜。少しでいいですから〜。お願いですからちょっとだけまってくださいよぉ〜』

 虚ろな目をした男性は、一歩、一歩とホーム側に歩みを進める。みな美のやかましいくらいしつこい声も仕草も、彼の目には届かなかったし見えなかった。それどころか、みな美は彼に触れることすらできない。そして数秒の後。

『あ……』

 みな美の制止も聞かず、彼は電車に飛び込んだ。あたりには悲鳴が溢れ、異常に気付いた運転士がブレーキを作動させ、車輪とレールの擦れる音が響くが、何の意味もありはしなかった。

 かつて人であったもの。みな美の可愛らしい頬に、制服に、幾筋もの血がこびり付いていた。

『大丈夫?』

 後ろで様子を見ていた先輩であり上司、この課の主任が声をかける。自殺課に配属されて初めての仕事は、成功ではなかった。元々この課の仕事がダメもとのような、ギャンブルのようなものなのだから予想はしていたが。

『あ、あぅ……。あんまり大丈夫じゃないかも、です』

『そう。落ち着くまで、ベンチで休んでなさい』

 よろめくみな美に肩を貸してやり、腰掛けさせる。

『い、生きられるのに……。生きていられるのに。どうして死んじゃうんでしょうか。死んで、しまえるんでしょうか』

 みな美は落ち込みながらも思ったことを口に出した。

『それを気にしていたら、この仕事はできないわよ』

 事実ではあるけれど、どうしようもないことだった。





「そしてそんなことが続いて。みな美は、段々と諦めるようになっていったわ」

「ふーん」

「今日も収穫ゼロか、って溜息ついてね」






「何か、鬱入ってるなぁ」

「そう思うでしょう? だから……」

 そういうことならば、僕にとってもこのチーフさんにとっても良いことなのかもしれない。みな美がこっちに来たことが。

「ま、いいけど。……それはそれとして、あいつのドクロ好きを止めてくれ」

「あら、それは無理よ」

「どうして?」

 とぼけたようにくすっと笑って云う。衝撃の事実を。

「あれは私がすすめたんだもの」

「あんたが原因かっ!」

「私は重度のスカラーだから。あの娘も気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」

 僕は全然嬉しくないのですが。

「スカラー波出すな。防御力高めるな」

「無理」

 この人もやっぱり見た目と相応の、年頃の女の子みたいだ、と思った。趣味としては意外だったけれど。

「あの娘のこと。お願いしますね」

 どこの馬の骨とも知れぬ男に娘との結婚を申し込まれ、激怒している父親とは対象的な母親のような雰囲気で彼女は云った。

「そんな簡単にお願いされて、いいんだろうか」

「いいのよ」

 これまた簡単に云うチーフさん。いわく、あの娘が望んでいてあなたも悪くないと思っているなら何も問題ないわ。とのこと。確かに。

「そうだ。これから何十年かたってあなたが年老いて、逝くことになったら。その時は私がお迎えに来てあげるわね」

「ご丁寧にどーも」

 と云うか彼女たちに年齢の概念はあるのだろうか?

「それじゃね。その日までさようなら。あの娘……ううん、みな美をよろしく」

「ああ。さようなら。優しい死神さん」

 僕は思ったとおりのことを云った。だが、チーフさんは驚いたように僕を見つめる。

「優しい? 私が、ですか?」

「うん」

 人間だって、他人のことまで気を配ったりはなかなかしない。みな美をはじめとして、何人もの死神娘の面倒を見てきたのだろう。彼女は優しいと本気で思う。

「そう、ですか」

 少し嬉しそうに、照れくさそうに微笑む。忘れていた言葉を思い出したような、そんな感じの照れだった。

 そうして彼女は心底安心したように笑い、消え去るように見えなくなった。あなたなら、みな美を幸せにしてあげられるわ。と、呟きながら。

 さて、僕にそれができるのかどうか。

「高野さ〜〜〜〜ん! 気持ちい〜ですよ〜〜〜〜! わぶっ!」

 浮輪でぷかぷか浮いてるみな美が楽しそうに叫び、その瞬間高い波に飲み込まれてしまうのだった。





そうか。全てはこの人のせいだったのか。





 ある日のこと。お隣さん……とはみな美のことだけど。彼女のお部屋に招かれていた。曰く、お昼ご飯どうですかーと。

「今持っていきますので、座っててくださいねー」

 程よく整理整頓されたリビングルームにはソファーがあって、ふんわり柔らかなクッションがあった。

「……」

 僕はそれを見て、立ち上がる。そして、ガラス戸を開けベランダに出ようとしたところで。

「どうしたんですか?」

「いや、なに」

 みな美が戻ってきて、怪訝そうな顔で僕を見た。ほわ〜んとした表情が子供っぽくて可愛いな、と僕は思いながら説明する。

「窓から投げ捨てようかなと思ってね」

 さりげなく毒を吐かないように云ったのだけど、彼女には通じなかった。

「思ってね、じゃないですぅ〜〜〜! どーーーしてそういうことするんですかぁぁぁ〜〜〜〜〜!」

 僕が両手で抱えているもの。それは、どくろちゃんもといスカルちゃんのクッションだった。

「いや、気色悪いからさ」

「気色悪くないです〜〜〜! 可愛いのに〜〜〜!」





そしてまた、ある日のこと。





「みな美。僕は思うんだ。この世に月曜日さえなければ、鬱で死ぬ人の数は激減するのではないか、と。だから君が持つその能力で、忌まわしき最強の敵。月曜日を滅ぼしてはもらえないか?」

 それを聞いてみな美はとても悲しそうに、全てを分かったかのように云う。それは無理であると。

「高野さん……。それは違います。月曜日がなくなったら、今度は火曜日が最強の敵として人類の前に君臨するだけのことなのです」

 なるほど。確かにそうだ。

「くっ。月曜日さえなければ! 笑点だって、サザエさんだって、素直に心底楽しく見られるというのに!」

「耐えるしかないのですよ。それにそれに、月曜日は最強なのですから。仮に私たちが束になっても敵う相手ではないのですよ〜」

「月曜日なんていらない。本当に、誰が考えて作ったんだ。こんなはた迷惑な曜日を」

「でも、ですね。世の中には……月曜日が好きな人も、もしかしたらいるかも知れないじゃないですか? だから、上手に仲良くきょうぞんきょうえいを……」

 シフトの関係上、月曜日が休みな人もいるだろう。しかし、と僕は思ってしまうのだ。

「嫌だ! じゃあ! 月曜も火曜も無ければいいんだっ!」

 僕はついに我慢ならなくなり、思わず大きな声で叫んでしまうのだった。

「でも、そしたら今度は水曜日が……」

「水も木も金もいらないっ!」

「あぅぅ。そしたら土曜と日曜がお仕事になっちゃいますよぉぉ〜〜〜っ!」

「ええいっ! 土も日もいらないっ!」

「何にも無くなっちゃいます〜〜〜!」





いつも馬鹿な会話で盛り上がる。





 みな美は予想通り、勉強が苦手なようで。僕は暇を見つけては、みな美に教えてやった。

「あぅ〜あぅあぅ〜。赤点とっちゃいますぅ〜」

「そうならないように頑張れ」





不器用なお馬鹿さんだけど、健気な頑張りやさん。





 みな美は時折、老人介護施設や孤児院にボランティアをしに行ったりしている。誰かのために一生懸命になれる姿は見ていて愛らしい。

「いいか。くれぐれも死神だとか迎えに来たとか云っちゃいけないぞ?」

「大丈夫なのですよ〜」

 意外なことにみな美は行く先々で歓迎され、可愛がられ、親しまれていた。確かにのほほんとした性格で、礼儀正しくて優しいから。ちょっとしたアイドル、という感じかな。

「こんにちは〜」

 元気に挨拶をすると、子供達や老人が寄ってくる。





可愛いな、と正直に思う。





「高野さん高野さん」

「ん、ああ」

 ソファーに寝そべってぼーっとしていると、みな美が仔猫のようなくりくりした目で僕を見下ろしている。

「考え事してた」

「そうなのですか〜」










何事もない日常は続く。

恐らくこのままだらだらと、ずーっと。

世の中が混迷に陥ろうと、恐らく大して変わりはしないだろう。

それが退屈と思うか、幸せと思うかは人それぞれ。

まあでも、いいか、と思う。

そういう生き方も悪くない。

後悔せずに生きていきたい

僕が望むのは、緩やかで穏やかな死。










「高野さん〜?」

「あ、あぁ。みな美。少し、遊ぼうか」

「はいです!」

 おかしな死神少女と、ずっと、どこまでも。

「それにしてもさ」

「はい〜」

 一緒にゲーム。

「どうしてドラキュラ伯爵に死神が仕えているんだろ?」

「それはきっと。相思相愛なのですよ〜」

「ボーイズラブかよっ!」










僕はきっと、幸せなのだろう。










このまま、ずっと。










きっと、みな美と一緒に……。



























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