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その一言は衝撃的と云うよりも、ものすごく適当に聞こえた。










-Copied tears(後編)-










 誠太郎と雪乃。二人が再会してからいくつもの季節が過ぎ去った。そんな頃の、とある日曜日の午後。誠太郎は雪乃と一緒に炊事洗濯掃除、家事全般を全て終わらせて、お茶でも入れて一段落付いていた。そうしたら誠太郎にとっての愛しの人ことさつきがやってきた。雪乃はちょっとばかり疲れてしまったのか、自室にてお昼寝をしているようだった。

「せいたろってさ」

「うん」

 コーヒーメーカー付属の耐熱ガラス容器からは湯気が上がる。コーヒーをこぼさないように少しずつカップに注ぎながら、彼女の言葉に適当に相槌を打つ。香ばしい香りの中に、更にもう一つアクセントを付け加えるかのように、甘いミルクを注ぐ。

「卒業したら、どうするの?」

「そのまま社会人になるつもりだよ。今のバイト先で」

 長く働いているバイト先から正社員にならないか、と誘われているらしかった。彼はその誘いを受けるつもりでいるそうだ。真面目に黙々と仕事をこなす彼は、バイト先の誰からも信頼されているのだ。

「ふーん。そっかぁ」

 さつきはうんうんと頷く。全く何も問題なしとでも云わんばかりに。

「それがどうかしたの?」

「いや、ねぇ。そーしたらさぁ」










さつきは極めてさりげない口調で云った。










「とりあえず。結婚しようよ」

 と。

 流石の誠太郎もちょっとばかり驚いたのか硬直して、何度かまばたきを繰り返す。そして、それにしてもと呆れたように口を開く。

「……。姉ちゃん。僕はビールじゃないんだから」

 結婚という人生において重大な決断の宣言……プロポーズにおいていくら何でも『とりあえず』はないだろう『とりあえず』は、と。いつも冷静な反応をしている彼もそれはないだろうと突っ込みを入れる。だが、さつきは全く意に介していなかった。

「いいのよ。とりあえずで頼んだビールのね、あの一口目ほどおいしいものなんて、そうそうないんだから。せいたろもそう思うでしょ?」

「意味不明だよ」

 さっぱり意味が分かる訳ないのであった。

「わっかんないかなー。あのさわやかで心地良い喉越しのように、あたしたちもそういう関係になりたいなって思わない? ぐいぐい飲んで飲み干して、ぷはーーーっていうときみたいにさあ。とりあえずと云うのは決しててきとーに云う訳ではなくて、最高においしくて定番になってるわけだから云うのよ」

「姉ちゃん。最近ますます親父化してきてるね」

「あぁっ!? だーれーがー親父くさいですってぇ!?」

 ひしっと血管マークをおでこに浮かべてキレるさつきお姉さん。もっとも、同じようなことを家族や会社の同僚や親友にすら常日頃から云われていて実際のところ結構気にしてはいるのだけれども、一度そうなってしまってはどうしようもない。最近はもうだいぶ諦めが入ってきているなと誠太郎は思った。

「……。まあ、いいけどさ」

 彼女の事をどうこういっておきながら、彼は彼で重大な問題に対し適当に返事をしてしまうのだった。まあいいけどと、ただその一言で。

「お。それってそれって、OKってこと? 脈ありまくり?」

「そうだけど。……普通こういうものは、男の方から言い出すものだよ」

 あっさりとOKを出した誠太郎。彼も彼女に負けず劣らず適当なのだった。人のことは云えない。もしくは二人はとっても似た者同士なのかもしれない。馬が合うとはこういうことを云うのだろう。

「古い考えね。そんなの期待して待ってたっていいことなんて何もないわよ」

「恋愛は男女平等ってやつ?」

「そっ。……まあでも、ウチの会社の人事部のおっさんなんて、履歴書見て気に入った女の子ばかり採ってたりするけどねー。あのセクハラ親父」

 けらけら笑いながらそんなものよ、と云った。二人とも、こと男女関係の話題になると妙にクールというべきか適当なのだった。それだけ互いのことを知り尽くしているのだった。

「男を採用するつもりなんてさらさらないのにね。面接で散々最もらしいことを偉そうにぬかして、で、結局落とすのよ」

「嫌な話するね」

「ま、嫌な話はおいといてー。というわけなのでさ」

「うん」

「指輪。買ってね。安物でいいから。結婚前に」

「……。サイズ、教えてよね」

「わーい! 教える教えるー! せいたろ好き好き愛してるーーー!」

 おねだりして、良い返事をもらって子供のように喜ぶさつきだった。









そういえば、あの時もそうだったな、と。彼は思った。










 あの時とは、父親の葬式。今でも克明に覚えているやりとり。

「せいたろ。ちょっと聞いて欲しい話があるの」

 重苦しい時は過ぎ去った。ようやく全てが終わって明かりも消え、二人きりになった頃。喪服を着たさつきが改まった面持ちで話してきた。普段のちゃらんぽらんぶりとはちょっと違った雰囲気に、誠太郎は逆に少しばかり冗談でもぶつけてみる気になった。

「愛の告白?」

「YES」

 ……冗談で云ったつもりだったのに、本当だった。この人はどうして僕の考えてる事がわかるのだろう、と思った。恐らくきっと、この女性と誠太郎はどこか波長が合うのだろう。

「なかなか察しがいいぞ。というわけで、とりあえず姉ちゃんと付き合え」

 恥じらうこともなくあっさりと告白するさつき。それにしてもとりあえずはないだろう、と彼は思ったのだった。

「……。僕のどこがいいの?」

「放っておけないとこ」

 それはいいところなのだろうか、と思った。特に今のシチュエーションにおいてはますます気になってしまう。

「姉ちゃん。……同情だったら、やめて欲しい」

「待て待て、待つんだ少年。結論を急いじゃいけないぜよ。……ぶっちゃけ、もちろんそーいう要素も少しくらいはある。全くないとは云わない。ねーちゃん嘘つけない。あたしも聖人君子ではないし既にスれて悪い大人になっちゃったし狡猾でもある牝狐ちゃんなわけでしょーがない。けどね、それは全体の一割程度かそれ以下にしか満たない要素ね」

 確かにそうだ。彼女はこういうときに嘘をつく人じゃない。誠太郎はそれくらいわかっていた。彼女が心の底から自分のことを好きでいてくれることも。だから……。

「で、あんたもわかってんだろうけどあたしはこーいう性格だからさ。あんたが飽きたり愛想付かしたらぽいっと捨てちゃって構わんわ。空き缶回収の日にぽいっと缶ビールの空き缶を回収カゴに投げ入れる感じで。ああ、恨んだりなんて絶対せんからさ。んなわけなので、とりあえずってな感覚で付き合ってみ。騙されたと思ってさ。お試し期間ってなわけで。悪い話じゃないっしょ? 少しは気晴らしになると思うわよ」

 そうまで云われてしまうと、誠太郎も負けず嫌いなので対抗してみたくなる。

「絶対捨てないよ。むしろ、僕の方を捨てないでくださいと云いたい」

「おおう、望むところよぅ。捨てられるもんなら捨ててみぃこんにゃろ」

 こんな時に何というやりとりをしているんだろうか、と、二人とも思わないでもなかった。けれど、彼女は笑って云う。じゃ、商談成立ねと指切りげんまん。誠太郎はとっても冷静に恋は商売なのですか、と突っ込みを入れる。そうしたら、男女の関係も持ちつ持たれつギブアンドテイクのぼちぼちでいこうよと彼女は気楽に云った。

「つーわけだから。改めてあたしとお付き合いしてくださいな」

「はいはい」

 気心の知れた中で、互いにマイペースで、その関係はとても心地よかった。だから誠太郎もあっさりと云った。

「いいよ」

 と、優しいさつきの誘いを受け入れた。










…………










 しばらくして、テーブルの上にはコーヒーカップが三つ。つまりはつい先程、一つ増えていた。物音と話し声に気付いた雪乃が起きてきたのだった。目を擦って眠そうにしている様は子供っぽくて可愛らしい。もっとも、無神経な誠太郎がそんなことを雪乃の目の前で云うとほっぺたを膨らませて拗ねてしまう。更に誠太郎は空気が読めないようで、雪乃がブラックのコーヒーが苦くてそのままでは飲めないところを見て可愛らしくてついつい笑ってしまう。そうして追い打ちをかけるかのように、やっぱり子供だなとか云ってしまい、雪乃はもういいもんと云いながらしょぼーんとしてしまう。

「というわけなのでー」

「僕が大学卒業したら、姉ちゃんと結婚することになったから」

「そうなんだ」

 雪乃はあまりの適当すぎる経過説明に少し苦笑しながらも、お似合いだなぁとしみじみ思った。

「雪乃ちゃん。歓迎してくれるかなー?」

「うん。もちろん大歓迎だよ」

「愛しのお兄ちゃんを取っちゃって申し訳ないけどさ」

「あは」

 嬉しいことに変わりはない。だから雪乃は笑顔で歓迎してくれた。ついさっきまで子供扱いされてしょぼーんとしていたのに、ころころ変わる表情。さつきにとって雪乃は本当の妹のように感じられた。妹……さつきはふと気付く。妹……それは何と云う可愛らしい響きの言葉なのだろう。

「あっ。ってことはあれね。あたしがせいたろと結婚したら、そしたら雪乃ちゃんは正式にあたしの義妹になるのね。可愛い妹ができて嬉しーわー!」

(本気で嬉しいんだな)

 さつきの言葉に嘘偽りなどないことを、誠太郎は一瞬で理解していた。

 雪乃をぎゅむーっと抱きしめるさつき。完全にぬいぐるみか何かと勘違いしている。雪乃はさつきの大きな胸に顔を埋めさせられ、ちょっぴり困り顔。

「あ、あは。そ、そうだね〜」

「雪乃を取っちゃダメだよ。姉ちゃん」

「わかってますよーだ。おにーさん」

「……」

 さつきだけじゃない。誠太郎も雪乃のことを本当の妹として受け入れていたのだった。

 ここに至るまでの過程。色々とあったのだけど。










色々……とは、夏の頃のこと。










 彼女は相変わらず夜な夜なやってくる。飽きもせず、常連客の如く足繁く通う。それはあたかも行きつけの居酒屋に居座るが如く。

「せーたろー。雪ちゃんー」

「何?」

 誠太郎がつまみと酒を出してもてなすと、遠慮など一切なくお姉さんはくつろぎ始める。今日のつまみは枝豆だった。茹で立てで塩加減がとても素晴らしい。どうしてこう、つまみというものはどれもこれもお酒に合うのだろう。とにかく考えた人も最初に作った人も偉い! と、さつきはつくづく思う。

「どうしたの? さつきお姉ちゃん」

「南の島にいこー!」

「……。沖の鳥島とか?」

 それは日本最南端の島のことである。単なる岩のように見えても島である。島でないと色々と困るのである。排他的経済水域とか色々。

「南過ぎ! それになんもないでしょがあんなとこ!」

「ちゃんと住所はあるよ。あれでも東京都だし。郵便物だって届くし、海で海水浴もできなくは……」

 あくまで冷静な誠太郎。よくわからんまめ知識を披露。

「沖ノ鳥島が気に入らないなら南鳥島でもいいと思うよ。基本的に関係者以外立ち入り禁止だけど、滑走路もあるし。ただ、海流が早くてその上鮫が出るらしいけど、それでも泳ごうと思えば泳げないことも無いと思うよ。サンゴ礁のすぐ先は水深1000メートルの断崖になってて足で立つのはちょっと難しいかもしれないけど……」

「あほーーーっ! んなこたどーでもいーの! そーじゃなくって、今度の連休に南の島に旅行いこーってぇーのっ! 一丁バカンスと洒落込もうってーのっ!」

 びし、と枝豆を勢いよく弾いて誠太郎の眉間に直撃させた。誠太郎はそれを見ていいコントロールだなとは思いつつ、食べ物を粗末にしてはいけないという観点から上手くキャッチして口に入れたのだった。

「何しに?」

「何しにって、旅行に決まってんじゃない!」

 バカンスという感覚がまるでないのかそういう習慣がさっぱりないのか、全然興味無さそうな誠太郎と、対して好奇心旺盛で興味津々な表情の雪乃。

「遅ればせながら、誠太郎と雪ちゃんの再会を祝して。ま、一丁遊びに行こうじゃないの、ってね」

「そりゃ口実で、実は姉ちゃんが行きたいんじゃなくて?」

「うむ。それももちろんある」

 というよりも、それが一番大きな要素だ。

「で、どーよ? どーお雪乃ちゃん?」

「私はいいけど。お兄ちゃんは?」

「……。いいよ。バイト空けとく」

「よっしゃあ。決まりーーー!」

 はしゃぐ姉ちゃんだった。

「そうと決まれば……水着買いに行くわよ雪乃ちゃん!」

「え。でも、学校指定の水着があるから大丈夫……」

「ぬぁーに云ってんの! スク水はそれはそれで素晴らしいけど、やっぱ開放的な夏の海に行くからにはぱーっとトロピカルな水着買ってこなきゃだめったらだめよ!」

 何だかとっても気合が入ってるさつき。心なしか鼻息が荒くなっている。

「で、でも。水着って高いから……」

「ノープロブレム。んな心配要らない! 雪乃ちゃんのためならちっとやそっと高いもんでもこのさつきおねーさんが出したげるからっ!」

「え、え……。でも、そんな……。あぅ……」

 とても遠慮深い雪乃はおろおろして困り顔で誠太郎の方を向く。だけど誠太郎は云った。

「行ってこい。金なら僕が出してやるから」

「よっしゃ決まり。んじゃっ! 明日の夜、雪乃ちゃん連れてくわよ〜。うふふ、うふうふうふ。明日は絶対定時にしないと……」

 早速システム手帳を取り出して赤い文字で『絶対定時!』とか予定の訂正を書き込んでいる。猛烈にうれしそうなさつきだった。

「う、うん。じゃあ、お兄ちゃん。行ってくるね」

「ああ。思う存分着せ替え人形の気分を味わってこい」

「え?」

 兄の一言に意味が分からずきょとんとする雪乃。今更云うまでもないことだが、さつきは雪乃のような小さくて可愛い娘が大好きなのだった。なのできっとじっくりたっぷり時間をかけて、雪乃に水着を着せまくるのだろう。誠太郎にはそんな風景が容易に想像できたのだった。

 ……翌日。案の定とばかり、そうなる。

「うぅ。私……。胸、ちっちゃいなぁ。ぺったんこ……」

 試着室のカーテンを開けてお披露目。自分とは正反対のスタイル抜群なさつきをみて、雪乃はいじけるのだったが。当のさつきは雪乃の水着姿を全身をなめ回すように眺めみて、思わずじゅるりと舌なめずりして、ごっくんと唾を飲み込むのだった。

「何云ってんの。ちっちゃくて細くて若くてホントに可愛いわよ。肌だってすっごい綺麗だしー、ぷにぷにしててすっごく健康的だしー。……んー。悪くはないけど、ちょっと地味めねぇ。あー……。もっとこう、ビキニで布地が少ないやつも試してみよっか。大胆なやつを」

「え、え、ええええ!?」

 さつきの好奇心は子供のように旺盛だった。数分後、雪乃は過激な水着に着替えさせられていた。ただでさえ恥ずかしがり屋な雪乃はもう赤面しっぱなしだった。

「こ、こんな。ひ、紐がほどけちゃうよぉ。それにちょっと動いたら簡単にずれちゃうよぉ……。これじゃは、裸と一緒だよぉ……。は、恥かしいよぉ〜……」

 両手で胸と股間を隠したくなるけど、それをしたらさつきにやんわりと『はいはい、手は背中ね背中』と、云われてしまった。にっこりとしているけれど逆らえなさそうな雰囲気のさつきに、従順な雪乃は逆らえずもじもじしながら視線に耐える。

「ああ、可愛い……。雪乃ちゃん可愛すぎ……。そうね。なら今度はローレグとかTバックとか過激なのもいいわね。れっつチャレンジ!」

「えええっ!? お、お、お姉ちゃん〜……。もう許して〜……。は、恥ずかしいよぉ〜……!」

 もちろんさつきお姉さんは許してなんてくれないのだった。雪乃の声にならない叫びが心の中で響くのだった。










季節は既に夏真っ盛り。










 船で数時間をかけてやっと着いた。そうして宿でくつろぐ間もなく彼女は水着に着替えた。というよりも服の下に着ていたのですぐだった。どこの学生だか、と誠太郎は思った。

「っしゃあ! 泳ぐぞーーーー! せいたろーーーーー! 雪ちゃーーーーーん!」

「はいはい」

「うんっ」

 仕方ないので誠太郎もさっさと宿に荷物を放り込んで水着に着替えて、浜辺に向かう。一番はしゃいでいるのは他でもない、さつき姉ちゃんだった。

「そーーーーれーーーーー!」

 ばばっと水着の上に着ていたシャツを脱ぎ捨てる。大きな胸にくびれたウエスト……動く度にふるふると膨らみが揺れ、大胆なビキニが映える、スタイル抜群のさつきだったが。誠太郎はやっぱり感心が無さそう。

「姉ちゃん。準備体操を……」

 既に聞いちゃいない。白い砂浜を駆け、ばっしゃーんとエメラルド色に透き通った海に飛び込むのだった。

「あはは。私も〜」

 続けて雪乃が水の中に入っていく。散々さつきに付き合わされた結果、子供のように可愛らしいワンピース水着を正式採用となったようだ。雪乃はさつきとは正反対で膨らみの全然ないバスト。外見もスタイルも子供っぽいからよく似合っているな、と誠太郎は思ったけど口にはしなかった。云うと何故か不満そうだから。その理由は誠太郎には相変わらずわからなかった。

「ふう」

 はしゃぐ二人をさておいて、他にだれもいないビーチにパラソルを立てて、簡易ソファーに座る誠太郎。いくら穴場とはいえ、こんなどマイナーなところをよく見つけたものだとさつきの調査能力に感心する。その上わざわざやって来るかな、何て思っていると。

「ほらほらせいたろ! せっかくの海なんだから楽しまなきゃ……」

「何が折角なのかな」

 そして、アクティブなお姉さんにぐいぐいと引っ張られて……。

「そりゃ!」

 ばっしゃんと、水の中に突き落とされるのだった。それも服を着たまま。

「……。体罰? どこぞのヨットスクール?」

「そうそう。って、んなわけないだろがーーー! てぇーーーーい! 楽しめこんにゃろこんにゃろていていてい!」

「痛い……」

「お兄ちゃん。ゴムボート乗ろうよ」

「ああ」

 二人とも楽しそうだから、まぁいいか、なんて彼は思った。










…………










 騒がしかった昼間とは打って変わって静かな夜だった。

「ね。お兄ちゃん」

「何?」

 さつきは既に寝ている。というよりも、飲み過ぎて潰れたと云うべきか誠太郎に潰されたと云うべきか。夕食の後、相変わらずザルな誠太郎に対しさつきは無謀にも飲み比べ勝負をふっかけて、見事に撃沈して身の程知らずぶりをさらけ出していた。これは絶対二日酔いになるなと誠太郎は思うのだったが、とにかく泥酔して寝伏せっていたのだ。

 そんなわけで浴衣姿の雪乃と二人、何を話すわけでもなく静かな時が流れる。さつきのでかいいびきが無駄にうるさいので、ちょっと夜の風にでも当たらないか、と誠太郎は云った。

 ゆっくりと歩みを進める。二人揃って入江の方へと出て波音を聞く。静かな雰囲気に雪乃は独白を始めた。ずっと云えなかったこと。今ならゆっくりとお話ができると思ったから。

「私。戻ってこない方が、よかったのかな?」

「……」

 夜風に吹かれて、雪乃の髪が揺れた。ずっと話したかったのに、話せなかったことばかり。一つ一つ思い出すように、ぽつりぽつりと話始める。

「私。……これでもお兄ちゃんの妹、なんだよね?」

「……」

「まるでコピー……みたいだけどね」

 彼女は彼の妹だった。それは嘘偽りなどまるでない事実。その根拠は、オリジナルの記憶を大部分持っているから。言わば、死ぬまでの記憶を無理やりバックアップして復元したのだから。まるでコンピュータみたいだ、と誠太郎は思った。事実はそうであっても、一緒に過ごしてみるとそんなことは関係がなかった。

「……。元の……オリジナルの私はずっと、病気が治って元気になったら……今日みたいに、お兄ちゃんやさつきお姉ちゃんと一緒に……みんなと思いっきり遊んだりしたいなって、思ってたの」

「……」

「今日やっと、それがかなったなって、思ったの」

 淡々と笑顔で云う。

「すごく、楽しかった。さつきお姉ちゃんも、お兄ちゃんも優しくて」

 でもね、と雪乃は云った。

「お兄ちゃんは……」

 何かを云おうとして、途切れてしまう。彼女が気になっていたのは、誠太郎の様子。表面上は何も変わらなくても、心の奥底まではそうじゃなかった。雪乃はそれを聞きたかったのだ。

「ごめん」

 誠太郎の方もずっと気になっていたのか、謝る。そして本音で話を始めた。嘘いつわりのない言葉。今だから云えることばかり。

「最初。僕には……。思えなかったんだ。妹が戻ってきた……って」

 どんなに似ていてもそっくりでも、今自分の目の前にいる少女……雪乃が妹だということに疑問をもっていた。それは雪乃にとっては決定的な一言だった。けれど同時に誠太郎は、ずっと持ち続けていた疑問が間違いでもあったことにようやく気付いたのだった。

「みんな……。父さんも母さんも、雪乃も僕の前からいなくなって。僕はこれから一人で生きていくんだって、ずっとそう思ってたきたから。だから……」

 やっとそういう境遇を受け入れられたと思った。そんな時に、かつて必死に探しても見つからなくて、ようやく諦めたものを偶然見つけてしまった。忘れられたころに捜し物が見つかったような……。呆然とした気持ち。

「実際は一人じゃなかった。僕のことを大切に思ってくれる人……さつき姉ちゃんがいるし、僕は一人じゃなかった。それに、雪乃もいる。いてくれる。僕のことを大切に思ってくれる人達がいる」

 それなのに、心から笑うことができなくなっていた。雪乃の前でもさつきの前でも。そんな自分がとても嫌だった。

「元気なくてごめんよ」

「お兄ちゃん……。あ……」

 誠太郎は雪乃を後ろから抱きしめて、云った。堪えていた気持ちを吐き出すように、小さな妹に全てを告白した。

「怖かったんだ。雪乃が戻ってきてくれて、それで……一緒に生活していくうちに。……いや、戻ってきてくれたときからそうだった。怖くて仕方がなかったんだ」

 心なしか誠太郎は震えているような、そんな風に雪乃は感じた。

「今の雪乃は、僕が昔に『こうなって欲しい』って思っていた雪乃にそっくりなんだ。病気が治って、元気で……」

 再会してから始めてみせる弱さ。兄妹で考えているのは同じ事だった。

「夢を見ているんじゃないかって、そんな風に感じたんだ。どんなに楽しくてもいつかまた目が覚めて、あの時の……一人になった時のように寂しくなるんじゃないかって。雪乃もいつかまた、いなくなっちゃうんじゃないかって思ってしまった」

「……」

 そういうことだったんだ、と雪乃は思った。だから誠太郎は、どこか普通に接することができなくなっていた。空虚な雰囲気を感じてしまった。

「ごめん。……悲しませて、不安にさせて。僕はお兄ちゃん失格だな」

「ううん。そんなこと、ないよ」

 雪乃は嬉しそうに頭を振る。丁度穏やかな風も吹いてきて、短めのポニーテールの髪がふさふさと揺れる。そして、震える兄の手に自分の手を被せて、雪乃は軽く目を閉じて話し出す。

「お兄ちゃんは、やっぱり私のお兄ちゃんだよ。全然変わってない」

 あの頃と立場が代わったみたいだった。雪乃は思い出す。病気で寝てる時、誠太郎はいつも手を重ねてくれた。その大きな温もりに気づき、安心したことを思い出した。いつも本を読んでくれて、時に優しく頭を撫でてくれて、誰よりも暖かく見守ってくれたこと。

「私。死んじゃう時のこと、よく覚えてる」

 これも臨死体験とでも云うべきなのだろうか。

「苦しくなって呼吸ができなくなって、口も聞けなくなって、耳も何も聞こえなくなって。段々と目が見えなくなって……意識が薄れていって、寒くて」

 雪乃と共に、誠太郎も思い出していた。あの時のことを。

「怖くなって、寂しいよ……って、そう思って。必死にお兄ちゃんって、呼ぼうとしたの。けど、その時はもう……何もできなくなっちゃってて」

 そうだ。あの時病院で、死に行く雪乃を見て呆然としていたんだ。誠太郎は頷く。誠太郎も雪乃もあの時の時間に舞い戻っていた。

「でも。お兄ちゃんは私の手をずっと握ってくれてたのを覚えてる。私、最後の最後に見たのは、お兄ちゃんの顔だったよ」

 その時、誠太郎は自分はどんな顔をしていただろうかと思った。答えを探す間もなく、雪乃は云った。

「お兄ちゃんの顔。はっきり覚えてる。すごく寂しそうで、悲しそうで。私……思った。あ……私の……私のせいでお兄ちゃんを悲しませたって、そう思った。だから……ずっと、ごめんなさいって云いたかった」

 ふいに雪乃の頬をこぼれ落ちる涙。

「思ったの。大切な人を……優しい人をいっぱい悲しませて、私はとっても悪い子だって。でも逆に……これでお兄ちゃんはもう、私なんかのことを心配しなくていいんだ、とも思ったの。……ずっと。いっぱい優しくしてくれて……ありがとうって。私は幸せだったよ、って云いたかった」

 大切な人を散々束縛してきた揚げ句に傷つけた。だけど、自分が死ぬことによって解放できた。だから、もういいと思った。そのことを伝えたかったけれど、無理だと思っていた。だから、今ここにいられて幸せだと思った。やっと伝えることができたから。

「……馬鹿」

 誠太郎は雪乃を抱き締めた。

「謝りたかったのは僕の方だ」

 誠太郎は雪乃の背中でほんの少しだけ泣いた。だけど、不思議と女々しいとは思わなかった。久しぶりの涙だった。

「ごめんよ雪乃。妹……。お前は僕の妹だよ。絶対に、間違ってなんていない」

「うん」

 色々あったけれど、誠太郎は全てを受け入れていた。だから今が本当の再会の時、云えなかった言葉を今云うのだった。

「雪乃、おかえり」

 と。

「お兄……ちゃん」

 その一言で、幾多の時を取り戻したような、そんな気がした。雪乃は誠太郎の胸に抱きついて、そして……。

「う……う……。ただ……いま……」

 嗚咽と共に、こぼれ落ちる涙。

「ごめん。悲しい思いをさせて。しけた顔ばかり見せて」

「ううん。違う……よ。悲しいんじゃなくて、嬉しくて。それにお兄ちゃんは……私を傷つけたりなんて、してないよ」

 涙をふいて、最高の笑顔を見せなければ。雪乃はそう思って、無理矢理笑ってみせた。それを見て誠太郎は心の底から救われた気がした。

「もうすこしこのままで……いてくれ」

「うん……」










しばらく時が止まった気がした。










「お兄ちゃん、あのね」

「ん」

 どちらからともなく手を繋いで、砂浜を歩む。いつしか風は止み、宿の方へと足は向いていた。部屋ではさつきがいびきをかきながら寝てることだろう。

「その。宿に帰ったら……一緒に寝ても、いい?」

 昔みたいにと、心の中で付け加えた。眠れない晩、寂しくて泣きそうな時、雷鳴が轟き風が吹きすさぶ嵐のような怖い時。いつも兄の温もりを思い浮かべた。してみたいこと、行ってみたいところ、嬉しかったこと、楽しかったこと。全て誠太郎は聞いてくれた。今日はそんな、甘えたい気持ちになってしまった。

「雪乃。そういうのはね。好きな男の子とするものだよ」

 誠太郎がちょっと苦笑しながら至極真っ当な意見を云うと、雪乃は。

「だって、私……。男の子の友達なんて、一人もいないもん。それに、男の人は……お父さんと、お兄ちゃんしか知らないから。だから……お兄ちゃんにお願いするしか……ないんだもん」

 父がいない今、雪乃が知っている男性は誠太郎一人。事情も事情だから仕方がないのだけど、仮に雪乃に男の友達がいたとしても、そんなことをお願いしたりは絶対にしないだろう。雪乃にとって誠太郎は特別なのだった。

「雪乃はもう、中学生なんだろ? なら、もう兄ちゃんと一緒に寝たりするもんじゃないだろ」

 説得するかのように真っ当なことを云ってみるが、記憶のない、空白の期間があることを思い出してしまう。実は雪乃は、精神年齢は実年齢よりも相当低いのではなかろうか。確かに見た目と違い言葉遣いは礼儀正しいし、家事も問題なくこなすし、一言で云うと真面目で落ち着いたしっかり者なのに、実は中身は猛烈な甘えん坊さんなのかもしれない。誠太郎はそんなふうに自分の頭で分析結果をまとめる。

「……」

 誠太郎の否定的な言葉を聞いてすごく残念そうな雪乃。やはり、まだまだ甘えたい盛りなのだろう。大人しくて、しっかりしているようでいて内実はとても幼いのかもしれない。誠太郎はちょっとばかり不安になった。

「男の人は怖いんだよ。だからちゃんと選ばないと、酷い目に遭う。赤ずきんちゃんの童話みたいにさ」

 酷い目がどんなことか、具体的には触れなかったけれど、雪乃には何となく想像が付いた。それでも、添い寝を断る理由としてはちょっと弱かった。

「お兄ちゃんは、そんなことしないもん」

 少し拗ねたように云う。信頼しきっている証拠。繋いだ手を少し強く握る。

「どうしてそう思うんだ?」

「優しいもん」

「さて、それはどうかな」

「優しい……もん」

 曖昧な返事で誤魔化すと、雪乃は誠太郎の腕にしがみついてきた。いたいけな小動物のような、すがるような目で見つめられて、誠太郎はさすがに折れてしまった。

「今晩だけだぞ。毎晩だとねーちゃんに嫉妬されちまう。重度のシスコンとか変態だって云われちまう」

 仮にそんなことをさつきに云われたところで、ロリコン(であり、尚かつショタコンでもあるらしい)のあんたに云われたくないと反撃すればいいだけなのだけども。仕方ないな、と思ってさりげなくそう云うと。雪乃は嬉しそうに笑顔になった。

「うんっ! ……ありがと」





…………





 いびきをかくさつきが悪夢でも見ているのかうう〜ん、と時折呻いている。その横に敷いてある布団に誠太郎は横たわる。更に横に、ちょこんと寄り添うようにして雪乃は寝そべった。

 誠太郎の大きくて温かい体に、雪乃は完全に安心しきっていた。

「お兄ちゃんは、さつきお姉ちゃんのどんなところが好きなの?」

「だらしないところ」

「え?」

 雪乃は絶句した。まさかそう云う答えが返ってくるとは思わなかったので、何と応えればいいかわからなくなってしまった。

「他には、そうだね。ダメ人間なところとか。おっさんくさいところとか。大して強いわけでもないのにいつも酒飲んで潰れて二日酔いになってかなり無様なところとか。他人の前では猫かぶってるところとか。話してるとボロが出るというか、かなりお馬鹿な事が判明するところとか。いつも何かと適当なところとか。部屋は散らかし放題なところとか。時折女捨ててるなと思う。というか、色々救いがないと思うな、この人は」

 全然褒める要素がない。情け容赦もない。

「あぅ……。そ、そう……なのかもしれないけれど。でも、その、お姉ちゃん……優しい、よ?」

「そりゃ、雪乃のことが本気で大好きだからな。ああ、あんまりべたべたするとそのうち付け上がるぞ。とっつかまえられて首輪でも付けられて子犬状態にされたり調教されるから気をつけろよ」

「く、首輪。それにち、ちょうきょう……って。こ、子犬……」

 ちょっとハードなジョークにくらくらするのだった。

「いやマジで」

 どうやらそれはジョークではなかった模様。でも、そんな風に散々貶した後に。

「でも。人のことをすごくよく見てる。僕のこととか、雪乃のこととか。時折、心の中を覗かれたような気になることがあるよ」

「そう、だね」

 雪乃も同じような気持ちになったことがあるからうんうんと頷く。

「仕事は真面目だしできるし、根性もあるし信頼されてるし人望もあるし話が通じるし。……普通にしていりゃすごい魅力的な美人なのにな。ぶ厚い猫の皮を何枚も被っているのが残念なところだな」

 何だかもう、褒めているんだか貶しているんだかわからなくなってきた。

「ちなみに、僕と姉ちゃんはまだえっちなことしてないから」

「っ! そ、そんなこと聞いてないよ〜!」

 突然のえっちネタに、雪乃は顔を真っ赤にして恥じらうのだった。

「いずれ……僕も働いて、キチンと稼げるようになったら。その時に、ね。色々と環境も変わるだろうし。古い考えかもしれないけどさ」

「……」

 意外とストイックな関係のようだった。彼が云わんとしているのは、結婚までは操を守ると、そういうことだった。

「私。お兄ちゃんとさつきお姉ちゃん、大好き……」

「……」

「ずっと、一緒にいたいな」

「じゃ。僕が姉ちゃんに振られたら、雪乃の婿にしてくれ」

 下手な冗談だ。雪乃はくすっと笑う。

「お兄ちゃんは振られないよお。絶対に」

「どうしてそう思うの?」

「う〜ん。何となく。女の子の……カン?」

 そのカンは、きっと当たることだろう。

「ふーん」

 いっぱい色んな事を話して。楽しくて。もっともっと色んなことを聞いてもらいたいと雪乃は思った。……でも、段々と睡魔がこみ上げてきて、流石にかなわない。けれど、死に行くあの時と違って寂しさは微塵も感じられなかった。

「ふぁ……」

 思わずあくびが出てしまう。可愛いな、と誠太郎は素直に思った。

「眠りな」

「ん……」

「大丈夫。僕は、雪乃と禁断の仲になる気はまるでないから」

「……」

 もし万が一まかり間違ってそういうことになったとしても、雪乃は全てを受け入れるだろう。もはや兄という枠を超えた存在になっていた。

「お兄ちゃん」

「ん」

 もぞもぞとしながら、寝言のように云った。

「……好き」

 上目使いの雪乃は誠太郎には、キスをねだる恋人のように見えた。愛らしくて可憐で、可愛い妹だと思う。同時に、できすぎだとも。

「雪乃。あのね、よく聞いて。……普通の、世間一般の妹ってのはね。兄貴の立場からすると大体が死ぬほど無礼で凶暴でこん畜生ってくらい生意気で、日々兄を兄とも思わず憎まれ口を叩きまくり、時に殺意すら芽生えるような関係になるものなんだよ。常に血縁関係であることを呪いたくなるような、そういうものなんだよ。実際、この前一緒に飲んだゼミの連中にも、そう云う妹をもってる奴らが何人かいるのさ。連中は妹は二次元に限るとか、三次元の妹はいらないとかそーいうことを常々云っているよ」

「……」

「だからね。好きになるのだったら、ちゃんと彼氏を作るんだよ。いつか、ね。そして僕の事なんか『近寄んなこの馬鹿兄貴!』とか怒鳴り散らせるくらいの扱いでいいんだよ。怒ったりなんか絶対しないから」

「やだ……もん」

 もっともな事を云って諭す。が……当の雪乃はわずかに残った意識で反抗して『彼氏なんていらないもん』と、意地を張ってはいたのだけど丁度眠りに落ちていく瞬間だったようだ。意識はもうなくて、穏やかな寝息をたてていた。










真夜中のこと。


雪乃はふと目を覚ました。


隣には眠り続ける誠太郎の姿。


寝ぼけて夢でも見ているのかと思う。


またすぐに、眠りに落ちそうな意識の中で、雪乃は……。


(お兄ちゃん。お姉ちゃん……)


誠太郎の唇に、自分の唇を僅かに重ね合わせた。


誰にも云えない……云うことのできない秘密。


「ごめん……なさい」


いけないことをしたと思う。すごく悪い子だと思う。罪悪感が込み上げてくる。


けれど、どうしようもなかった。


それが雪乃のファーストキスだった。










 朝、誠太郎が起きてみたら。

「おはようせいたろ。仲良しねぇ」

 さつきお姉さんが起きて、自分の顔をのぞき込んでいた。

「……お、はよう」

 誠太郎は金縛りにあったかのように身動きとれなくなっていた。それもそのはず、いつの間にやら自分の腕を枕代わりにして、雪乃が眠っているのだった。穏やかに、すーすー寝息をたてながら。

「動けないのね」

「動けないんだ」

 それもそのはず。

「ほんと可愛いわねぇ。まさに天使の寝顔ね」

 くすくす笑いながら、さつきは云った。それについては誠太郎も同感。

「うん」

 だからこそ、腕を動かして起こしたら可哀想と思ってしまって、動けないのだった。

「この子ねぇ。あんたのこと、兄妹以上の存在として見てるわよぉ」

 さつきは自分の言葉にうんうんと頷きながら云う。全てを見透かしたかのように。

「僕にはれっきとした彼女がいますから」

 その彼女さんは更に云う。誠太郎のまっとうな正論など無視して。

「禁断の仲……とはちょっと違うわね。それはそれで背徳的でドラマみたいで面白いけど」

「どんな風に?」

「そうね。具体的に云えば……。雪乃ちゃんにとってあんたは『親愛なるお兄様』てな感じ? 一歩間違えれば禁断の仲。主従関係にも恋人関係にもなりそうな。何と云うか、どんな事でも云うこと聞いてくれちゃいそうな気がするわ。そんなすれすれ感があるわね、あんたと雪乃ちゃんの関係は」

「……」

 さつきに対して誠太郎も思う。冷静に分析しないでくれ、と。そして妹よ、どうしてそんなに従順なのかね、と疑問にも思う。僕のどこにそんな好きになる要素があるのかね、とも。頼むから禁断の恋はやめてくれ。そんな破滅的な恋愛は御免だ。

「う、うう……ん」

「あ」

 雪乃がもじもじと体を動かした。その拍子に浴衣がはだけて、中が見える……。

「きゃあ〜〜〜ん! 可愛い〜〜〜っ!」

「見事にぺったんこだな。これじゃブラなんていらないな」

 実際ノーブラだったようで、雪乃の胸が露わになった。膨らみのほとんどまったくない胸に小さな突起が二つ、申し訳程度についていた。

「ああもう食べちゃいたい! 可愛すぎ!」

 そう云ってさつきは雪乃の浴衣の中に手をのばし、乳首をつんつんつついてから指先で転がしてみた。柔らかい桜色のそこはふにふにと形を変える。誠太郎がいなければそのまましゃぶりついていそうな勢いだった。

「可愛いおっぱいねぇ! それにそれにもうなんて云うか瑞々しくて餅肌って感じで見た目も触った感じも最高っ! きれいきれいきれいいいいっ! 羨ましいいいいいっ! どんなにエステ行ってお金かけてもこのすべすべお肌は手に入れられないわ!」

「う、うぅん……」

 きっと夢の中でもさつきにいじられていたずらされているのだろう。雪乃は無意識のうちに体をよじり、くすぐったそうな声を上げる。子供っぽい外見なのに、妙に艶めかしく感じられる。

「だめだってのに」

 誠太郎は自分の存在が無視されていることに気付いているのだったが、弱々しく遺憾の意を表明せざるを得ないのだ。

「で。下の方はどうかな? どうかな? どうなのかな〜っ?」

 そのままわくわくしながら、雪乃の浴衣をごそごそとめくり上げるさつきお姉さん。テンションは既に最高潮。会議中の室内に入るかのように、失礼致しますとか挨拶してから可愛らしくもお子様っぽいコットンパンツを膝あたりまで降ろしてみる。……どうやらその中身は期待通りだったようで。

「あ〜〜〜ん! 可愛い〜〜〜! きれいな割れ目〜〜〜!」

 その可愛くてきれいな割れ目を指でつんつんつついたりなぞったりして、とにかくはしゃぎまくるさつきお姉さん。

「姉ちゃん。僕の妹をおもちゃにしないでください」

「だって〜〜〜! 可愛すぎるんだもん〜〜〜! つるつる〜〜〜! ぷにぷに〜〜〜! あ〜〜〜んも〜〜〜! 雪乃ちゃんかわいいいい〜〜〜! ねえねえねえっ! 指入れちゃっていい?」

 とんでもないことを云いだすさつきに対し、誠太郎はとっても理性的だった。

「だめ」

「けち! いけず〜! ちょっとだけ〜!」

「けちでもいけずでもちょっとでもだめなものはだめ。兄として可愛い妹の貞操は守ります」

 とか何とか、初な雪乃にとって貞操の危機とも云えるような話をしていると、雪乃も目を覚まして。

「う、ううん。……あ、れ」

 さつきはにこにこしながら朝のごあいさつ。

「おはよ雪ちゃん」

「……おはよう」

「……わっ。ご、ごめんなさい」

「謝ることなんてないのにー。天使の寝顔。とっても可愛かったわよ」

「え? あ、あぅ……」

 寝ている間に何があったのかさっぱり分かってない雪乃。

 兄の腕を枕代わりにしてることに気づき、慌てて起きるのだった。浴衣や下着がはだけていたことに対しては、恥ずかしがらなかった。と云うよりも気づかなかった。ああ、やっぱり雪乃は子供っぽいな、と誠太郎は思った。

「ね。雪ちゃん」

「は、はい」

 寝顔をずっと見られていたのかな。等と思うととたんに恥ずかしくなる。さつきお姉さんのお願いは。

「せいたろのこと。『お兄様』って呼んでみて」

「え? え?」

 起ぬけのぼーっとした状態の時に、ワケのわからないことを云われて雪乃は戸惑った。

「いいからいいから。ほらほら。『お兄様』って云うの。『お兄様』って。はーやくー」

「え……え……えっと。お、お兄……様?」

 とっても嬉しそうなさつきお姉さん。

「わお。似合いすぎ。やっぱりねぇ」

「え?」

 何がやっぱりなのだろうか。さっぱりわからない雪乃。頭の中をはてなマークが大量に飛び交っているに違いない。

「も〜一回」

「お、お兄様……」

「ん〜。最高。もっかいもっかい!」

「お兄……様」

 雪乃は恥ずかしそうだ。

「……?」

 一体どういうことなんだろう。どうしてお兄様なんだろう。

「せいたろはねー。雪乃ちゃんにお兄ちゃんって呼ばれるよりお兄様って呼ばれたいんだってさ」

「そ、そう、なの?」

 まばたきを繰り返す雪乃だった。あまりにも純粋で、信じてしまう。

「んなこと一言も云ってない」

「とか云いながら、本心では……」

 あくまでもこだわるのだった。

「お、お兄ちゃんが、そう思うなら私……。いい、よ」

「こら雪乃。本気にするな。さつき姉ちゃんも雪乃に変なこと吹き込むんじゃないの」

「いいのいいの。試しにー。今日は一日それでいこー。はい、もう一回」

「お兄様」

 雪乃も案外ノリがいいみたいで。恥ずかしそうにしながら従順なのだった。

「雪乃……」

 乗せられんなよ、と思った。

「お兄様……」

 何だかその呼び方の方がいいような感じがしてくる。恥じらいに頬を赤らめたままの雪乃。このままではそのまま呼び方が定着してしまいそうだった。










色々なことがあった。










変化はそうして、ゆっくりと訪れていった。










 夏の旅行はもう過去のこと。

 季節は既に冬に差し掛かろうとしていた。そんなある日、誠太郎は雪乃に携帯電話を買ってあげたのだった。学校帰りの雪乃と待ち合わせをして、地元の家電量販店に行った。

「男との通話は禁止」

「じゃ、お兄ちゃんとも話せないね」

 と、雪乃が冗談っぽく笑いながら云うと、誠太郎は少し慌てたように一言を付け加えた。以前、彼氏を見つけるんだよとか偉そうに云っておきながら、結構なシスコンぶりをさらけだしているのだった。

「僕だけ例外」

 雪乃は妹として、兄に可愛らしい軽口を叩けるようになっていた。

「あんまり使いすぎるなよ」

 はい、と素直に頷く雪乃。

「携帯にはまりすぎて、学業を疎かにしないように」

「はーい」

 実は誠太郎はとても過保護なのかもしれない。ある時は父親のような、またある時は母親のような諸注意と云う名のお小言を繰り返す。どうしてそんなにくどくど云うのかと聞くと、決まって誠太郎は答えるのだった。

「雪乃は子供なんだから」

「そんなことないもん」

「そんなことある。制服着てなかったら小学生にも見間違えそうだからな」

「意地悪。お兄ちゃんのこと嫌いになっちゃうよ」

 もちろんそんなことはないけれど。雪乃自身自分が子供っぽい事は自覚しているから、溜息が出てしまう。ぷくーっと頬を膨らませて拗ねてみせる。






 子供扱いされると相変わらず嫌がるのだった。これはちょっとした反抗期? ようやく雪乃にも僕が待ち望んでいたような季節がやってきたかな、と誠太郎は思って頷く。けれどそれは誠太郎の勘違い。実際には違っていた。

「さつきお姉ちゃんみたいに格好いい女の人になりたいな」

「……だめ」

 雪乃の願望を聞いて、誠太郎は言葉につまる。

「どうして?」

「あんな、人生とか色々捨ててるみたいなダメ女になっちゃだめ」

 そんなひどいことを云いながらとても仲良しなのに。雪乃はおかしくなってくすくすと笑う。

 さつきお姉ちゃん。兄の大好きな人。今も一緒に暮らしているけれど、もう少し時間がたったら結婚式を挙げる。兄の大好きな人みたいになりたいなと、雪乃は心の底から思うのだった。

「早く帰ろう。姉ちゃんが腹すかして待ってるだろうから」

「うんっ」

 さつきは今日は早上がりとか云っていた。鳥の雛よろしく喧しくご飯を催促する姿を思い浮かべて、兄妹揃って小さく笑い合い、白い息を吐きながら帰路を急ぐ。雪乃がおいしいご飯を作ってあげるとさつきは感激して『お嫁に来て』とか何とか云っているのだ。雪乃はえへへと笑いながらいいよと答える。それが日常になっていた。

 一度は離れ離れになってしまったけれど、再び巡り会えた。それは誰が見ても紛れもない仲良し兄妹。










きっとそれはいつまでも……。










fin



























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