貴方の心の奥底に潜むシステムエラー
取り除いてさしあげます! -Rough Edge- 時は、西暦2024年……。 かつて、IT(いっと)業界とか何とか、何だかあんまりよくわかってないであろう森とかいう元日本国総理大臣に横文字で云われて、一見持てはやされたかに見えただけで、実態というべきか中身はデスマーチだらけという、直訳すると死の行軍が横行してるような過酷かつ不効率かつピンハネ上等な労働が常であり、散々遊ばれた揚げ句に惨めな捨てられ方をされた業界があった。それは、いわゆる情報系と呼ばれるタコ部屋的業界である。だが、相次ぐ過労死者の続発、悪質すぎるサービス残業の実態、そして……数年前に起こった世界大恐慌により株価は徹底的に暴落し、ありとあらゆる意味での壊滅的な打撃を受け、民間のIT業界は跡形もなくぺんぺん草一つ残らないくらいぶっ潰され、結局のところ殆どが国営化され、再建への遠い道のりをたどったかに見えた。
だが、何年たとうと天地がひっくりかえろうと、実態の変わらない職場もあるのだった。
そしてまた、腐敗はじわじわと広がり……。 それはあたかも戦争状況のように人が死にすぎて、さすがにこりゃやばいと事態を重く見た政府は、標準的労働時間が『絶対八時間順守残業禁止法』という強固な超規制法『労働基準治安維持法案』を可決したのであった。 しかし、それでも残業をやめない(やめさせてもらえない)奴はいるのであったが。……これはそんな悪に立ち向かうエージェントの壮絶な戦いの記録である。 「諸君。今日はとっても夜空が奇麗な残業日和だ! だが、夜空を眺めるだけではもったいないというもの! 折角この地球という美しい水の惑星に生まれたのであるから、美しい朝日を拝もうじゃないかね! そのために、残業! 残業! 朝まで残業するのだ! 残業! 残業! 残業! 残業は素晴らしい! 勤労は素晴らしい! 汗かいて根性出して今日も明日も明後日も楽しく笑顔で残業をしようじゃないかね! そして過労死という滅びの美学を完達するのだ!」 というように、とってもうれしそうに気が狂ったようなことを演説する男。残山多嬉朗(のこりやま たきろう)課長五十三歳。二十四時間フル稼働のコンビニエンスな管理職である。 (うるせぇこの野郎。いつかぜってーぶっ殺す!) (ここは地下だ。死ねボケ!) (あぁ、殺してぇ。今すぐにでも!) 彼が率いる部署は、平均労働時間が二十三時間というワーストの中のワーストな部署である。いわゆる、採算の取れない仕事をアホな営業が見境なく引き受けた挙げ句、にっちもさっちもいかなくなって結局のところ全部押し付けられるという、ハキダメのようなところであった。しかしながら、オフィスが地上二階地下三十六階というレジスタンスが潜んでいるかのように非常に分かりづらい隠れ家になっているので、政府の監査がなかなか入れなかったのであった。 (ああ、帰りてぇなぁ) (っていうかよく生きてるよな。俺ら) みんなの気持ちは一つであった。だが、皆、賃金という名の人質を取られているから逆らえない。そしてなにより、課長は非常に強かったのである。肉体的にも、精神的にも。辞めるなどと云ったら自らは愚か、家族にすら危機が及ぶのであった。 (くそっ。なーにが強化サラリーマンだ!) 薬物の投与による強化、そして精神コントロール。彼は、苛酷な残業に耐えるため科学的に強化を受けた『強化サラリーマン』なのであった! (鉄パイプでどつかれてもしなねぇからな。このハゲじじぃ) かつて、あまりにも苛酷な残業により精神的にキれてしまった男が、鉄パイプで思いっきり彼の頭を殴りつけたのだが……。 (鉄パイプのほうがひん曲がりやがったからな)
もう、どうすることもできないのか。
皆が絶望という名の底無し沼に足をつかまれていた時だった。 「あー。みんな聞いてくれたまえ。先日過労死した田中君の後任を紹介しよう」 とっても明るくスマイリーにやばいことを話す課長だった。 「はじめまして。新プロジェクトリーダーの剣鋭子(つるぎ えいこ)です」 ちょっと鋭い顔立ちの美人が、颯爽とやってきたのであった。 (び、美人だ……) (キャリアウーマンだ……) (なんか、胸の谷間が色っぽくてえろぃぜ) みんなのストレスが、ちょっとだけ解消された瞬間であった。 そして。
「あら」 時計の針が六時を指す。定時である。 「ちょっと。そこの貴方、何をしているのかしら?」 いつものようにいつものごとく残業をしている男性社員、菊地原泰造(きくちはら たいぞう)君二十八歳。働き盛りの若手である。 「は。残業ですが?」 しかし、『残業』という忌まわしきワードを聞いたその瞬間。しゃきぃぃぃんっ! っと、イキナリ彼女の奇麗な髪が逆立ち、とっても鋭い剣と化した……! 「残業どぇすってぇぇぇぇぇっ!?」 ずんっ! と、金属性のデスクを貫通した! いきなりのことにおもわずチビりかけた菊地原君だったが。 「ひいいいっ!」 「いいことこんにゃろぉぉぉぉぉッ! てめー貴様その耳血ィ出るくらい綿棒でかっぽじってよォききなさいッ! 残業というのは余剰な時間を使わなくては予定された仕事が終わらないという無能で不効率で不能率な人類の恥ずべき愚行を犯していることになるのよっっっっ! 定時に全身全霊傾けて命懸けて死ぬ気で特攻する気で仕事なさいぃぃぃぃぃっ!!!!! この能無しぐぁぁぁあああああっ!」 と、新任の美人プロジェクトリーダーは、こめかみをひくつかせ瞳を赤く燃やしながら吼えるのだった。 「で、で、ですがっ! おおお、お、お、お、おわんないんですっ!!! 納期やばいんですっ!! バグが取れないんですっ!」 「おだまり!」 そして、彼女は剣を振り上げる。 「終わろうが終わるまいが残業する奴は私がこの手で葬ってくれるわよてめぇーーーーこんのやろおぉぉぉぉぉっ! 残業はおろか残業することを格好いいなんぞと思ってたり自慢してる最低最悪の糞ったれで馬鹿野郎でナルシスト野郎なこんこんチキショーなど私は絶対許さないッ!!! 地の底だろうとマグマの中だろうと太陽の表面だろうとブラックホールの中だろうと追いかけて私がこの手で抹殺まっさつまっさっつしてやるわあああああああッッッッッ!!! 鋭利な刃物でざしゅざしゅざっしゅざしゅ動脈静脈毛細血管ぶちぶちぶっちぶちにぶったぎってちしぶきぶしゅーーーーーーってしやがってやるわよぉぉぉぉぉっっっっ!!! 貴様らど畜生共も今ここで早急かつ可及的速やかに選びなさいィィィッッッッ! 定時退社で生きながらえるか残業してこの鋭利なブレードの赤サビになって血反吐どう゛ぁーーーって吐くかをヲヲヲオッッッッッ!!! さァ選べ今すぐ選べどっちにするかはっきりしやがれこんがきゃああああッ!」 ざしゅざしゅざしゅざしゅ、ぎしぎしききぃぃ! と、堅いデスクが火花を散らせながらあっと言う間に鉄屑と化していく。とっても怖い。 「わ、わあああああっ! か、帰りますっ! 残業やめますっ! いますぐ帰りますからだからこ、殺さないでくださああああああいっ!!!」 結局のところ、あまりの迫力に負け、駆けずり回って荷物そっち抜けで作業場を駆け出ていく菊地原君だった。 「ふふふ。わかってくれたのにごめんなさい。私ったらちょっぴり興奮しちゃったみたい。えへ♪」 般若の形相もどこへやら。にっこりと微笑む。それだけ見ると、とっても可愛い天使の笑顔。 「……!!!」 「という訳で。定時だから帰りましょうね。み・ん・な♪」 とっても色っぽく、ちょっとお茶目に言うけれど。瞳はまだ、凶器の色を消し切ってはいなかった。 「お、お先に失礼しますッッッ!」 「て、定時なので帰りますッッッッッ!」 「おつかれさまっすっっっ!」 「はぁい。みんな、おつかれさまでしたぁ〜♪」 みんなも雰囲気に飲まれていたのであった。……残業なんかしたらぶっ殺される、と。抱えている案件も、迫っている納期も絶対的な恐怖の前には無力であった。
そして数秒たたぬうちに、フロアから人っ子一人いなくなったのであった。
ただ一人を除いて。 「……。課長。隠れてないで出てきたらいかが?」 「ふふふ。まさか新任のリーダーが全国武装労働組合連合(通称武装連)の犬だったとはね。さすがに私もだまされてしまったよ」 と、スーツに仕込まれたカッター・ランチャーを鋭子に向け、あいさつ代わりにしゅばしゅばしゅばっと立て続けに発射する。……武装労働組合とは、その名の通り経営者との交渉に武力行使をもって挑むという強力な組織であった。数年前の法改正により、労働組合は会社の枠を超え、時には武力をもってして交渉に当たることを認められるということになったのであった。……当然ながら経営者達もそれに対抗する組織として『独立自衛経団連』を設立し、毎年『血の春闘』とよばれる、血で血を洗う凄惨な争いが頻発することになるのであった。 「ぬるいわよっ!」 カキューーーンッと、全部はじき返す。音速で振り回されるそれは、特殊合金の大型チェーンソー! 「この剣鋭子を……『ブレード鋭子』の異名をもつ私を、その程度の刃で倒せると思っているのかしら?」 そして鋭子は、大きく飛び上がり……! 「ぬっ!?」 「もちろん思ってなどいないわよねっ!!! てやあぁっ!!!!」 課長の側にあったごっついCRTのディスプレイごと、ぶったぎろうとした。 「ふ。なかなかやるね。鋭子君」 「課長も。私のブレードを避けるとは、やりますわね」 斬るというよりたたきつぶされ、破片を撒き散らしながら砕けるCRTディスプレイ。更に、CRTディスプレイの真下にあった非常に頑丈な構造のMS−DOSパソコンですらまっぷたつにされていた。 「しかし、ガードシステムを破って来るとは、想定外だったよ。おかげで全てを再構築しなければならないではないかね」 「当然でしょう。残業に残業を重ねさせて、帰宅した夢……いいえ、幻覚を見させただけで実は帰宅させていなかったなんて。そんな悪魔のようなシステムを、私が見過ごすとでも思って?」 課長は愉快そうに笑う。その背後では、コールドスリープされた菊地原君ら社員たちが、一見安らかに眠っていた。彼らは帰宅して食事して風呂に入って睡眠をとるという幻想を見させられているのであった。そして一時間もしないうちにまた、仕事がはじまるのだ。 「ふふふ。残業こそこの世のユートピア。サービス残業の毎日なんてそれこそシャングリラだと思わないかね? 不効率な労働。偽装請負。……そして、大手企業によるピンハネが二重にも三重にも平然と行われている現在は、まさしくパラダイスだよ! 興奮してきてしまうよ!」 彼は表情も言動もとてもあくどい。 「……。どんなに可哀想な社員や派遣や外注をこきつかおうと、人は定時から逃れて生きることはできない。あなたにはそれがわからないの?」 諭すように語る鋭子は、あまりにも悲しい瞳をしていた。だが、そんな彼女の訴えは課長に届くはずがない。 「黙れ! サービス残業は滅びぬ! 何度でもよみがえるさ!」 「そう。ならばあなたを滅ぼすのみね。では、いくわよ。……タイムカードカッターっ! はああっ!」 「ふ。甘いよ鋭子君っ!」 鋭く早い鋭子の投げカッター攻撃を全て紙一重で回避する課長。 「甘いのは貴方よ。今のがただのタイムカードアタックだと思って?」 「ぬっ!? な、何っ!?」 紙一重でかわしたはず。だが、カードはブーメランのように……。いや、まとわりつく羽虫のように辺りを囲み、課長を拘束した。 「ぐっ! ぐあわあああああああああっ!」 「まだまだ。それだけではないのですよ!」 カードには細いワイヤーが付いていた。特殊合金の、とてつもなく強力なやつである。切れるわけがない。 「ぐっ! があああっ!」 「時は金。いえ、命なのよ……。それを貴方は無限残業という地獄をもって踏みにじった……。許すことは、できないわ」 時の涙。すべてを怒りに変え、たたきつけた。 「あっけない。……とは云わないわ。あなたのような手合いを消すのが私の任務であり使命なのだから」 始末はいつも一撃だ。 「ぐわあああああっ! こ、この私があああ!」 そして彼女はワイヤーをピンッと跳ねさせた。瞬間、課長は切り刻まれ……フロアは大爆発に包まれた。 ……
「あ、あれ?」 「俺達……いったい?」 「おはようみんな」 「あ。リーダー……?」 「あなたたちは皆、悪い夢をみていたのよ」 これまでの事情をすべて説明する鋭子。その事実に皆愕然とし、今すぐにでも帰宅を考えるのだった。 それは、束の間だけど、確かにあった出会いを終えること。 「お別れね。みんな……サービス残業に負けてはいけないわ」 「リーダー……」 「過労死などしたら、人生勿体ないわよ。それじゃ、またね♪」 破壊しつくされたフロアの中で、彼女が最後にみせた笑顔だけが無邪気で、汚れた世に咲く一輪の花のようだった。
彼女の戦いは終わらない。
この世に労働の悪魔がいる限り……! |