ただいまとおかえり
それは、彼が戻って来てから数日後のこと。 『ほらぁ! 起きなさ〜い』 浩平は思う。きっとこれから決まり切った、いつも通りの一言があるはずだ。長森瑞佳。……彼女がやって来てからまず最初に云う、お決まりとも云える台詞だった。その一言の前に必ずカーテンを思い切り開け、眩い光が突然視界を満たすことを忘れてはいけない。そのはずだった。 今日も同じか? と、近付いてくる足音に、折原浩平はそう思った。そうなれば、ここから先は彼女との我慢比べだ。さて、今日はどんな感じで攻めてくるだろう? 浩平の意識は未だに夢現。もはや本能とばかりに体が思っていた。 「あと、五分」 瑞佳に口うるさい母親のようなきつい口調で云われる前に、浩平は先手を打った。いつものようにあと五分だの三分だの往生際悪く云ってからひたすら粘ってみる。いつ布団を剥ぎ取るか? そう思って布団を握り締め、丸まってみる。……あれ、と浩平は思った。 何だかわからないがリアクションが無い。無いけど眠いから、まあいいか。そう思って本格的に眠る。多分これは夢なのだろうから。瑞佳が粘る浩平の布団を引きはがさないなんて起こり得ないことだから。 どれほどの時間が過ぎたのだろう。 「瑞……佳?」 「おはよ。浩平」 夢から覚めるとベッドの脇に座り込む幼なじみの姿。いつもと違い、制服ではなかった。浩平はどうしてだ、と一瞬思う。すぐに理由を知って後悔した。 「ごめん」 今日は日曜日なのだから、制服を着ていないのは当然のこと。そもそも、遊びに行こうなどと浩平の方から云い出しておいて、結局待ち合わせ時間になっても起きられず爆睡していたのだった。勝手極まりないが、浩平らしいとも云えた。そしてまた一つ、ほっとしたこと。待ち合わせをこの部屋にしておいてよかったとも思った。大丈夫だと自信満々で云う浩平に対し、どうせ起きられないんだからと瑞佳は強固に主張し、後者が正しかったことが証明されたのだった。 それでもついついあくびが出てしまう。全然懲りていないし反省もしていないのがばればれだった。 「いいよ」 瑞佳は全く気にしていないように微笑んだ。それどころか嬉しそうに。そして問う。まだ眠い? と。 「悪い。正直、眠い」 瑞佳はくす、と笑ってから改めて云った。 「寝てていいよ」 その言葉に違和感があった。今日の瑞佳は妙に優しい。普段と異なり物分かりが良すぎる。そう思った。浩平のすることを全部許してくれそうな、そんな感じがした。 「どうして、いいんだ?」 数日前に、遊びに行こうと云った時、瑞佳はとても嬉しそうだった。けれど自分はこのざま。それなのにどうして。 「一緒にいられるだけで、いいんだよ」 それだけでいい。何も望みはしない。瑞佳はそう云っている。浩平はようやく違和感の理由がわかった。今、瑞佳が普段云わない本音を聞いているから。だからおかしく感じたのだ。同時に、申し訳なくなってくる。馬鹿なことをしていた自分が情けなくなる。 「ごめん」 再度謝る浩平に瑞佳は微笑する。じゃあ、と呟いて目を閉じる……。これで、いいよと瑞佳は云った。結構大胆なんだな、と浩平は思うけれど満更でもなかった。 「ん」 唇同士が触れ合い、瑞佳は軽く声を出した。少しの間、呼吸を止める。互いの温もりを感じ合うために。すぐさま離れて、瑞佳は言葉を続ける。 「ん……。ご飯。作ってあげるね」 「ああ」 今日はどこにも行かないことになりそうだと浩平は実感していた。 瑞佳がドアを開けて階下へ降りようとしたところで、浩平は声をかけた。 「瑞佳」 「うん?」 何を云おうとしていたのだろう。何も考えずに声をかけてしまい、浩平は少し困った。苦し紛れの一言。 「えっと……あのな。ただいま。……って、今更だけど。あの時云えなかったからさ」 「……」 浩平が戻って来た時。瑞佳への第一声は告白だった。破天荒な彼らしいなと思いつつ、笑顔で受け入れた。いつだったかの偽りのものとは違う、本当の告白。 だからか。本当の意味での『ただいま』は、これがはじめてだったかもしれない。瑞佳は振り返って『おかえり』と云おうとした。喉が詰まったように、言葉が出なかった。 「こ、うへい……」 猛烈に込み上げてくる想いを感じた。気が付くと大粒の涙がこぼれ落ちていた。 「あ、わ……悪い。ごめん。空気読めてなかった。そんなつもりは……」 困惑する浩平。瑞佳は感極まったようにして、抱き着いていた。浩平には、瑞佳の嗚咽だけが聞こえてくる。泣きじゃくっている瑞佳の体は華奢で、弱々しい。 「浩平……こうへい……」 強く、抱き締める。大切な人が目の前から消えた去った時の思いがよみがえる。その感触が再び失われないようにと、離れて行かないようにと強く抱き締める。 浩平は慌てた。そして、どうすればいいかわからなくて何度も何度も瑞佳と唇を重ね合わせた。気が済むまで……。それでも足りないと浩平は思った。無我夢中で瑞佳の体をまさぐった。 そうして二人はいつしかベッドの上で肌を重ね合わせていた。服のボタンがを外され、覆っているブラをたくしあげる。瑞佳の豊かな胸が露になり、ぷるんと震えた。 浩平はしみじみと感じていた。今更だけど、瑞佳はこんなにも魅力的な女の子だったんだ、と。あまりにも近すぎる関係だから、気づかなかった。幼なじみだからとは云え、自分の鈍感さが情けなくなる。あの時。クラスの人気投票でも上位に入り、男子は元より女子からも人気があるとわかった。それなのに自分は……。 (ちょっかい出してるのは俺だけだったっけな) 「浩……平」 「お前。可愛いよ」 「あ、ん」 服がしわになるのも構わずに、強く抱きしめ合ってキスをした。 「こうへ……」 断続的に続くキス。いつしか自然に二人は交わっていた。至極当たり前のように、必然と思えるかのように。 「あ……」 仰向けに寝そべる浩平の上に、瑞佳は重なり合っていた。ごくわずかな動き。決して早くなったりなどしない。永遠とも思える時間。互いの視線も間近。吐息も感じ合う。二人は一つに繋がり合っていた。 「こ、う、へ、い」 「瑞佳」 瑞佳の中は暖かくて柔らかくて、思い切り強く突き上げればすぐにでも達してしまうことだろう。けれど、今はいい。浩平はそう思った。 秒速、数ミリにも満たない程度の動き。息を止めたくなるような気持ち良さ。 「パタポ屋」 「ん」 「行こうな」 「うん」 あの時の約束。思い出すたびに辛い。今度、必ず一緒に行こう。だけど、今日はいい。瑞佳はそう云った。 「猫」 「う、ん」 「元気か?」 「元気、だよ。みんな」 瑞佳が拾って来た八匹の猫。世話の甲斐あって、みんな健在。今度会いに来てよと、瑞佳は云った。 「小さい頃の……」 「あ、ぅ……」 「お前がいたんだ」 脈絡のない話題。時折キスを交えて途絶える。 「永遠はあるよ。……って云って、優しく俺を連れて行った」 忘れてしまわないように、消えてしまわないように、離してしまわないように。瑞佳は浩平の体を抱き締める。 「でもそれは、お前じゃなかった」 瑞佳はほっとしたように、云った。 「私はここにいるよ。ずっと……」 浩平の側に、と云おうとした言葉はかき消えてしまう。 「瑞佳」 「浩平」 存在を確認するかのように、互いの名を呼び合う。 「お前。可愛いよ」 「……」 かつては口が裂けても云わなかったであろう言葉。浩平は呟くように言葉を漏らしていく。 「本当に、可愛い」 瑞佳の頬にかかった髪を手ですくい、くるくると回して弄ぶ。ウェーブがかかった、栗色の柔らかな髪。 「どうして俺は、気付かなかったんだろう」 長い間。ずっと。 「浩平……。恥ずかしいよ……」 初めて云われるような言葉に、瑞佳は視線を逸らす。けれど浩平は言葉を続ける。 「可愛くて、優しくて、親切で……お人よしで。みんなに慕われていて。人気者で」 浩平は瑞佳のおでこを撫で、長い髪を手でとかす。 「俺は大馬鹿だな。……こんなに、可愛い女の子がずっと……側にいてくれたのに」 幼なじみとしてしか見てこなかった。そして、何度も傷つけた。許されないようなこともして……。 「浩平……」 瑞佳は目を閉じて、云った。 「好きだよ」 キスを重ねる。 「好き」 もっと温もりを感じ合いたい。そう思って行くうちに、肌を覆う邪魔な服は全部なくなっていた。 「好き」 「俺も」 「私の方が……好き、だもん」 「馬鹿。俺の方が好き、だぞ」 くすくす笑いながら好きと云い合う。 「相変わらず、だよもん星人だな」 「ん。そうかも。……でも、浩平だって」 「バカバカ星人?」 「うん。そう」 なんだかおかしくて、くすくすと笑い続ける。けれど……。 「嫌だよ。もう、いなくなっちゃ。やだよ」 「瑞佳……」 「もう無理……だよ。もう……一人は嫌だよ。耐えられない……よ」 堰を切ったように涙がこぼれて行く。癇癪でも起こしたかのように。 「ごめん。ごめん……」 瑞佳を静めるように、浩平はゆっくりと動き始める。永遠なんてなかった。限られた時間でもいいと、浩平は悟っていた。 今はただ、優しく抱きしめてと、瑞佳は云った。浩平はただ、それに答え続ける。何度も何度もキスをして……汗ばむくらいに抱きしめ合った。 …………
「おはよ。浩平」 「ん……」 気がつけば辺りは夕暮れ時。 「夕焼け。綺麗だね」 「あー……」 瑞佳は側にいた。浩平と共に裸。 「もー。浩平ったら、途中で寝ちゃうんだもん」 「繋がったままか?」 「そ、そうだよ」 「いくら俺でもそりゃないだろう」 「あるんだもん……」 本当の事だけど、さすがに恥ずかしい。瑞佳は頬を赤らめる。一つになれるだけでいいということで、暖かくて気持ちいい温もりについつい睡魔がこみ上げてきてしまったようだ。いくら何でも最中で寝てしまうことはないだろう。瑞佳もきっと呆れたに違いない。 「でも。浩平らしいよ」 瑞佳はその時の事を思い出す度に、くすくすと笑う。その時の自分はよほど間抜けなツラをしていたのだろうと浩平は思った。 「そうだな」 もうすぐ夜が訪れる。結局今日は何もしなかった。 「浩平」 「ん」 「おかえり」 「……ああ」 その応えに瑞佳は笑顔でキスをしてきた。そして、晩ご飯作って上げるねと云ってベッドを抜け出して行った。 「浩平」 「ん」 「さよならは、嫌だよ」 「うん。俺もだ」 「よろしい」 涙を誤魔化すような笑顔で、瑞佳は部屋を出て行った。 吸い込まれそうなくらい広い、夕焼け色の空を見上げてみる。 あの向こう側に行くよりも、ここにいる事の大切さを知った。 浩平は少し目を閉じて思い出し、すぐに身体を伸ばしてからベッドを抜け出て、服を着始めた。 今日はまだ、瑞佳と一緒にいられるから。その時を大切にしたい。そう思ってから、カーテンを閉じた。 ----------後書き----------
はてさていつ以来でしょう。 ONE発売より10年。10年一昔。たかが10年されど10年。当時の小学生が今では就職活動やっているような、あっという間の時の流れ。でもやっぱり瑞佳は私の中で永遠のNO.1ヒロインなのであります。……ああまぁ、個人的に私の中で名雪は瑞佳と同率一位てなことでw 良くも悪くも人生狂わされたゲームなので、原点に戻るという意味でだよもん星人なお話でした。ONEがなければサイト作る事もなかっただろうし、SSなんぞ書くこともなかっただろうし。 さて、次の十年は果たしてどうなりますやら。
よろしければご意見ご感想をくださいな。
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