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ある日のことだった。



父が急死した。



母は幼少時に出て行ったきり。



身寄りもなく、兄弟もいない。



一人に……天涯孤独になってしまったはずだった。



悲しくて、寂しくて、泣きたくても涙は出なかった。



それでも前を向いた。



一人で生きていくことを決意して、



過去は忘れるよう務めた。















-Copied tears(前編)-















 大学生活において長期休業に突入と云うと何となく改まった感じがして聞こえは良いけれど、ただ単に長い休みに入る前というわけで。

 小学校から大学に至るまで、そういう期間を目前にすると自然に開放的になると云うべきか、気が抜ける。誰もが例外なく慌ただしいままに試験期間を過ごしていたのも、今となってはもう過去のこと。選択科目次第で、休みが早くなるか遅くなるかが決まっていくのだけど、それだってそんなに大した差ではない。せいぜい数日程度の違い。そして、かなり適当なことに終業式なんてものは無いのだった。後は野となれ山となれ、自主性を重んじる校風とかなんとか。お気楽極楽学生生活。これはもう、社会人になったらきっと苦労する。もとい、苦労してもらわなくちゃ割に合わない。と云うより、こんなぬるま湯生活で先々大丈夫なんだろうかと、そこそこ常識的な思考の持ち主ならば誰もが思い、不安を感じる。しかしながらそう感じるだけでもまだマシなのかもしれない。中にはこの大不況のご時世にも関わらず授業はおろか試験も受けず部屋に引きこもってたり、バイト三昧で学業を疎かにしたりといった輩もいるわけなのだから。

 さて、ここにも試験を終わらせた連中がいるわけで。……ゼミ室には友人同士が数人集まっていて、適当に椅子に腰掛けお茶を飲んでお菓子を食べて、もう完全にリラックスしながら笑談していたのだった。面倒なレポートも出来はともかく何とか全部駆け込み状態ながらも出せたし、憂鬱な試験もとりあえずは終わったし終わらせた。単位のことはちょっとばかり、いやいや、中にはかなり気になる奴もいるけれど、とりあえず今は嫌なことは忘れておこう誰もが思う。何しろ夏休みの前なのだから。何事でも前向きに考えたいものだ。

「そっか。そんなことがなぁ」

「信じられないよなぁ」

 一見好青年。中身も好青年。背もそこそこ高く顔だって端正なつくりをしている。ただし、感情の起伏が少ないのが欠点でもあるし、逆にクールで格好良いと云う人もいる。そんな大学生の彼、観月誠太郎は答える。自分が云っている事は決してホラではないのだと。

「でも、本当なんだ」

 彼はあらかじめ雑談において話すべきテーマを定めておいた。前置きとしては誠太郎の『これからほら吹きみたいなお話をするけど。実は……こんなことがあったんだ』というように始まった。

「……けどな。想像つかないって云うけど、お前さ。ちょっと前。例えば十年くらい前のことを考えてみろよ? インターネットやら携帯電話なんてもんはそれこそ、この十年二十年程度の間に驚くほど発達した技術なわけでさ。例えるならあれだよ。ノラえもんなんかに出てくる便利な道具と同じように、未来の産物でしかなかったわけだぜ?」

「確かにそうだよなー」

「ガキの頃見たような『未来の世界はこうなる』的なイメージでしかなかったわけだよなー」

 実際、過去から未来に飛ばされてきた人間が浦島太郎のような気分になるのは、フィクションでもなんでもないのだろう。教科書に出てくるような『技術革新の速度がすさまじい』等というものは、文面だけでは実感できないけれど。彼らが観月誠太郎という友人から聞かされた話は、そのようにちょっとしたインパクトに満ちていた。リアルで起こればどんな問題も身近に感じるものなのだから。

「誠太郎よ。お前が体験したようなことも、これからどんどん当たり前になっていくんじゃない? だったらさ……そう思って受け入れてあげたらどうかな、と。無責任な他人事ながら思う」

「そうなのかな」

 友人の一人の答えに対しわからないと云うよりも、今はあんまり考えたくないというニュアンスを込めて雑談の冷却化を図った。無責任な他人事と断りを入れているものの、彼の答えは真剣でしっかり考えていて自分の事を思ってくれてのこととはわかっているけれど、誠太郎本人としては、そういう話を続けたくないからもうやめるよ、という態度を示したことになった。そんな話を切り出したの理由は簡単だった。ただ、友人達には隠し事をしておきたくなかっただけなのだから。みんなもわかってくれたのか空気を読んでくれたのか、あまり深入りはしないでくれた。

「まあ、考えたくないってのはわかるけどさ。でもね」

「うん。……俺ら第三者が好き勝手云ってるな、なんて思うのはわかるんだけどさ。でもでもやっぱり、受け入れてやんなよ。じゃないと、その娘。可哀想だよ」

「……」

 聞くまでもないことだ。彼らが悪意など全く持っていないというのはわかっている。けれど、わかっていたからと云ってどうにもならないことというのは存在するわけで、うんうんと二度三度頭を縦に振って、適当に逃げておく。

「努力はしてみるよ」

「そうしてあげなよ」

「うん。それがいいよ」

 ただ、何かあったとき彼らは相談に乗ってくれそうだから、話を聞いてくれてありがとうと云っておいた。変人揃いだとは自他共に認めてはいるけれど、かけがえのない友人達だと思うから。

「……じゃあ僕。そろそろ帰るよ」

「あ、おい。待てよ」

「折角だから、駅前で飯食って行こうぜ!」

 他にも残っている学生はいるから消灯などの後始末は任せて、ゼミ室を出ていく。休みへの突入とは云え、小学生くらいの頃のうきうき感は無かった。それは少年から青年へと成長していく過程のどこかで失われてしまった感覚なのかもしれない。

「あ? ああ、いいよ。牛丼?」

「うん」










何の変哲も無い日常は続いていく。





学校に行って、授業を適当に受けて





時に友達と遊んだり、飯を食ったりしたり





バイトだって適度にやっている。





本当に、何の変哲もない日常だと誠太郎はしみじみ思った。










 カンカンという音を立てて、二階建てのアパートの外に設置されている金属製の階段を上がる。そうして廊下に出て奥まで行き、鍵を開ける。それほど古いわけでもない、どこにでもあるようなアパート。オーソドックスと云えば聞こえはいい、悪い云い方をすれば特徴の無い普通さ。けれど、決して高級感があるわけでもなく、安っぽすぎるという感じでもない。結局のところ人様に説明するには『ありふれた』と表現するのがぴったりのアパートだった。

「……。ただいま」

「お帰りなさい」

 その部屋は多少広めで、三部屋以上もある。ドアを開けると一人の女の子がいた。誠太郎の妹、雪乃。今は兄と二人暮らし状態なのだった。

 雪乃の外見はとても子供っぽくて、一見すると小学生に見間違うかも知れないくらい小柄で、髪をリボンでまとめている。実際の所彼女は中学生なのだけども、子供っぽいと云うと何故か不満そうな顔をする。誠太郎にはその理由がわからなかった。我が妹ながらくりくりした目が可愛らしいなと誠太郎は素直に思う。当人としては子供扱いして欲しくないだけなのだけど、誠太郎にはそれがわからない。ポニーテールという一見活発そうな髪型をしているけれど、中身はとても大人しくて恥ずかしがり屋で、ちょっと人見知りがちなのだった。アンバランスと云うべきか、ギャップがあると云うべきか。そういえば昔は違った髪型をしていたはずだけど、どうして変えたのだろう。今度機会があって覚えていれば聞いてみることにしようと誠太郎は思った。

「お兄ちゃん、ご飯は?」

「食べてきたよ」

「……そう」

 用意していた、というわけではないけれど『これから作ろうかな』と彼女は思っていたようだった。実はとっても作りたかったのか、少し残念そうな表情を見せる。本音を云えば、連絡くらい入れて欲しかったな、と少しだけ兄に対して不満に思ったけれど、口には出さなかった。彼も今時の若者だから携帯電話くらい持っているのだけど、家でも外でも殆ど使っているところをみたことがないのが不思議だった。

「僕。明日早いから」

 誠太郎はと云えばシャワーを浴びて、さっさと寝てしまいたかった。何だかんだでこの間試験勉強やらレポート出しやらで忙しくて、睡眠時間が不足しているから。しかしながら、休みに入って初っぱなにアルバイトがあるわけで、学生時代はもう少し暇を持て余してもいいかもしれないな、と時折思うのだった。充実していればいいというものではないだろうし、それにしみじみと思う。社会人になれば嫌でも、飽きるほど仕事漬けにされることだろうし、とも。学生時代はせめてもの執行猶予みたいなものだろうか。何の罪を犯したと云うのかな、と誠太郎はいつだったか風呂に入りながらそんなことを頭に思い浮かべたりした。

「うん」

「明日のお金はここに置いとくよ。残りは小遣いにしていいから。……あんまり無駄使いするなよ」

「うん。ありがと」

 誠太郎は黒い財布の中から千円札を数枚取り出して、テーブルの上に置いた。見た目と違い雪乃はしっかり者だから心配いらないのだけれど、一応兄として云っておく。

「あのね。お兄ちゃん」

「何?」

「えっと……」

 雪乃は説明し辛そうな、言葉にし辛そうなもどかしさにちょっと苛立つけれど、結局何も云えず仕舞い。もじもじとして言葉が出てこない。

「改まった話かな?」

「う……。うん」

「後にしてくれないかな」

「で、でも。明日、早いって……」

「だから、明日帰ってきてからゆっくりとさ」

「……」

 できれば今ここでじっくりと聞いて欲しいと、彼女は思っていたのだけれども。

「それでいい?」

「うん」

 良くないのに結局云い出せなくて、頷いてしまった。

「じゃ。おやすみ」

「おやすみなさい」










高校生の頃。










 呆然となり、言葉が全く出てこない悲しみに遭遇したことがある。誠太郎の場合はそれがこの数年間で二度も続いた。時折思い出しては、過去は振り返るまいと頭を振る。常に前向きに生きていたいから。それでも、どうしても思考がマイナスに働く時はある。冬の冷たい雨の降る夜などは特に。

(あの時と同じ感じだ)

 目の前の棺桶に横たわるのは誠太郎の父。過労によって体調を崩し、少し検査入院したかと思ったら、あっさりと亡くなってしまった。

(一人、か)

 あの時と同じと彼は思った。数年前。つまり、彼が高校に上がるくらいの頃……妹が病死した。その時も今も、涙が出なかった。

(父さん。僕……これからどうすればいいのかな)

 何も考えられる状況にはなかった。突然訪れた父の死は、彼を茫然自失状態にさせるには十分だった。どうすればいい。どう生きていけばいい。何もかもわからなくなった。きっと好きにしていけばいいのだろう。今までだって父と同居していたとは云え、殆ど関わることの無い日々だったのだから。それがちょっと変わるだけ。そうなのだろう? それすらも今は本当かどうか自信がなかった。

(死んでるなんて思えないよ)

 デジャヴとはこういうことなのかな、等と思える程同じだった。妹の時も、父の時もそう。実はみんな生きていて動き始めそうな、自分をからかっているかのような、そんな感じすらした。そして葬式が終わり通夜が終わり、夜になって誰もいなくなった。……ただ一人だけを除いて。

「せいたろー」

「……さつき姉ちゃん」

 黒い服を着た美人がいた。長い黒髪の女性。名を水野さつきと云った。誠太郎とは家がご近所の彼女とは、幼少の頃からの付き合いだった。誠太郎にとっては実の姉のような、そんな存在だった。

「あたしはさー」

 笑うでもなく、憂うでもなく、穏やかに目を伏せて呟くように云った。

「うん」

「これからも、あんたの近くにずーーーっといるからね。だから」

「……」

「絶望したりしちゃ、だめだぞー?」

 そんなこと、すぐには無理だとわかっていてあえて云った。この人はきっと全てをわかっていて云ってるな、と誠太郎は思った。その心遣いが何よりも嬉しかった。そして、それから……呆然としたままの誠太郎を優しく、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「苦しいよ」

 ふくよかで暖かな胸に抱かれる。きっと、彼女はあえて狙ってそれをやっている。何でも良いから温もりに包まないと、誠太郎の存在自体が消え去ってしまいそうに見えたのだろう。実際誠太郎も、自分自身が消え去ってしまいそうな感覚に陥っていた。さつきの存在は天使のような母性愛を感じた。この感覚がずっと続いて欲しい。消えないで欲しい、と。

「いーから。今は黙って甘えてなさい」

「うん」

「好きなだけ、泣いてもいいから。ね」

「ごめん。何故か……涙が出ないんだ。悲しいはずなのに、ね」

「そか」

 こんな時、泣きじゃくって彼女に甘えでもすれば、少しは気が楽になれたのかもしれない。彼はそう思うけれど、何故か涙が出なかった。自分はこんなに感情表現が少なかっただろうかと疑問にすら思える。その時はただ、彼女の温もりだけが、一人になってしまった寂しさを少しだけでも和らげてくれた。










そうして、やっと一人でいることに慣れてきた、と。そう思えたのに。





それもまた、ある日のことだった。





二週間も前のこと。










「……?」

 夏休み前のある日。バイトを終えて帰ってきて、夕食を取ってシャワーを浴びて、適当にレポートに取りかかり試験勉強をして、集中力が切れたのでソファーに寝っ転がって雑誌でも適当に読んでいた。そんな時だった。

(こんな時間に誰だろ?)

 カンカンと階段を上がってくる音が聞こえた。そして数瞬の時を経て、ぴんぽーんとチャイムが鳴る。つい昨日、電池を取り替えたばかりで、聞き逃しようの無いくらいはっきりとした電子音。

「……。どなた? 新聞ならいりませんよ」

 悪質な勧誘員だったら鬱陶しいので、念のために覗き窓から見てみる。全てがそうとは云わないけれど、中にはヤクザ紛いの態度を取る輩もいるわけで、ドアは絶対に開けないようにしていた。

「ち、違います! 私、新聞屋さんじゃなくてあの……何というか、その。説明しづらいんだけど」

(開けて欲しいのかな?)

 こんな時間。声から察するに、中学生くらいの女の子がやってきた。とても不思議に思ったのでドアを開けてあげる。

「……」

「……」

 そこにはいるはずの無い人物がいた。

「雪乃?」

「うん」

 あり得るわけのない光景。彼が中学校の頃、目の前で病死したはずの妹がそこにいた。亡くなった時と全く同じ姿の。あの時の妹がそこにいた。別人、かと思った。生き写しか、とも。だけど、それは違った。

「あの……。あのね。説明すると長くなるんだけど」

「……」

「えっと、えっと……。そのぉ……」

 彼も彼女も互いに戸惑っている。視線を彷徨わせ、可愛らしいポニーテールの髪がふさふさと揺れている。

「入って」

「あ、うん」

 そして、彼女をリビングに招いて座らせて、落ち着かせた。

「で?」

「……。お父さんが亡くなったんだよね」

「あ、ああ。もう三年も前になるけど」

 この娘は自分の事を知っている。そう思うのも変な話だ。質問してきた相手は、妹ではないはずなのだから。

「あっあっ。えっと……。お父さんが亡くなる前に、遺言を残していたんだって」

「……そうなの?」

 彼の知らない事だった。彼女が……妹が云うには自分は数年前に亡くなった妹のクローンである、と。衝撃の事実とは案外あっさりとしたものだった。

「クローンって」

「お父さんが、もし自分に何かあったら……お兄ちゃんが、ひとりぼっちになっちゃうからって……だから」

 かくかくしかじか。長い説明……という程ではないけれど、一通りゲームのデモムービーのようなシーンは続く。メモリークローン。妹の……オリジナルの雪乃の遺体よりDNAを採取しておき、高速培養技術により一気に十数年単位で成長させて、それから故人が持っていた記憶を順次植え付け、リハビリという名の数年に及ぶ仕上げ工程を課し、最終的に故人を完璧に再生する。一言で云うと、そういう技術らしい。

「最近確立された技術、なんだって」

「……」

 にわかには信じられない。信じられるわけがない。まるでSFみたいだから。

「それで……この数年間ずっと、技術的に欠陥がないかとか念入りにチェックしたり……色々と施設で教育されたり、してきたの」

 その結果、問題なし。つまりは実社会復帰へのゴーサインが出たと云うことなのだろう。

「そんなこと云われても、信じられないよ」

「う、うん。……そう思うと、思う。私も。あ、あ……そうだ。認定証……ほら」

 施設からもらった認定証を渡す。我が国日本国のお墨付き。どうやら嘘では無さそうだ。嫌が応にも事実であるということを飲み込まされる。けれど誠太郎は散々視線を彷徨わせて、悪いんだけど、と静かに云ってから彼女に背を向けて。

「帰って……くれないか」

「っ! そ、んな……」

 何かをこらえるように、彼女を突き放した。

「おにい……ちゃん……」

 雪乃は絶句。瞳が潤み、目尻に涙が溜まり、そして頬を伝っていく。今はもう誠太郎と同じ。帰る場所も居場所の無い。捨てられた家猫のようにすがりつくように、必死に懇願した。

「側に、いさせて……ください……」

 と、云った。

「ずっと……三年間。……寂しかったの」

 どのような毎日があったかなんて、誰にも知られることは無かった。ただひたすら、無機質な施設の中で過ごした日々があった。施設の人達は親切に接してくれたけれど、誰もが仕事、義務で行っているに過ぎなかった。今では自分の代わりに誰かの面倒を見ているのだろう。戻って、どうなると云うのだろう。どんな未来が待っていると云うのだろう。

「ずっと会いたかったの……。だから……だから……」

 ぽろりと涙がこぼれ落ちたのを合図に、嗚咽をもらす。依存するわけでもなく、ただ会いたかっただけなのに。

「お願い……」

 それを見て誠太郎ははっとなり、次いで動揺した。そして、自分があまりにも無神経な事を云ってしまったと気付き、悔やむ。大馬鹿野郎だと思い、自分自身をぶん殴りたくなっていた。

「ごめんよ」

 僕が悪かった、と云ってから泣きじゃくる雪乃を抱きしめた。視線を彷徨わせ、戸惑いながら不器用に。

「何てこと云ってんだろうな。僕は」

 お前は妹なのに、と小さく呟いた。
















ごめんよ、と。彼はもう一度呟いた。





雪乃は何も云わなかった。















 深夜。雪乃はとりあえずということで隣の部屋にスペースを確保して寝かせることにした。幸いなことに、スペアの布団もあるので何も問題はなかった。後は男物故に好みが合うか否かだったけれど、雪乃は『大丈夫』の一言で頷いた。むしろ、何故だかわからないけれどとても嬉しそうなのだった。暖かいよーとか云っていたから。

「せいたろー!」

 二人とも寝付いた頃。突如叫び声がした。直後、ぴんぽーん、とチャイムが普通に鳴る。 ……はずが、その後すぐぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんっと、連打しまくり。そして更に、どんどんどんどんと派手にぶっ叩かれるドア。更に続けて、酔っぱらいが叫ぶ声。とても近所迷惑。

「ねーちゃんだぞ〜〜〜」

(……)

「あーけーてー! いーけーずー! あーけーろぉぉぉぉーーーっ! うるぁぁぁぁぁっ! さっさとあけんかぁぁぁぁ!」

(何やってんだか)

 眠い目を擦り、寝床から這いずり出て玄関に向かい、電気をつけてからカギを開けた。

「おィーーーッす。せいたろーーー、元気かァーーー?」

「……」

 元気なわけないでしょ、と、しょぼついた目をこすりながら思った。何考えてんだ、とも。非常識だ、とも。この馬鹿女、とも。

「こんな時間に、どうしたの?」

「おーーうっ! しゅっちょーから帰ってきたばかりなのよーぅ!」

「帰って寝なよ……。疲れてるんでしょ? 家、すぐそこなんだからさ」

 誠太郎は向かいの家を指差す。彼女はお隣さんであり、ちょっと年の離れた昔なじみである。両親共に公認の仲であったから、このようなことをされても文句を云われることはまずなかった。と、云うよりも逆。彼女の両親いわく『うちの馬鹿娘をどうかよろしく』とのことだった。何ともまあ、としみじみ思う。

「むー。せっかくお土産買ってきたってぇのにつれないわねーーー! せっかくあしたはお休みだし〜。いとしのかれし、みづきせーたろーくんと一緒にいたいなーって思ったのにー」

 その馬鹿娘とやらの顔は赤く、完全に酔っ払っているのが一目で分かる。

「わかったから静かにしてよ。近所迷惑だから。……上がって」

 ここはアパートなんだけどな。と、思いながらため息をつく。

「おーーーし! それでこそあたしの男だーーー! れでぃは大切にしないとだめだぞーーー!」

 聞いちゃいなかった。あまり想像できないことだけど、この二人は恋人同士なのだった。

「お兄ちゃん。どうしたの?」

「あ」

「っ!」

 そこに、騒がしくて目が覚めてしまった雪乃がひょこっと現れた。ちょっと脅えたような感じで誠太郎の後ろにさっと隠れる。しまった、と誠太郎は思った。

「むーっ!?」

「……。さつきお姉ちゃん?」

「むー。むー。むー。……あららら。あらやだ。あたし、そーとー酔っ払っちゃってるみたいだわー」

 彼女も雪乃とは顔見知りだったわけで。故人の幽霊がへべれけ状態故に見えてしまうかのように思ったのであった。

「だから帰って寝た方がいいと思うんだけど」

「うるさいーーー。うー。……水ちょうだい」

「……。姉ちゃん。こっちきて」

「うごけないー」

 そんな彼女を誠太郎はズルズルと引きずって、風呂場に連れていく。少し溜息をついて、手慣れた調子で。そして……。

「はい。水」

「お、お兄ちゃん……」

 彼がやろうとしていることを見てびっくりする雪乃。

「ありが……ぶふーーーっ!」

 バケツいっぱいにいれた水を、ばしゃーっと思いっきり顔にぶっかけた。

「……。あれ。せいたろー?」

 何でここにいんの? ここどこ? あたしなにやってんの? と、様々なはてなマークが彼女の頭の中を駆けめぐり、回答を見つけて辿り着く。

「気が付いたみたいだね。姉ちゃん」

「あたし、また酔っ払ってた?」

「うん」

 前科あり。故に、泥酔した時は頭から冷水を思いっきりぶっかけろ、と彼女自身が彼に要請していたのだ。すなわち、いつものこととばかりにマニュアル化がなされていたのだった。

「あちゃー。またやっちゃったかー。ごめんごめん……んー?」

「どうしたの?」

「せーたろー」

「何?」

「私というものがありがならあぁぁあぁぁぁっ! 何女の子連れ込んでんのよぉぉぉぉっ! それも中学生くらいのろりっこをーーーーっ!」

「あぅ……。ろ、ろりっこって。あ、あの……。さつきおねえちゃん! お兄ちゃん、ちゃんと説明して……」

 子供っぽいと云われてショックを受ける。それは相手が誠太郎じゃなくても同じようだった。

「連れ込んだというより、いきなりやってきたんだけど。それに、中学生くらいのって云うけど、実際中学生なんだけど」

「尚悪いわよぉっ! 犯罪よぉっ! 誰よっ! 誰なのよっ! こんないたいけですっげぇ可愛いくて抱きしめたくなるよーなおにゃのこにおにいちゃんとまで云わせてうらやまし……じゃなくて、ろりこんだったの!? あんたわぁあああああああああっ!」

 エキサイトするさつきおねぇさんと、非常にクールな誠太郎。

「ろ、ろりこんって……。うぅ……」

 立て続けにショックを受ける雪乃。
 
「っていうか、妹なんだけどさ。何度も云ってるけど」

 そういわれて、じーーーーーっと見つめて。

「……。むー。そう云われてみれば、このこ。どことなーく雪乃ちゃんに似てるわねってゆーかそっくりって感じ? よくみっけてきたわねぇ。どこで身柄確保したんよ?」

「納得した?」

 まだ酔いが覚めて無さそうなさつきに対し、誠太郎はあくまで冷静だった。

「するわけ無いでしょうがあああぁぁあっ! 雪乃ちゃんは四年も五年も前に……前に……あれ」

 それでもさつきは少し冷静になっていく。

「あー。ごめん、せいたろー。姉ちゃんまだ酔いから覚めてないっぽい」

 そう云いつつ、瞼をごしごしとこするのであった。

「ああ。覚めていると思うよ」

「そうかな? ……なーんかさっきから雪乃ちゃんの姿がみえるんだけど」

「さつきお姉ちゃん……。私幽霊さんじゃないよぉ」

 どうも、幽霊だか亡霊だかと勘違いしているようだ。

「わっ! 幽霊さんが自分のことを幽霊さんじゃないって喋った!」

「ほんとに幽霊さんじゃないよぉ。……ほ、ほら見てよ。私。足、あるよ?」

 雪乃は雪乃で混乱したのか間抜けな答えをしてしまう。

「今時足のある幽霊もいるでしょ! わー、なまんだぶなまんだぶうーんまんだむ! 成仏してください成仏! はんにゃはーらーみたーじーはーらーだーびーとっぷー!」

 取り乱しまくり。何かかなり違うのも混ざっている。余談だが、さつきは野球が大好きなのだった。

「姉ちゃん。雪乃は本当に幽霊じゃないよ」

 いつも冷静な彼に突っ込まれ、さすがに嘘では無いことを理解した。それでも納得しきれないようで……。

「……まじ?」

「大マジ」

「……」

「あ、あのね……。さつきおねえちゃん……」

 雪乃は内心信じてもらえないだろうけど、と思いながらも状況の説明を始めた。そして、それが功を奏して。










…………










「そう、だったんだ……」

「うん」

「ごめんねー。早とちりして」

「いつものことだよ」

 さりげなく突っ込みを入れる。

「久しぶり、って云えばいいのかな?」

「う、うん……。そう、なのかも」

「そっか。そんなことが、ね」

 テーブルの上にはビールとジュースの空き缶とお土産。ちょっとした宴会モード。

「せいたろー。雪乃ちゃんのこと、受け入れてあげなさいよ」

 さすがに年長者の余裕というべきか、彼の様子を見て、雪乃を受け入れてあげられていないということを察知していた。

「……。ごめん。何と云っていいのか。正直戸惑っている。ものすごい、違和感のようなものを感じて……どうしようもない。悪いとは思うけど」

「お兄ちゃん……」

「信じられないのは分かるけどさ。でもねぇ」

 そんなことは分かってる。けれど、もやもやとしたわだかまりはどうしても抜けるものではなかった。

「……少し。時間が欲しい」

 そうすれば、どうにかなるだろう。きっと。

「よーしよし。それでいい」

 何か偉そうというよりか、酔っぱらったおっさんみたいにうんうん頷くさつき。

「それはそうと。ほらー。おみやげー!」

「わかったから大きな声出さないで」

 仙台名物、萩の月を食べながら酒を飲みまくるというどこか間違ったことをしているのであった。

「ほらほらほらー。仙台名物米国産牛タンー! 食えーーーーっ!」

「そういう野暮なことはいわないでよ」

「もー。クールなんだからぁ」

「あ、あの。……さつきおねえちゃん」

「ほいほい。何かな〜?」

 雪乃はちょっと戸惑いながらも、問う。

「その……。さつきおねえちゃんとお兄ちゃんって……」

「あー。そうね。云い忘れていたわ」

 奇妙な感覚ではあるけれど、自分が一度死ぬ前を思い出してみても、彼と彼女の関係はここまで深いものではなかった。

「あたし、水野さつきは雪乃ちゃんのおにーちゃん、観月誠太郎君とお付き合いをしております」

「そう、だったんだ」

 改まった云い方がかえっておかしくて、くすっと笑いがこぼれた。

「歓迎してくれるかな?」

「うん。勿論」

「つきあい始めたのは最近なんだけどねー」

「そうでもないよ」

「まだ三年ちょっとじゃん」

「三年は最近に入らないと思うよ」

「んー。そっかな? まぁ、漬け物石の上にも三年、とも云うし」

「漬け物じゃなくてもいいと思う」

「冷めてるわね、あんたは。ジョークってもんがわかんないのね」

 三年前。……彼と雪乃の父親が亡くなった頃だ。彼らがつきあい始めた理由はにわかに想像がついた。寂しさを埋める為と、ずっと前から抱いていた恋心が混ざり合って……きっとそうなったのだろう、と。雪乃は、前からこの二人はいつかくっつくんじゃ無いかと思っていたから、別段不思議には感じなかった。

「せーたろー」

「何?」

 少しだけ同情もあって、彼女はそれを(悪く云えば)利用したのだろう。勿論、そんなことは彼もお見通しであると分かった上で。

「これからも、よろしくね」

 とか云うのだった。えっへへへ、と悪戯っ子のように笑いながら。とってもお似合いだなぁ、と雪乃は思う。

「何云ってるんだか」

「雪乃ちゃんも」

「うん」

「さってさてさてさて」

「南京玉すだれ?」

「ちがーーーーうっ! そろそろ……」

「寝るの?」

「ううん。飲み直そうかなーって」

 この期に及んで。もしくはこれからが本気。さてどちらかだろう。

「……」

「せいたろー。勿論付き合ってくれるよね?」

「僕たち、もう付き合ってるじゃない」

「ちがーーーーうっ! その『付き合って』じゃなーーーーいっ!」

「わかってるよそんなこと」

 要するにそれは。

「朝まで飲もうね」

「姉ちゃん、相当ストレス溜まってる?」

 そう云いつつ誠太郎は彼女のグラスに焼酎を注いでいく。紙パックに入ったそれは『いいぢこ』と書いてある、全国的にも有名なスタンダードな銘柄だ。ちゃんと水で薄めて氷も入れて。水の割合を多くしたらグーでどつかれそうな、そんな眼光なのでどぶどぶついでいく。いかざるを得ない。逆に、そうすればいずれ潰れて静かになるだろうから早く黙らせようと、腹黒い誠太郎は思うのだった。

「当たり前じゃない。っとに……」

「何かあったの?」

 心配そうに聞く雪乃。

「あったわよぅ。ちくしょーが、セクハラしてきやがって。あの禿親父……」

「……」

 何と云っていいのか、雪乃は返事に窮した。

「大丈夫よ。ちゃんと往復ビンタした後ひじ鉄食らわせておいたから」

 うわ。過剰防衛になってなきゃいいけど、と誠太郎は思った。

「ぐだぐだ云うとあんたがやろうとしたこと全部ちくったるから、と云っておいたから」

 結構芯は強いのであった。

「あ、あれ……」

「んー? どしたの雪乃ちゃん〜?」

 ふらつく雪乃。

「私……ちょっと、熱っぽいかも……」

 雪乃が飲んでいたジュース。それは……。

「姉ちゃん……。これ、ジュースに見せかけてチューハイ……」

「あっはっは。あらやだ、間違えちゃった♪」

「確信犯だろ」

「そんなわけないわけないじゃん」

 つまり、あるわけだった。誠太郎は嘆息。

「うぅ……。ぽ、ぽ〜っとするよぉ……」

「雪乃。大丈夫?」

「こ、これって大丈夫……なのかなぁ。はぅ〜……」

 雪乃はほんのりと顔を赤らめてふらふらと視線を泳がせる。その様がとても可愛らしい。

「ほらほらせいたろー。全然減ってないじゃない」

「飲んでるよ。これでも」

「全然酔わないんだからー」

「酔わないんじゃなくて、酔えないんだけどな」

 何度か、酒で逃避を図ったことがあった。けれど、無駄だった。幸か不幸か誠太郎は相当酒に強く、酔えない体質のようだ。自暴自棄になろうとしてできなくて、馬鹿馬鹿しくなったのでそのうち諦めた。ただそれだけだった。

「いーから飲めーーーっ!」

 完全に朝までコース。これはもう明日は……いや、既に今日か。二日酔い娘の介抱で一日中何もできないな、と彼は思った。

「はわわ……あぅぅ……。はふぅ」

 すぐ隣で、雪乃が可愛らしく床にダウンしていた。










とても賑やかな、お祭りのような再会だった。



少女は戻ってきた。



何年も前に、病気で亡くなったはずの妹。



姿も、性格も、記憶も、寸分違わぬ妹。



その少女は、自らを雪乃と名乗った。



かつて妹だった少女の名を。














-続く-

















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