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-勇気、みんなに! その後のその後-










「高野さん高野さん」

 ドアを隔てた向こうの方から僕の名を呼ぶ声が聞こえる。例えるならそれは、いつまでも浸っていたいくらいに心地よくも浅い春眠のように感じられる。

「高野さん高野さん。お留守ですか〜?」

 彼女はよく僕の名を二度呼ぶ。それは今のように何気なく、僕の部屋に訪ねてきた時とか、何か聞きたいことがある時とか。恐らく無意識のうちに呼んでいるのだろうけれど、それがとても可愛らしい。

「いるよ。今開けるよ」

 こうして今日も彼女はやってきた。チャイムに続いてノック。そして僕はドアを開けてあげる。ちょこんと現れた彼女はにっこり笑って礼儀正しくごあいさつ。僕にとってそれはもう、日常の一風景と化していた。

 隣の部屋に住む女子高生。……にはあんまり見えないくらいに小柄。小柄と云えば聞こえがいいけれど、この娘の場合はむしろちびっこ。等と云えば本人は怒るだろう。とっても幼い外見の彼女の名は結城みな美と云った。が……名付けたのは他でもない僕なのだった。それもそのはず。彼女はこう見えて死を司る者……つまりは死神であり、名前という概念がそもそもなかったのだから。もっとも、どう見ても死神には見えない。持っている鎌の刃はスポンジのようにふにゃふにゃしているし、子犬に追いかけられて逃げ惑っていたりすることがあるし、とにかく初心者マークが付いていそうなどじでへっぽこな普通の少女なのだった。

「何だいみな美?」

 みな美はえへへへへと楽しそうに嬉しそうに微笑みながらお盆に何かを乗せて持ってきた。この娘はいつも楽しそうだ。訳もなく。

「お団子焼いてみたんです〜。よかったら食べてください〜」

「へえ。それじゃ、ありがたく……」

 お盆の上に乗ったお皿から醤油の香ばしい香りがする。これは美味そうだと僕は思った。が、あることに気づき一つ摘まんで食べようとした僕の手が止まる。極めて無意識のうちに。そして、僕は団子を掴んでギュッと力を込める。柔らかい焼き団子はぺしゃんこになってしまった。誤解の無いように説明すると、決してそれはいじめでやっているわけではないのだった。理由については後述させてもらうけれど。

「はうっ!」

 ピシッと音がした気がする。みな美の笑顔が一瞬にして凍りつく。

「どどど、どーしてそーいうことするんですかあ〜〜〜!」

「それはこっちのセリフさみな美。いくらおいしそうでも、ドクロ団子なんかそのまま食えません」

 海苔を切り込んで形作られたそれはまさにしゃれこうべ。どうしてこの娘はこういうやたら細かくもニッチなところにこだわるんだろう。

 可愛らしいこの娘に似合わずドクロ好き。もとい、どくろのマスコットキャラクタースカルちゃんとかそんなのが彼女が元いた世界には存在しているようだ。で、彼女はそんなのが大好きなようでよくそれを模した食べ物を持ってくるのであった。当然のことながら僕の受けは最悪で評判もよろしくない。というわけなので、今の行為はその意志表明なわけで、これまでも何度と無くあった行為なのだった。それにもかかわらずみな美はこのようにドクロな食べ物をもってくる。不撓不屈の根性とでも云うべきなのだろうか。僕の理解をそれ程までに得たいのだろうか。

「ううう、スカルちゃんかわいいのに。ぺしゃんこ……」

「みな美。いくら君が死神さんでスカルちゃんとやらが好きだからといって、食べ物にどくろはないんじゃないかなと僕は思うんだ」

 彼女のご好意も一つ間違えば嫌がらせに見えてしまう。

「かわいいのに……かわいいのにぃ。スカルちゃんは斬リオデスビューローランドのアイドルなのにぃ」

「何だその禍々しくも邪悪なネーミングのテーマパークは」

 そこはみな美曰く、死神少女達に大人気の場所だとか。しかしながら一般人の僕としてはそのネーミングは非常にいかがなものかと思うのだった。

 そんな、我ながら微笑ましくもほのぼのした日常が続いて行く。





ある晴れた日曜日のこと。





 常々疑問には思っているのだけど、この娘は本当に死神なのだろうかと、時折本気で首を傾げてしまうことがある。それくら愛らしくて無邪気な娘なのだから。

「みな美」

「はいです」

 みな美は四六時中僕の部屋に来ては居着いている。部屋は隣なのに何故だろう。でも、それがごく普通の事と思える。

「ちょっとドライブでも行かない?」

「行きます〜」

 ちょっとしたデートのお誘いに、みな美はぱぁっと眩しいばかりの笑顔。本当に心の底から嬉しいのだろう。僕はそれを見るとたまらなく嬉しく感じる。特にこのところずっとそうだ。僕の車……中古で安売りしていたので適当に買ったボロい軽自動車であってもみな美は全く不満じゃないようで、逆によく連れていって欲しいと云ってくる。

「海の方にでもさ」

 車で数分くらいの距離。近所の海岸。だだっぴろい砂浜が広がっているだけの何も無い場所。それ故に海風が気持ち良くて気分爽快になれるという、とても安上がりなデートコースというわけだ。

「はいです〜。気持ち良さそうです〜。今日はとってもいいお天気ですし」

 みな美ははしゃいでいる。本当に、見た目も中身も小さな子供となんら変わらない。そんな純粋な所に、僕はいつの間にかひかれていた。そして、これまで我慢していたわけでも何でもないのに……ふと、手を伸ばしていた。悪い事をしているという感覚はまるでなかった。

「みな美」

「何ですか?」

 僕はきょとんとして首を傾げているみな美の小さな背中に手を回した。そして、引き寄せる。軽い体は簡単に手繰り寄せられ、きゅ、と抱き締めてみると柔らかかった。

「高野さん? あ……」

 彼女が戸惑うのも気にせず、キスをした。軽い、一瞬のもの。僕たちにとって初めての。お互いファーストキス。

「あ……あ……」

 みな美の目が見開かれていく。そして更に何が起こったのか理解していなかったようで、頬が赤らんでいく。やがてそれは沸騰したかのように気持ちの高ぶりを起こしていく。

「あ……ああああっああああっ! たたたた、高野さんんんんんっ! なななな、何をするんですかぁぁ〜〜〜!」

 目を真ん丸にして、とんでもない悪いことをしてしまったかのような表情のみな美。

「ん……? 何って、キス……だけど?」

 動転しまくるみな美とは対症的に、僕は異常なまでに落ち着いていた。

「みな美の事が好きだから」

 だから僕はこんな風してみたかったんだよともう一度、みな美を抱き締めて引き寄せる。『好き』と、何げなく出た一言だけど、僕にとってみな美への初めての告白だった。

「あ……あ……」

 そうして二度目のキス。唇同士が触れ合った。みな美は絶句し、困り果て、ぺたんと座り込んでしまった。

「みな美は、僕の事嫌い?」

「そそそそ、そんなこと絶対ないですっ!」

 慌てふためきながら大きな声で否定。

「じゃ、どうしたの?」

「な、何だかとても悪いことをしちゃってるような……。いいのかな、って。そんな風に思っちゃって……。それに、こんな突然……」

 そんなことを云っているみな美に僕はまたキスをした。何故かと云うと……あたふたして困り果てているみな美があまりにも可愛くて、もっと困らせてみたくなってしまったから。

「あ……。あぅ……あ……」

 戸惑い、視線を彷徨わせまくり、どうしていいのかわからなくなってしまったみな美。

「う、う……。高野さん……。意地悪です……。心の準備くらいさせてくださいよぉぉ〜。くすん、くすん……」

 今度は僕が戸惑ってしまった。みな美は困惑のあまり泣きだしてしまったのだった。ぽたぽたとこぼれる涙に僕は罪悪感を強く感じた。

「みな美……。ごめんね」

 ちょっと調子に乗り過ぎた。僕は反省した。と、同時に僕の中でみな美のことが更に愛しく感じてきて、軽く抱き締めた。

「ごめんね。でも本当に、好きだから。だからずっとこんなこと、してみたかったんだ」

 嘘じゃ無い。本当に、この娘の事が好きになっていた。

「本当、なんですか?」

 みな美は潤んだ目で僕を見つめる。本当に、普通の女の子だと思った。死神だなんて信じられない。

「本当」

 そしてまたキスをした。みな美は呆然としたように身動き一つしなかった。けれど、逆にそれで落ち着いたみたいだった。

「みな美」

「ん……うぅん」

 柔らかくて小さな唇は、簡単に塞がれる。

「好きだよ」

「はふ……」

 頬にもキスをしてあげる。白くて瑞々しくて、つるつるの肌。

「みな美」

 みな美はもう呆然としてしまい、ひたすら僕にされるがままだった。どんなことをされてもそのままに違いない。けれど、僕はそれ以上のことをする気はなかった。

「ごめんね。突然キスしちゃって」

「……」

 力の抜けてしまったみな美を抱き締めたまま、僕はソファーに横になった。みな美の体は小さくて軽くて、子供のようだった。

「お詫びに。今日一日、何でも云うこと聞くから。それで許してくれないかな?」

「何でも、ですか?」

「うん」

 みな美は可愛らしくちょっと考え込んでから、云った。

「それじゃあですね。もう少しだけ……このままで、いて欲しいです」

 それはあまりにもささやかな願い事。きっと、さっきは突然の事にわけが分からなくなって泣いてしまったのだけれども。落ち着いた今はむしろして欲しいと、みな美はそう思ったみたいだ。

「そんなことで、いいの?」

「そんなことじゃ、ないです」

 私と高野さんの、とても大切な時間です。と、みな美はかすかな声で云った。

「高野さん高野さん……たかのさぁん……」

 やっと笑ってくれた。今度はみな美から、僕にギュッと抱き着いてキスをしてきた。僕はみな美の頭を撫でながら受け入れる。

「なぁに。みな美」

「呼んでみただけですよぉ」

 何が楽しいのだろう。きっと、理由など無いのだろう。意味も無く楽しいに違いない。やがて僕もそう思えてきた。

「えへへ〜」

 今度は笑顔のままの楽しいキス。……当然、僕もそれに合わせる。

「海。行かない? ドライブに」

 想像すると、海鳴りが聞こえてくる。当初はそのはずだったのだけど、計画は随分と変わっていた。

「行きたいです〜。けど、もうちょっとだけ……このままがいいです」

「そっか」

「はい〜」

「可愛いなぁ。みな美は」

「うにゅにゅ」

 そんなことを云いながらまたキスをしてみる。みな美は小さな動物のように変な声。

 ソファーの上で重なり合いながら、僕たちは暫くそんなことをし続けていたのだった。





こんな風に、僕たちのその後は続いていく。





ずっと。いつまでも。













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