-Copied tears(中編)-
色んな事があったのよ。と、彼女は云った。
石の上にも何とやら。時間というものはある人には僅かなものに感じられたとしても、別のある人にはとてつもなく長く感じるものなのだろう。事実、雪乃もそうだった。ずっと長いものだと感じて生きてきたのだから。云うまでもなく、待ち続けてたのは再会できるその日の事。もしかしたら来なかったのかもしれない一日。 「そう、なんだ」 「うん。だから、あいつはあーいうふうに平然としてるよーに見えるけど、案外ね。立派だと思うけどね」 第三者から見てもかなり精神的に追い込まれているなと分かるくらい、きつい一時期があった。と、彼女……さつきは云った。 「うん」 それに対して雪乃はただ頷くことしかできなかった。 「でもね、大丈夫よ」 雪乃とさつきの二人はじゃぶじゃぶと一緒に食器を洗う。みんなとの再会から数日が過ぎていた。さつきは定期的にやってきては夕食を食べていった。誠太郎は元より雪乃に会いに来るのが楽しくてしょうがない感じだった。さすがに再会時のような泥酔状態は少ないけれども、実の妹のように接してくれる。 さつきが云う大丈夫とは、誠太郎に対する信頼が含まれていた。どんなに寂しくても悲しくても、決して不幸を表に出したりしない強さを持っていることも知っているから。だから大丈夫と云ったのだ。 「時間が全てを解決してくれるわ」 「そう、かな」 「ええ、そうよ」 確信をもってさつきは云う。雪乃は無理やりそう思うことにした。施設にいた頃の事を思い出す。そうしないと救いようがない現状を何度も見てきたのだから。雪乃と同じような立場の子供達を。 「あいつは全然変わってないわ。むしろ、変わったのは雪乃ちゃんの方かな」 さつきは食器用液体洗剤をスポンジにしみこませながら淡々と云う。雪乃は少し考え込んでしまう。どんなところが変わったのだろう、と思う。さつきは雪乃がそう思うことを見越してフォローを入れてきた。 「……」 「いい意味で、よ。元気になって帰ってきてくれたのだから」 「う、ん」 その証拠に、とさつきは続けて云う。ほほ笑みながら。 「その髪形。似合ってるわよ」 「ありがと」 雪乃の髪。そんなに長い訳でもない髪を可愛らしいリボンでまとめている、ポニーテール。以前はあんまりすることのなかった髪形。そんな些細な変化にもさつきは気付いていた。 「これは元気で、活発な女の子の髪形。雪乃ちゃんはほんと、前向きになったわね」 「うん。ずっと、元気になりたいって思ってたの。だから……」 せめて、と雪乃は常々思っていた。かつての自分にはそれすらもままならなかったから。髪形を変えてイメージチェンジをしてみたのだった。……一番気付いて欲しいはずの人。兄の誠太郎自身は気付いてるのか気付いてないのか、その件には全然触れて来ない。それが雪乃にはちょっと不満のようだ。何だか朴念仁な彼氏に苛立つ彼女みたいね、とさつきは思った。 「あは。何だか、さつきお姉ちゃんには心の中を全部見られちゃってるみたい」 「ふふふ。わっかるわよぉ。あたしのとっても可愛い妹君の事ですもの」 もはや完全に妹宣言。お互いにくすくすと笑い合う。そんな中さつきはふと、思い出したように云った。 「そだ。明日、せいたろーと一緒にお墓参りでも行ってきなさいよ。お父様の」 「え……」 「学校、来週からなんでしょう?」 「うん」 「だったら尚更。ご報告してあげなさいな」 「そう、だね」 雪乃は頷きながらきゅ、きゅ、と濡れた皿を乾いたフキンでぬぐい、食器入れに入れていく。手慣れたものだなぁとさつきは思った。エプロン姿が似合うその様はとっても健気で可愛くて家庭的で、お姉さんのお嫁さんになってほしいなぁとも。 「ああ、それとね。夜、せいたろーのゼミで飲み会があるって。あたしも出るんだけど一緒に出てみない?」 「え。でも……いいの?」 未成年と云うことと、部外者と云うこと。さつきはそんなの気にしない。 「もち。……だって、あたしはそのゼミの大先輩だもの。それに、悪いやつはいないから大丈夫よ。みんな絶対歓迎してくれるわ」 雪乃はそうなんだ、と答えながらちょっと困ったように笑って頷いた。きっとさつきの言葉通りそうなのだろう。雪乃はもう、さつきのことを完全に信頼していた。 「だって、雪乃ちゃん可愛いし。そりゃ!」 「え……あ。お、お姉ちゃん〜!」 ぎゅむーっと抱き締められて恥じらいまくる雪乃。 「きゃう〜ん。も〜可愛いんだからぁ〜。ふにふにのぷにぷに〜」 「あ、あ、あぅ……」 ほっぺたをつんつん突かれて雪乃は終始困り顔。 時がたてば何かが変わる。
当たり前のことではあるけれど、受け入れるのには覚悟が必要だった。
翌日の朝。窓から見える外の空模様は快晴。雲一つないいい天気。そしてそれは墓参りに行く前のこと。誠太郎は脱衣所の方で歯を磨いていて、待ってる雪乃はすることがなくて手持ち無沙汰。だからか何となくぼーっとしながらテレビを見ていた。画面にはニュース番組が流れる。某公共放送のチャンネルだった。 「……」 技術者や営業等、企業戦士達の血と汗と涙の結晶でもあり、高度な技術と研究開発の固まりである薄い液晶テレビの映像には、旗やプラカードを持った人々が映し出されていた。一見何の変哲も無いニュース番組だけど、テロップとして映し出されている文字と云うべきかテーマは雪乃にとっては痛いものだった。 『クローン培養技術の乱用・法制化反対を表明した市民団体が、渋谷で抗議集会を開き……』 無機質な感じがした。アナウンサーは極めて客観的に、他人事のようにニュースを読む。……ああ、世の中は自分のような人間には決して優しくないんだな、と雪乃は思った。無意識のうちについついため息をついてしまうと。 「あ」 突然チャンネルが切り替わった。背後で、誠太郎がリモコンを使ってチャンネルを変えていたのだ。 「見んな」 歯ブラシをくわえたまま、くぐもった声で誠太郎は云った。 「う、うん」 「色んなやふがいるんらよ」 世の中にはな、と前置きならぬ後置をつけてそういった。良いか悪いかは別にして、とも。多様な価値観。個性の重視。時にはそう云ったものも、独裁者のように情報統制してみたくなる。 「そう……だね」 彼なりの気の使いようだったのかもしれない。とても不器用だけど、その優しさは雪乃にも伝わった。 そこは長い間帰ってなかった一軒家のようだった。
「お父さん……」 殆ど誰も手入れをしていないであろう墓には雑草が生い茂って、花は枯れていた。どことなく凄惨な感じのする所に成り果てていて、雪乃は軽くショックを受けた。 「雪乃。お線香」 「うん」 一通り雑草を引き抜いて、淀んだ水を取り替えて新しい花を差す。綺麗に掃除したあとで、誠太郎から渡されたお線香に火をつけた。そこには父と共に、かつて自分自身だった娘が眠っている。どうしていいか、どう云えばいいのかわからなかった。自分の墓参りをするなど、初めてのことだから。 「私……。ううん、もう一人の私……なのかな。えっと……。死んじゃってごめんなさいって、そう云うよね。私は私に……」 自分でも何を云っているのかよくわからなくなる。 こういう時、何て云えばいいのだろうと考えはしたけれど、言葉など浮かばなかった。涙ながらに、そう云うしかできなかった。 「元気に……なったよ。だから、その。私。一生懸命生きるね」 父とかつての自分に、今の自分自身を報告した。 「……」 誠太郎はただ、手を合わせて目を閉じるだけだった。 帰り道。
「お兄ちゃん」 「うん」 墓参りを済ませ、帰路につく。近所の見慣れた街を歩く。町並みは何も変わっていないようでいて、結構新しい家が建っていたり古い家が取り壊されていたりと変化に富んでいた。 「さつきお姉ちゃんから、色々……聞いたよ」 兄の口からは知らされていなかったことを、と雪乃は云っていた。 「そうか」 「ごめんなさい」 色々と特別な事情があることも知らなかった。兄に無断で詮索してしまったことに対して、悪いことをしてしまったと思い、後悔した。けれど誠太郎は雪乃に対しどうして謝るのか、と怪訝そうな顔をした。 「謝るのは僕の方だ。色々と、云いたくなかったんだ」 「うん」 「お前には知る権利がある。僕はきちんと話さなければいけなかった。だから謝るのは僕の方だ」 雪乃がさつきから聞いたこと。それは素朴な疑問。父が亡くなり、どうして親戚に引き取られたりしなかったのか疑問に思ったからだ。雪乃が直に聞いたとき、誠太郎はただ一言。 『さあね』 と云って席を立った。でも、誠太郎は今改めて説明をしてくれた。 雪乃と誠太郎の家は資産家だった。……と、云うよりも、父親が大きな会社の重役というポジションにいた。ただそれだけのことだった。東証一部上場の、誰もが知っているくらい大きくて有名で飛ぶ鳥を落とす勢いの会社の偉いさんだったというだけ。 「……あのね。お兄ちゃん」 「うん」 親戚は誰しも残された誠太郎のことなど誰も考えはしなかった。莫大な額の遺産。ただそれだけに目が眩んで、何か狂いだした。不毛なやり取りが続いて行くうちに誠太郎は嫌気が差し、遂には弁護士に全ての処理を依頼して、自ら血縁関係を絶っていった。 しばらく続く沈黙。耐えきれなくなった雪乃は切り出した。 「お兄ちゃん。夜。その」 「一緒に来るかい?」 「……うん」 誠太郎はいいよ、と云った。 「悪いやつは一人もいないと思うから」 「さつきお姉ちゃんも、そう云ってた」 「そう」 その後、会話は途絶えた。
少し離れて歩き、どこか他人のようなよそよそしさがあった。
夜。近所の居酒屋には五、六人程度の集団。 「雪乃ちゃん。初めましてーーーっ!」 「わーーー。可愛いーーー!」 「よろしくね〜〜〜っ!」 男達数人のやかましいさといったら、笑えてくる程だった。雪乃も最初は誠太郎の後ろにちょっと隠れるくらいだったのに、大分楽になれた。 「は、はじめまして……」 あはは、と、ちょっと苦笑しながら挨拶。でも、大歓迎されて少し嬉しかった。 「あんたたち。雪乃ちゃんに手ぇ出しちゃダメよ。あたしの可愛い可愛い妹なんだから」 さつきは冗談めかしてそう云った。が、男たちは完全スルーだった。 「僕ね、山本って云うんだ」 「あ、俺は斉藤ね斉藤!」 「おめーら何勝手に自己紹介してんだよ! ……あ、俺は鈴木ね。雪乃ちゃんよろしく!」 「は、はいぃ。よ、よろしく……です」 怒涛のような勢いの男たちに、雪乃は気圧される。こう見えて、みんな既に雪乃の事情というものを知っていた。でも、みんな曰く『可愛ければ関係ない!』とか何とか熱く云っている。電話で今回の飲み会に連れて行くよと聞いた時、揃いも揃って『早く会いたい!』とも云っていた。とても気のいい連中のようだ。 「もう。おたくばっかりなんだから仕方ないわね」 「……」 そんな騒がしい面々の中で、ただ一人一言も喋らずに、酒を飲み続ける誠一郎。 「ちょっとぉ。せいたろー、何一人寂しく飲んでるのよー。しけてるわねぇ」 「姉ちゃん。……早速酔っぱらってるね」 「当たり前っしょ。飲んでるんだからー。酔うために来たのよ! 酔わなきゃ損損!」 「そうだそうだ!」 さつきお姉さんの人望故に、みんな異口同音で頷く。 「姐さん姐さん。今日は負けねっすよ」 「ほほう。このさつきおねーさんにかなうとでも?」 「今日こそは負けないっすよ!」 「いい度胸ね。その勝負、受けて立ち上がろう!」 「そうこなくちゃ!」 男達とさつきは、飲み比べ勝負をすることになったのであったとか。 「雪乃ちゃんってさ。ゲームとか好き?」 突然質問を振られて、雪乃はちょっとびくっとしてしまう。 「え、え……。は、はい。……お兄ちゃんが昔買ってくれたものを、よくやってました」 「へー。PSか何か?」 「えっと、えっと……何て云うのかな」 ハードに関してはあまり詳しく無いらしい。 「……MSX2」 助け船を出すように、ぼそっと呟く誠太郎。 「お前……。妹に何やらせてんだ……」 どうやらそれは、現在においては結構マニアックに該当するハードだった模様。 「別に」 「おーっと。雪乃ちゃん。卵焼き来たよー。厚焼き卵。好きだったよね?」 注文の時、好きなものは何かとガンガン突っ込まれたのだった。遠慮なんかしてる暇も無いので答えてみたわけだ。 「は、はいっ」 うれしそうに微笑む雪乃。もはや完全に主賓扱い。 「雪乃ちゃんって、何年生?」 「え、えっと。……中学二年生、です」 「わーーーかーーーいーーー!」 「そ、そうなのかな……?」 雪乃が質問攻めにされているその横で。 「せいたろーも勝負だーーー!」 さつきが誠太郎に勝負を挑んでいたのだった。 「いいけど」 そして、かれこれ三時間が経過した。
「う……うぅ。も、もう飲めねっす……」 「げ、限界……」 「せーたろぉ。……今日も負けを、認める」 死屍累々という言葉がぴったりな程、まったりとした空気が個室内にはあった。ある者はテーブルにつっぷし、ある者は壁にもたれ掛かっていた。 「あ、あぅ」 おろおろしながら皆さん大丈夫なのかな、と心配する雪乃に対して。 「まかせろ。やれやれ」 誠太郎は慣れたものだった。寝ている連中を起こして周り、適当に会計を済ませて店から出させる。 「じゃーなー」 「ああ。帰れるか?」 「なんとか」 「そうか」 そして、家が近くのさつきをおぶって歩く。 「むにゃむにゃ。せーたろぉ……」 「重い…」 と、ぼそっと呟く。 「わっ。お兄ちゃん。そんなこと云っちゃ失礼だよ」 「そこの公園に置いていこうかな」 丁度ベンチもあるし、と付け加えた。何だか本気でやりそうな感じがしたので雪乃はびっくりしながら止める。 「ダメ〜!」 雪乃はとっても常識的な思考の持ち主だったようだ。 星が瞬き、辺りは静か……。散々飲みまくったのにもかかわらず、誠太郎は平然としていた。 「お兄ちゃんって、お酒強いんだね」 感心したように、雪乃が云うと。 「酔えないだけだよ」 どこか寂しそうに呟いた。 「ごめんなさい」 雪乃は聞いてはいけないことを聞いてしまった。もしくは、自分に非があるんだと思い込んでしまった。 「何で謝るんだ?」 「だって……」 「別にお前が謝るようなことじゃないだろ」 仕方のないことなのだから、と、どこか投げやりに呟く。 「……」 そして、会話は途切れた。 「さっきまでさ」 「え?」 「さっきまで一緒に飲んでた連中は、大学に入ってから知り合った」 「あ……。そうなんだ」 「馬鹿が多いけど、悪い連中じゃない」 「うん。そうだね」 唐突に、雪乃の反応を求めている風でもなく、ただ淡々と説明していく。冷めた空気を変えるかのように。 「みんな雪乃のこと気に入っていたみたいだよ。タイプみたいだった」 「そ、そうなんだ」 嬉しいけれど、ちょっぴり恥ずかしい。 「うん。なにしろみんな、揃いも揃ってロリコンだから」 「お兄ちゃん。すごく傷つく事云うね……」 友人たちに対しても、自分に対してもだ。 「事実だし」 雪乃が子供っぽいことを堂々と認める誠太郎。雪乃も自分自身わかってはいたけれど、改めて認められるととっても悲しい。 「あぅ……」 無意識のまま追い打ちをかけることになってしまった。 「大丈夫。雪乃は小学生の頃と全然変わってない。心配しなくていい」 何が大丈夫なの!? 何を心配しなくていいの!? と、雪乃は思った。 「う、嬉しくないよ」 「どうして? 着られる服多くていいじゃないか。服代もかからないし、コンパクトでいいだろう」 身も蓋もない。本人としてはフォローのつもりなのだろう。 「……はぁ〜」 「ため息ついて、どうした」 「どうもしないもん」 子供扱いされて、面白いわけもない。純粋なのか、単に朴念仁なだけなのか。兄の反応に雪乃は何度もため息をつくのだった。 「あ。……お兄ちゃんって、今何年生なの?」 「三年」 「そうなんだ」 どこかぎこちないままではあるけれど、遠くも近くもない関係になった気がした。少しはうち解けあえたような、そんな気が。 「むにゃむにゃ……。もう飲めない……」 背中で爆睡してるさつきを見て早く帰ろうと、誠太郎はそう云った。雪乃は少し微笑んで、そうだねと頷いた。 色んなことがありすぎたのかもしれない。
雪乃は布団を被りながら、少し寝苦しさを感じていた。 一言では云い表せないくらい様々なことがあったのだろうと、雪乃は目を閉じながら思った。 (お兄ちゃん……) 可哀想という同情の気持ちではなく、その原因の一つ。兄がどこか人間味を感じさせなくなってしまった……心の底から笑わなくなってしまったのは自分にも原因があるのだろうと思い、雪乃は少し落ち込んだ。 (私……。戻ってきて、よかったのかなぁ) 少しだけ悲しい気持ちになってしまうけれど、考えないようにして眠りにつこうと努力した。羊の数を数えたくらいで眠れれば誰も苦労しない。 必要とされないのは、怖いこと。
雪乃は自分の存在がまだまだ受け入れられていないことを、悟っていた。
時間が解決してくれる。さつきはそう云った。きっと、そうなのだろう。
じゃあ、この不安は一体何なのだろう。
わからない。結論は出ない。
雪乃はそのまま眠りについていった。
-続く-
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